花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

あいつと私、、、裕ちゃんがまぶしい

2019-11-22 12:48:17 | Weblog

TVで「あいつと私」という映画を観ていた。

裕次郎さんが天然のまま。演技を感じさせない若者として

大学生の日常が映画になっていた。

たぶん、、、当時の慶応大学とか、、、立教大学とか。。。?

あのあたりの大学生の学園生活なのだろうと想像しながら

こんな大学生は青春そのもので

若さがハジケテ、眩しいほどの、裕次郎さんや、

たぶん、、、笹森玲子さんや、芦川いずみさん。。。

端役で気の強い妹を演じている公立学生タイプの女学生は吉永さん

裕ちゃんは、あのまま社会人になったら、

フアンにモミクチャになって、忙しすぎる人気稼業にならなかったかもしれませんね

そのようなイメージがふと湧いて、

裕次郎さんの、天然のままの人生が、有ったとしたら、

この映画の青年がそのまま企業のリーダーで世界に打って出るわけですから

きっと、一つの時代を、牽引していたかもしれませんね。

フレッシュで、眩しいような天然の若者が

石坂文学を素敵に青春していました。

昔見た映画で、、、良かったな~~と思ったのは

「陽のあたる坂道」

もう一度TVで観れたら、あの頃と又、違った感動があるかもしれませんね。

北海道は、、、もう雪です。

早朝、主人の大好きなコンビニの「新そば」を買うついでに

リンクになった道路を、よちよちと歩きながら、

7000円になりそうなパソコンの代金の振り込みをすると

もう一か月、、、贅沢な日記が書けて、独りぼっちの北海道生活を

親戚や、友人とつなげてくれて、、、孤独ではなくなる。

主人は、北海道ではトップの北大の医学部で博士号の授与を受けて

ちゃっかりと、北海道人のお仲間にしていただき、

家庭に居る暇がないほど、お仲間と生きてきた。

私は、家事専門で、家庭の守りを担当してきた。

主人の弟夫婦とその子たちが遊びに来ても、

ガラクタでいっぱいの我が家は狭いので、

主人は北海道観光に案内して、宿泊だけは我が家が役に立つという、

人生の裏方の雑務で時間が飛んだ。

我が家には、夫婦の寝室が無い。

外科という特別に緊急を要した科のトップだった時代が長かったこともあり、

電話の傍の長椅子で、スラックスのまま、転寝するという人生が続いた。

真夜中の緊急手術に備えて、電話が鳴ると、

私が、眼を覚まして、主人に取り次ぐという

職場の延長の舞台裏が家庭だった。

今でこそ20人以上いる救急車の来る総合病院も、

創生期の時代は外科が4人だった。

全国でも手術が上手いと評価されているK先生がものすごい馬力があり

主人も、創生期の若い先生の馬力で引っ張られ、

起きているのか、寝ていられるのか?ワカラナイ激務に耐えて頑張った時代が有った。

正月も、連休も、土曜も日曜もなかった。

その時に、我が家が全室、主人の働くための舞台裏としての配置になった。

よりによって、、、早朝から、深夜まで、留守の母子家庭は

収納庫のないコンクリートの箱のような阿蘇山の「避難壕」の役割を果たしてくれた。

東京の青春の愛に萌えた「陽のあたる坂道」のような映画が

窒息しそうな生活の中で、深呼吸をした後のようなさわやかな気分を取り戻してくれた。

北海道で暮らす私にとって、

外科医という、、、愛が邪魔な人生観の仕事人間の相棒を担当するという

仕事の為の家庭だった人生を振り返るとき、

「対話のある石坂文学」が、さわやかな非日常の救いの時間だった。

微笑とともに、ほのぼのとした時間は終わり、

戦闘体制の創生期の外科のチームの大将の裏方の時間がすっ飛んでいった。

金婚式の50年目の結婚記念日に、

主人はチーズケーキと「高菜の握り飯」を買って帰ってきた。

昭和15年生まれは、戦後の立ち上がる日本のぞん底の物のない時代に育っている。

大学時代は、3食食べれた日は無かったそうです。

「あいつと私」の大学生の裕ちゃんを一緒に観ながら

「裕次郎さんの最高の若さで輝いている映画だね!」

北大でも、こんな大学生活が出来ていたら、、、

最高だっただろうな~~~!と。

昭和15年生まれの主人は裕次郎さんの垢ぬけたフレッシュさに

魅力ある青年だよねーと、見とれていました。

ちなみに、お父さん役の俳優は良く知っていました。

私は、、、お父さん役も、お母さん薬の女優も

良く知らないのですが、、、観たことのある役者さんだなーと、、、

懐かしい昭和を振り返る映画でした。