枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

時雨・・・

2012年04月05日 | Weblog

 洗濯物が多いので、外に干していたら、隣の施設の方が、雨よ。と教えてくれる。終ったら晴れ、干したら時雨れる。今日は、何だかいたちごっこの洗濯干しであった。10時に昼食、水分補給にお八つ。その間での洗い物と片付け。勤務を終えるとぐったりする。

 帰宅しても、暫くは体の切り替えができない。毎日、後悔の繰り返しである。祖母の生きていた頃は、貧乏暇なしで、動ける限り、何がしかしていた。今日では、機械が掃除をし、食器を洗い、洗濯をする。まあ、人間が仲介はするが、便利になったものだ。

 祖母も、亡くなる前の晩まで、這ってトイレに通う気力があった。83歳ではあったが、人生を生き切ったのだ。昼寝をすることもなく、何処かに出かけることも、況してや遊びになど、行ったことはない。唯一、お寺の奉納時にある盆踊りと、秋祭りには行っていた。

 だがそれも、私たち孫が小さな頃までで、小学校の高学年になると、あまり言葉も交わさなかった。ひたすら農業に精出し、田畑や山を守っていた。ご先祖を敬い、墓参りを欠かさなかった。祖母の中には、自然のことになら何でも答えてくれる知識があった。

 来世で祖母に逢い、父や母にも遭えたなら、もう一度あの時代に生まれてきたい。貧しさとひもじさとしかなかった。それでも逢いたさが募る。故郷の主の居ないあばら屋に、懐かしさがこみあげる。春休みには、遠くの山に焚き物をしに行った。

 車などなく、皆徒歩で行く。自転車が珍しい、高価な物であったのだ。道草をし、野山を駆け巡り、自然の全てが自分だけの世界であった。墓参りに行く度に、錆びれていく故郷に胸が詰まる。幼い自分がそこかしこに居て、さんざめく光と緑に消えていく。

 夏の暑さにうれしそうなコリウス。枇杷葉茶を飲みだして、汗があまり出ない。暑さもあまり感じない。

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