長生きしていて、、、良かった!
パレードを 拝見できて 感動しました。
日本は、これからも、頑張れる
一筋の光を見ました。
令和の時代に 、かなうのであれば
私は、
水の行方が治水されるのを
見届けるまで
生きていたいと、、、思いました。
復活の勢いは
オリンピックの始まりとともに
元気を戴けそうです。
頑張っている世界の人々を
日本の国を挙げての「おもてなしが、、、」
期待されます。心のおもてなしが感じられます。
環境を変えてゆく
水害からも、天災からも、、、
「立ち上がる力」をプッシュするように!
日本は動いている。
そう感じるのです。
世界中の平和を祈りながら、
体力と気力と、心の強さと、技と、チームワークを競う日々。
今も、
ラグビーのワールドカップで
皆が元気になったように、
ラグビーのパスが絶妙なチームワークで
皆で勝ちに行った日本。
世界の壁が厚いほど、、、未来の夢に向かって
幼児も、少年も、少女も
長いボールを抱えて走り始めた(^^
そして、地震にも、嵐にも、
未来の構想に向かって、立ち向かって、環境を見直してゆく。
「水」
治水を出来る者は国を治めると、オランダも、日本も、、課題である。
日本は令和の時代の象徴のパレードとともに
未来への知恵の結束を期待したい。
ラグビーのパスと、チームワークと、
アフリカの体力の前には、、、!!!!!!!
課題は山角かもしれませんが、、、いつの日にか、、、日本ならやれると信じたい。
より良い環境に立ち向かう気力を戴けたような、、、夜明けです。
人種を超えて、国を超えて、 応援の気持ちが天まで響いた。
令和に時代には、新しい何かが光り始めている。
もっと、、、生きていたい、、、
勝てない敵は、、、時間かもしれない。
北海道にも、、、冬将軍がそこまで、、、やってきた!!
除雪費の援助のない生活道路に、
てんこ盛りの雪が積もる。
30年以上も会長さんをしている小さな町内の除雪費は、
各家の体力で補ってきた。
50年間、雪かきの役は私、、、一人。
主人は、患者さんの「おはだ」に触れる職業のDr。だから、、、
患者さんに失礼だと思うから
主人には、スコップを持たせたことはない。
敏感な手のひらのセンサーで
微妙な命の変化を診断してほしいと願うから。
黙々と、雪を積み上げた、、、
「愚公、、、山を移した、、、私。
。。雪の山を!、、(^^!
あほか?、、、と。
雪を知らない本州の親戚も、兄弟も、友も言う!。
何で、、、東京に帰ってこなかったのよ!、、、と。
人生の半分は雪かきと、冬支度。
東京から、北海道にやってくるのは、、、
避けきれない天与の縁だった。
東京に帰ると言った相棒と、初めは旅行気分過ごしていた。
北海道の自然は本物だ、、、!
いつしか、、、白山に登った日のように、
北海道に住んで、雪の季節に出逢うたびに、
登山に似た、、、戦いの名kに居た。
雪融けの3月には、今年も生き残ったと、へとへとの自分にエール。
命の洗濯に、伊豆のKKRの源泉に飛び込みに行っていた。
ここは、慈恵会病院が「宮内庁の人々の診療を受けていた時代」に
沼津にもやんごとなき方のお住まいがあり、
卒業したての医師夫婦が、伊豆の国のあたりに住んでいました。
父母の住んでいた静岡に、毎春、、、行くのが楽しみでした。
北海道に永住することになったとき、
父の生まれた東京に帰るのは、、、、もう、、、出来ない。
懐かしい市ヶ谷の生家も無くなり、
戦後の下町での開業も、
兄が勤務医に転校することで閉鎖され、どこのどなたかに、、、売られていった。
受験も、学問も、技術の取得も、お金が無いのは首が無いのと同じ、、、
日進月歩の医学会で、臨床の分野でも、
医療機械の進歩と。。。共に。
開業の役割は、幕を降ろしてしまった、、、後を継いだ兄。
東京には、、、25歳まで育った、、、居候がいっぱいだった実家が
忽然と消えた。
誰に売られたか、、、いつ売られたか、、、
結婚して蚊帳の外の私には
一切の事は知る機会が無かった。
グーグルの航空写真で、
空き地になっている父母や従妹や、叔父さんや、親戚が
戦後を過ごした思い出の実家が、、、空き地に変わっていた。
弟にも、知らされなかったというから、、、時代が終わったのですね。
父母のぬくもりは消えて、
見知らぬ義理の兄弟たちの孫の時代になっていたのですね。
帰れなくなって、、、気が付きました。
東京は、一度離れたら、、、帰れない所なんだと。
思い出があるから、、、大丈夫!
NHKのテレビに
パレードが映し出されて、臨場感穣に拝見できたから、、、
私、、、寂しくありません。
天皇陛下、皇后陛下のいらっしゃる千代田の街は
素敵な噴水も、公園も、武道館での音楽も、思い出される。
大學時代は、駿河台をホームタウンだと思っていた。
上野、浅草。秋葉原、庶民の生き方の「奥深さ」に
大学卒の経歴など、必要のない「プロの腕」を深く感じた。
中央線の新宿を超えると、
日本と、韓国は、、、民間交流がすごいと感じた。
横浜の中華街で、高麗ニンジンを買って、
薬剤師になった以上、この生薬は知らねばと、
大枚、、、8000円で、買ったことが有った。
75歳になって、、、帰りたい。。。帰れない。。。
もう一つの心のふるさと、、、東京!!!。
オリンピックは、東京には行けないが、
オリンピックが、、、札幌に、、、走ってきてくれそうです!!!。
札幌は、どこか東京に似ていて、寂しくありませんが、、、
東京に帰るのには、、、サラリーマンの人生では、、、難問でした。
若き日に歩いた日比谷公園や野外音楽堂、、、
母は、「宝塚」や「歌舞伎が大好きでした。」
音楽大学を卒業していた母は、
皇居の周りの文化施設に、田舎っぺの私を伴って、、、
素敵な世界が在ることを教えてくれたものでした。
東京を離れて、50年になりますが、
皇居がTVに映るたびに、心は東京に帰っていますので、
目をつぶると、お堀に沿って歩いている自分に出逢えるのです。
日本の象徴でいらっしゃる、陛下の住まわれる二重橋を
母と眺めた若き日の事が、思い出されて、
時代が令和になって、始まりの日に
日本人に生まれて、歴史とともに光を感じながら、
日本中、どこに住んでいても、、、孤独を感じたことが有りません。
幸せなことです、、、。
あたらしい時代のパレードを、拝見できた75歳の婆ちゃんは幸せです。
ありがとう、、、ありがとう、、、感謝の光です。