枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

あんよはじょうず。

2012年04月15日 | Weblog

 Aさん家のお孫さんの、満1歳のお誕生日。お餅を背負い、はいはいをして、箕の中の道具を選ぶ。餅の上に立って、兜をバックに写真を撮る。笑顔が可愛い。拍手喝采にポーズを決める。その仕草の何と愛らしいことか。

 Aさんの心尽くしの散らし寿し、から揚げや、春巻き、お刺身等、ご馳走が並ぶ。主役の昼寝を挟んで、バースデイケーキのお祝い。ケーキも特別注文とか。散らし寿しの中に入っていたのは、京都の朝堀の筍。口に入れた瞬間に、風味と舌触りの違いに気づく。

 ご先祖様も、あんよはじょうず。と手を鳴らしている。曾孫、玄孫になる件に、お元気であれば、曾孫も見れたであろう。と、ご隠居さんの姿を思う。白寿までは生きていてほしかった。母にも父にも同じように思う。

 歳を寄せれば、忘れることも多くなる。できていたことも限られる。だからこそ、一緒に生活をしていくのに、兄や妹は、両親を邪魔者の扱いにし、孤独の中で殺した。自分達の生活のためなら、親の面倒を看るなど真っ平と、金で形をつけた。

 兄が誕生した時は、大家族ではあったが、待望の男児で、大騒ぎをしたらしい。まさに、上にも下にも置かずで、祖母を始めとして、鯉幟も兜も奮発した話だった。ランドセルに、机に、兄に関しては特別な扱いをされたのだ。

 父や母が亡くなって、兄の言った言葉は、それが負担であった。と吐き捨てた。尤も、してもらったことを感謝するくらいなら、親の看取りはしただろうし、兄妹が力を合わせてできた。と思うよ。親も子も、お互いを選ぶことはできないのか。

 否。選んだからこそ、同じ屋根の下で暮してきたのだ。子どもの頃にはわからなかったが、今はその繋がりがあったからこそ。と納得する。もし、生まれ変わってこれるなら、祖母の、母の父が居る場所にしたい。

 今年のクリスマスローズの蕾。白が初めに咲き出す。

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