あけびの芽が出た。昨年、もしかしたら、芽が出るかも知れぬ。と、庭に播いていたのだが、当てがなかっただけに、発芽する時期がわからなかった。やれ、うれしい。まあ、庭と言っても、山の中にあるような田舎の家だ。条件としては整っていたようだ。
青空市に行けばあるが、時期も一時で、旬を逃すとない。それでも、見つけた時にお金を持っていなかったり、出かけることがなかった場合には、手に入れられないことがある。昨年は、友人が運よくくれたが、いつもそうとは限らない。
できれば植わっていて、生ってくれるのが理想。だが、そのためには種の発芽条件が、如何なる物か不明であった。自然の前には無知である。新月で播いた覚えがあるが、果たして芽が出るのかは、未知数であった。
百姓をすることは、とても難しい。自然を相手にするのだ。人間の勝手にはできない。これには、月の満ち欠けは無論だが、潮の満干潮が大きく影響するのも特徴。加えて、旧暦の約束事も含まれる。これらが上手く作用されてこそ、条件が整う。
失敗は付き物で、上手くいくのは1%にも満たない。博打である。枇杷葉も、散々失敗した。植えた位置に、他の物が植わっていたりで、ちょっとしたことで育たないのだ。肥料を入れると、却って貧弱になったりすることも。
何が上手くいくか、未だにわからないのも、自然が相手だからだ。今回、あけびの芽が出たことは偶然かも。或いは気紛れかもしれない。自然からの恩恵を受けることのありがたさは、人間の望み通りにはならないことにも思える。
庭には、枇杷葉はもちろん、林檎の木も、桑の木もある。李や杏、プルーンもあるが、中々実を結ばないのが多い。我が家では、条件が合わないのだろう。植える場所も、月も、時刻もある。様々な条件が一致しないと、命は育たない。
夕顔。姿、形といい、神秘的。その匂いも優雅なり。