しげるの自遊学

自由に遊び、自由に学んで生涯現役。
ソプラノの森岡紘子さんを一人のファン
として応援しています。

秋の奥入瀬

2005-03-29 18:47:42 | Weblog
秋の奥入瀬(平成16年10月ビデオ撮影の一部)を動画サイトへアップロードし、私のホームページから見れるようにしました。ほんのちょっぴりの動画です。契約しているサイトの容量を増やしたので、これからは面白そうな動画をアップロードしたいと思っています。

それにしてもビデオの編集は面白いです。まだまだ未熟で試行錯誤していますが、もう一寸レベルアップしたいですね。ジャストシステムの「Mega DiVi」、サイバーリンクの「Power Director 3」、今はアドビの「Premire 1.0」といろいろなソフトを使って来ました。操作が簡単で分かりやすいのは「Mega DiVi」だと思っていましたが、「Power Director3」はなんとなく楽しいですね。
慣れると一番やりやすいかもしれません。アドビは正直云って、あまり楽しくないですね。アドビという名前につられてやり始めましたが、結構操作がやりにくい、そのように感じています。


ミステリーツアー

2005-03-29 07:11:37 | Weblog
昨日、妻は近所の自彊術仲間と日帰りのバスツアーへ出かけました。題して「ミステリーツアー」。 なにかテレビのサスペンス・ドラマを連想するような恐ろしげなツアーです。お化け屋敷でも見に行くツアーかと思いました。

「一体どこへいくの」「それが全然わからないからミステリーなのよ」成る程、合点です。しかしこういう企画を立て、お客さんを集めるのも面白いですね。私達が仲間とどこかへハイキングに行く場合など、皆さんあらかじめ何処へ行くのか知っていますね。それはそれでいいのだけれど、何処へ連れて行かれるのか全く分からない、というのはもっと面白いかもしれません。今度私が幹事で企画するとき、このようなやり方やってみようかな・・・「ミステリーハイキング」とか。
「同期生会」「OB会」などでも応用できそう。

遅く帰宅した妻に、それで一体何処へ行ってきたのか尋ねたところ、「日本一の花桃の里(古河=こが)」と「かたくりの里(佐野)」だった由。桃の花、かたくりの花、どちらもよかったそうです。

甘えび一箱がおもやげでした。山の方へ行ってなんで甘えび、こっちの方がよっぽどミステリーですね。


絵を描く楽しみ

2005-03-27 19:28:39 | Weblog
 絵を描く楽しみというのは、人生の楽しみのなかでも最も上位に位置する楽しみだと思っています。絵にしても、音楽にしても、その他なんでも、およそなにかを創造するということは、本当に素晴らしいことだと思っています。

 近所の方が一枚の写真を持参されました。友人からいい山の写真をもらったので、絵に描きたいということでした。山の写真、月がちょっと顔を出している2Lサイズの写真です。A3くらいに引き伸ばしてくれとの話です。まあ一応引き受けはしました。

 引き受けてはみたもののあまり気分すぐれません。何故って、一つには写真は成る程素晴らしいが絵としてはどうかということ。今ひとつは、写真を下絵にして絵を描くこと、私どうもあまり好きになれないのです。このようなやり方、私もやったことはありますが・・・

 というわけで、悩んでいます。

かぶと虫君の悲鳴が聞こえる

2005-03-25 20:26:25 | Weblog
私がこの土地に移り住んでから40年以上になります。移ってきた当初は道路も舗装されず、バスが走ると砂埃が舞い上がり、雨が降ればぬかるみになるそんな道路でしたね。分譲地の中の道路も当然舗装はなし。しかしそれでもあまり不満はありませんでした。一寸歩けば雑木林が広がり、牛の鳴き声も聞こえるそんなのどかな環境でした。

息子たちは雑木林でかぶと虫をつかまえて来ては、嬉々として走り廻っていました。あれから40年、好むと好まざるにかかわらず、開発はどんどん進みました。しかも最近になって、加速度的に環境破壊が進んでいるように見えます。あの立派なかぶと虫君はどこへ行ったやら?コンクリートやアスファルトの下で息も出来ず悲鳴を上げているに違いない、私にはそのように思われます。
こんなに茶畑をつぶし、雑木林を切り開いて道路をつくる必要があるのでしょうか?車社会だから車の増加にあわせてどんどん道路を建設する、本当にこれでいいのでしょうか?

私の友人で環境問題に取り組んでいる男がいます。彼はどのように考えているのでしょうか?このような現状が歓迎されないものとしても、もはや個人の力ではどうにもならないのでしょうか?

体調はいいようです

2005-03-23 16:43:30 | Weblog
今日はパソコンサークルの総会を開催しました。最後の方で一寸気まずい雰囲気になりましたが、
なんとか無事終了しました。と云っても、これからまた一年サークルの世話役を務めるわけで、
前途洋々というわけには行きません。

午後、気になっていた胃カメラの検査結果を聞きに行きました。問題はないとのことで、一安心です。
そのあと、歯医者にも行って、悪いところをチェックしてもらい、直してもらいました。
というわけで、今、体調には問題ないように思われます。
やりたいことがいろいろ山積しているので、よし頑張るぞーという気分です。

パソコンサークルのこと

2005-03-22 21:00:13 | Weblog
明日はパソコンサークルの集まりがあります。平成16年度が間もなく終わり、新年度に入るので、定例の総会を開催することにしています。

振り返ってみると、私はもうまる三年間もサークルの代表を務めているのですね。こんなに長く一人の人間が会の代表にとどまっているのは、実はあまりいいことだと思いません。会の運営もマンネリに陥っているのではないかと危惧します。

ですから、明日は代表の交代を提案しようと思っています。会則をあらためて読み直したら、代表などの役員の任期について何も記載がないのですね。これはまずいと思って、先ほどから、会則の改定案を作り、総会に備えることにしました。「役員の任期は一年とする」と。

多分すぐには皆さんの賛同を得るのは難しいことでしょう。それでも爆弾を投げてみて、少しは皆さんの眠りを覚まさないと、とまあこんな心境です。

お誕生日プレゼント

2005-03-21 21:20:01 | Weblog
今日春分の日は私の誕生日。娘のところの孫から電話あり、「おじいちゃんお誕生日おめでとう」と、男の子三人がかわるがわるに云う。「いくつになったの」「74歳だ。どうだ、すごいだろう」などと無邪気なものです。

妹たち三人とお墓参りに行った妻が帰宅するなり、「お誕生日プレゼント」と云って差し出したのはチューリップの鉢植え。へぇープレゼントなんて珍しいと驚く私。丸の内界隈で通行人にただで配っていたそうな。種明かししなければ、もっと喜ぶのに。

山陰最古の駅

2005-03-21 20:40:57 | Weblog
私の実家(鳥取県西伯郡名和町)から歩いて3分ほどのところへJRの駅があります。立派な駅舎ですが、今は乗客も少なく無人駅になってしまいました。高齢化が進んだことと、マイカー利用の人が多くなったせいだろうと思うのですが、この駅を利用する人はめっきり減ってしまいました。
「御来屋」(みくりやと読む)という駅です。この駅の待合室に「山陰最古の駅」という看板があります。無人駅ですから、当然のことながら駅員は一人もいません。昔、駅員がいた部屋は、今は市場として活用されています。町の名産の野菜、果物、海産物などが売られています。市場に勤める人が駅の清掃などに当たっているとのこと。

私にとっては懐かしい駅です。中学生の頃、この駅から汽車に乗って中学へ通う、いわゆる汽車通学をしていました。10両編成くらいの列車はいつも満員でした。あの賑やかさ、喧騒、活気は一体どこへ行ってしまったのでしょう。一抹の寂しさを感じます。

当時は男女共学なんて夢のまた夢。男子生徒は前の車両へ乗ること、女学生は後方の車両へ乗車すること、厳しく決められていたのですね。時々その決まりを破って後部の車両へ乗ろうとする輩がいました。そんな大胆さは持ち合わせず、私はいつも前の方の車両に、素直に乗っていたと思います・・・ 言葉を交わすこともなく、じっと見つめあう二人。まあ、そんな風で、現代よりは余程ロマッチクな時代だったと思います。

今回の帰省中に駅に行って見たのですが、そのとき乗客は一人、私が見送りに行った叔母だけでした。





旧友

2005-03-20 20:01:01 | Weblog
先日田舎へ帰ったとき、二人の友人と会いました。あらかじめ二人に連絡して是非会いたいと伝えていました。中学時代の同級生です。

何故この二人に、というのには理由があります。私のホームページの「悲しみは消えず」というページに関係があるからです。第二次世界大戦も終わりに近いある日、わが故郷を襲った米軍の艦載機。当時汽車通学をしていた我々を襲った傷ましく、そして忘れられない一日。

乗客多数が死傷した傷ましい思い出。そのとき重傷を負ったのが上記のうちの一人です。そして彼は今、戦争の悲惨なことや命の尊さを伝えるべく、進んで「語り部」となり、近隣の学校などを廻っているのです。もう一人の友人は、この悲惨な事件を風化させないため、記念碑の建立や小冊子の発行に尽力したのです。

というわけで、今回はこの二人の友人に会って来ました。友人が重傷を負っていたというのに、うしろも見ずに逃げて帰った私は、誠に恥ずかしい。

母は強し

2005-03-19 19:01:11 | Weblog
昔から「母は強し」といいますが、今回帰省して、母の強さにあらためて脱帽しました。昨年故郷へ帰ったときは、あまり喋らず、衰弱した様子でした。一年ぶりに見た母は、顔色もよし、前よりも元気になった様子で一寸びっくりしました。本当に良かった!これすべて義妹(母からいえば、嫁)のおかげです。感謝しています。

歌を唄ってよ、「もしもし亀よ」がいいと云いましたら、最後まで唄ってくれました。この歌、ほんと単純、簡単な歌だと思うのですが、私なかなか最後まで覚えられません。今思い出しても、3番、4番となるとあやしくなります。あとでインターネットで歌詞を調べてみようと思います。

母の実家は農家です。昔、農家の娘は女学校へ行かせてもらえなかったようで、いつもその話が出てきます。発奮して検定試験を受け、学校の先生になった話。県境の山奥の小学校へ単身赴任、下宿住まいだった話。そのうち親父(私から云えば母方の祖父)に呼び戻され、嫁に行った話などなど。

私の父は93歳で亡くなりました。私が若いときは、「母は何故に、このような男と結婚したのだろう。(正確に云えば、結婚させられたのだろう)もう少しましな男がいくらでもいたはずなのに」と思うことしきりでした。私の親父は人の顔を見れば、二言目には「勉強せい、勉強せ」でしたから。