原発の再稼動に反対なのは、稼動してできる、核燃料のゴミの処理をどうするのか?という疑問が残るからだ。青森県の六ヶ所村に捨てる?其処から出る放射線は、人体には影響ないの?核燃料のゴミを運ぶのに、通過していく道路や近辺には、問題ないのか?
或いは、誰がどんな風に困って、得なことになるのか。原発がなくても、電気を止められても、構わない。山に行けば、燃料には事欠かない。焚物をして風呂を沸かし、七輪で料理を作ればいいし、竈を築けばいいことだ。
便利で快適な暮らしは、人間の知恵や工夫を奪ってしまう。旧暦で生活すると、天災に備えることも可能だ。自分の足で歩き、自分の体を生かし、健康でいられることこそ、ありがたいと感謝できる。朝日が昇れば起き、夕陽が沈むと寝る。
祖母が枕元でしてくれた話は、昔話だったり、聞きかじりの出来事だったりしたが、本を読める楽しみを教えてくれた。努力をしないと完成しなかった。体力的には辛いこともあったが、成し得た歓びはとても大きかった。
綺麗な服を着て、美味しい物を食べ、それらがなくなったら、絶望と生きる気力が失せてしまう。真実もなく、大切な物さえわからなくなる。パソコンも使えなくなるかも。まあ、原稿用紙があるからいい。紙と鉛筆で充分なのだ。
日本中の原発が止まって、本当に電気が足らないのか。不足だというなら、電化住宅であろう。我が家など、冷暖房は一切使わないので、一向に構わない。冷蔵庫がなければ、畑を作って野菜を植える。その日暮でいい。
月や星が眺められ、天文に詳しくなり、旧暦がわかるというもの。皆で支えあった暮らしも、捨てたものではない。妖怪や物の怪の類が視え、話も通じるかもしれない。体のためにはきっといいことが多いよ。
毎年、蕾をつけるシクラメン。窓辺に2鉢置いているが、たくさんの花をつける。