しげるの自遊学

自由に遊び、自由に学んで生涯現役。
ソプラノの森岡紘子さんを一人のファン
として応援しています。

倉吉・三徳山・三朝温泉・鳥取砂丘などを訪ねた

2013-05-26 13:42:49 | Weblog

倉吉・三徳山・三朝・鳥取砂丘

 父の17回忌、母の7回忌の法要があったので、故郷の鳥取県大山町へ帰省しました。妹夫婦、弟夫婦に会うのも久しぶりです。法事も無事終わったので、三夫婦で小旅行を楽しみました。天国の父母もきっと理解してくれたことでしょう。

 最初は、倉吉へ行って、白壁・土蔵のまちを散策しました。古い町並みが丁寧に保存されており、旅行者を暖かく迎えてくれます。倉吉が生んだ横綱の「琴桜」記念館もありました。まちを流れる川には鯉なども泳いでいて水がきれい。

 昼食で食べたのは「餅しゃぶ」とか。お餅をしゃぶしゃぶしながら食べるのですが、いろいろな種類のお餅があって、なかなか美味しかった。

 倉吉のまちから三朝温泉を通り抜けて三徳山へ向かいました。三徳山には有名な三佛寺「投入堂」があります。ただ、そこへ辿りつくのは無理だと最初から諦めてはいましたが、せめて三佛寺までは行きたいと思っていました。ところが、今回はお寺まですら行けなかったです。急な階段が立ちはだかり、私はその石段を見ただけでギブアップ。まして、投入堂に行くのには、お寺で草鞋に履き替え、途中はクサリを手に巨岩を越えて行かねばならないとか。

 (これはパンフレットにあった写真)

  そのあとは、三朝温泉(みささ)へ戻り宿泊。旅館は依山楼「岩崎」という老舗で、料理も美味しかったが、なにしろサービスも文句なしでした。

 翌日は鳥取砂丘へ行って、まず「砂丘美術館」を訪れました。現在は、東南アジアの彫刻家の作品が展示されていました。これが、砂で制作した彫刻かと目を見張るばかりでした。昼食のあといよいよ砂丘へ。妻は、砂丘へ行ったらラクダへ乗りなさいと友達から言われていたそうです。ラクダに乗ろうとするのだが、こわごわ乗るのでラクダが怒って「グアオー」と吠えるのです。これには皆な大笑い。まあなんとか乗馬?して記念撮影。

 砂丘を歩いて海岸線までは結構距離があります。途中でギブアップしようと思ったのですが、折角来たのだからと皆に励まされ、やっと海の見えるところへたどり着きました。紺碧の海、一片の雲もない快晴に感激しました。

  今回の帰省では「サンライズ出雲」を利用しました。ツインの部屋が取りたかったのですが、それが出来ず「シングルの部屋」でした。これもシングル・デラックス」ならよかったのですが、並みの「シングル」は、やはり一寸狭く、なかなか眠れなかったです。帰路は航空機利用、やはりこの方が楽ですね。

 


新緑の日光

2013-05-18 15:04:44 | Weblog

 ご近所の4夫婦で新緑の日光を訪ねました。5月12日(日曜日)~13日(月曜日)の一泊旅行でしたが、快晴に恵まれ旅の楽しさを満喫出来ました。一番若いご夫婦が8人乗りの大型車を運転してくださり、我々高齢者にとっては本当に楽で快適な旅でした。「遠い親戚より近くの他人」とは、どなたの名言だったのでしょうね。

(日光東照宮)

(そば処新駒の湯葉。三笠宮様が立ち寄って食事されたというのが、女将の自慢)

(田母沢御用邸記念公園のしだれ桜、樹齢400年だそうな)

(庭園ではかわずの鳴き声が)

(中禅寺湖は遊覧船で)

華厳の滝、竜頭の滝、湯滝などを廻った。そして最後は吹割の滝。

 13日の夕方無事戻って、あとはこちらの「たつみそば」で打ち上げ。


素晴らしい友人たち

2013-05-11 13:54:25 | Weblog
70じいじの旅日記 見て、描いて、感じて
クリエーター情報なし
文芸社

 

  私の友人の中には、人生の達人ともいうべき素晴らしい友人が何人かいる。定年後、猛烈に勉強して漢字検定1級をとり、漢字に関する著書を既に10冊以上も出版している友人。現在は、あちらこちらで頼まれて漢字や日本語に関する講演をしたり、講座を開いたりしている。銀行員を辞めて、建築事務所を開いたが、その後書家になり、大勢の弟子を持って活躍している友人。そして、今回紹介するのは、最近上記のような本を出版した友人。

 定年後、47都道府県を踏破し、更には訪れた外国は46ケ国にも上ると言う。しかも、その先々で、絵筆を揮って水彩画を描き、今回その旅日記を1冊の本にまとめたのだ。本人から手紙をもらって大いに驚き、今丁度注文した本が到着して読み始めたところである。世界各国46ケ国もすごいが、写真やら自筆の絵が挿入されていて、ガイドブックとしても面白い。

 こんな人たちを本当の「人生の達人」というのだろうな、などと妻と話す。「あなたもいろいろやっているじゃない」と慰められている私。


熱かった青春の思い出

2013-05-09 14:31:44 | Weblog

熱かった青春の思い出

 身辺整理に余念がない今日この頃である。しかし、出て来る物に金目のものはない。出て来るのは思い出ばかり。アメリカ映画の英和対訳シリーズ本が32冊ほど出てきた。表紙も赤茶けているし、もう捨ててもいいのだが、それが出来ない。思いっきりが悪い性格を嘆くばかり。近いうちに処分しようと自分に言い聞かせ、せめてもの記念に表紙の写真を撮った。もう少し金目のもの、出て来ないの?そんな声が近くで聞こえる。


池上本門寺を訪ねた

2013-05-04 08:30:14 | Weblog

 もう50年以上も前のことだが、妻は池上本門寺裏に近いところへ住んでいた。正月には、今は亡き義父と私たちの長男、長女といっしょに参拝したことが懐かしく思い出される。そんなこともあって、今一度本門寺へ行ってみたいと思っていた。昨日は急に思い立って、池上本門寺を訪れた。池上本門寺

 五反田から東急池上線に乗ったのだが、こんなに沢山の駅があったのかなと改めて驚く。途中、「御嶽山」という名前の駅がある。なんでこんなところに「御嶽山」がと疑問に思ったものだ。帰宅後調べたら、御嶽山にある御嶽神社(長野県と岐阜県の県境にある)の支社だそうな。御嶽山信仰者で同山に行けない人が参拝に来ていたため宿場町として栄えたそうな。

 池上駅から本門寺へ向かう途中でよく葛餅を買って食べたそうで、葛餅の店を探したのだが、お店は衣替えすっかり立派なお店になっていた。ここは帰りに立ち寄ることにする。いよいよ本門寺にさしかかると、参道正面に96段の急な石段が立ちはだかる。此経難持坂(しきょうなじさか)という。途中、「此経難持坂」の由来を書いた木柱がある。慶長年間に加藤清正が寄進したものだそうな。

 1段、2段と数えながら石段を登るのだが、段差が30センチちかくはあるだろうか、私のような高齢者には結構きつい。登り切ったところが丁度96段だった。帰宅後調べたのだが、この坂は鬼平犯科帳(池波正太郎著)の中にも出てくるそうな。  本門寺暮雪

 帰路、葛餅の店に寄って葛餅を賞味。ついでにお土産を買った。長男夫婦が最近池上のマンションへ引っ越したので、予告なしに立ち寄ってみた。インターホンで我々夫婦が突然現れたので、驚いて悲鳴を上げる長男の嫁。長男は今日も仕事で留守とか。それでも快適なマンションの生活をエンジョイしているようで、安堵。五反田駅まで車で送ってもらって本門寺参りは終わり。


嬉しい贈り物

2013-05-01 08:45:13 | Weblog

 昨年は義父の50回忌があり、先月10日は義母の13回忌があり。そして、今月は私の父の13回忌と母の7回忌が予定されている。このような法事が次々とあるのは、自分が高齢者になったことの証かもしれない。法事と言っても、神妙に個人を偲ぶのはお寺の本堂で和尚さんの読経に耳を傾けている時くらい。平素顔を合わすことの少ない親類の人達と会うのは、それはそれで嬉しいひとときではある。

 先月10日の法事のあとは、お寺の近くのホテルで会食した。妻は女三姉妹でお互い仲がいいので、こんな行事以外でもよく一緒に出かけたりすることが多い。一方、昔はよく喋った義弟は、耳が遠くなったせいか、めっきり寡黙になり、さっぱり会話が弾まない。そういうわけで、私はもっぱら女性軍の皆さんとの会話を楽しむことになる。会食のあとはカラオケで「アマリカ橋」ほか5~6曲くらい歌ってしまった。(義父、義母はお墓の中で顔を顰めているかも)

 「お兄さん(私のこと)は歳不相応にいろんなことやっている」というのが、彼女たちの私に対する評価らしい。どんなスマホを使っているのかなどと言う。「サイズが大きいね」。そう、私が使っているのはGallaxy Noteという代物で、普通のものよりは少しサイズが大きい。会話が弾んだところで、このスマホを入れるケース作ってよ、と私。あまり期待はしてなかったのだが、「いいわよ」という答えが返ってきた。

 と言うわけで、下の写真は次妹が作ってくれたパッチワークのスマホ・ケース。チャックがついていて、とても使いやすい。「スカイツリーのデザインで、洒落ているね。有難う」と電話したら、「何言っているのよ、ニューヨークよ」という。ふ~ん、なるほど。これはエンパイァステートビルですか。