定期検査に行かず、横着をしていたが、今回の歯痛・肩凝りに暫し、通院することに。仕事の関係からか、左肩が重だるい。3連休には蒟蒻を当てていたが、一寸佳くなると止めてしまう。反省しきりである。それなのに我が身を省みず、他人の肩凝りを解す。
Aさん家に寄り、お好み焼きをご馳走になる。足が気になっていたので、手当てをする。世間話もしつつ、今年を感謝する。お世話になりっぱなしだが、水を戴けるのがうれしい。枇杷葉に援けられての一年を、過せたことは幸せと納得。自分の身丈に合う暮し。
リエさんには、枇杷葉の生葉も入れたから、宅配にしたが、サンタさんには、花芽だけなので郵便にした。どちらも年内に届けばいいと言う楽観。ふと旧暦では霜月なのに、目まぐるしい想いがしてくる。慌てないで、急がないでいい。心のゆとりを持っていこう。
図書館も明日から、年末年始の休館に入る。借りているのは、宮部みゆきの『荒神』。祖母が話していた、山ノ神さまのことが、思わず脳裏に浮かぶ。山を荒らしてはならない。汚してはいけんぞ。何でそんなことを云うのか、理解できなかったことが甦ってくる。
自然を敬い、恩恵に感謝し、生かされていることを祈る。たくさんの資産はないが、悪い事で儲けてないからいい。騙したり嘘をついたりもしていないので、却ってそれらが財産だ。自分の心の有り様で、毎日が過せて送れることも幸せ。ありがたいことである。
この1年も、自分のしたいことができ、リエさんにもしーちゃんにも逢えた。これではり灸さんが近くなら、何も言うことはない。考えようでは、遠いからこそ逢えることが歓びでもある。老後の予定を立てながら、なすがままに逝きたい想いが膨らむ。どうなるかな。
生まれた時点で、その年数が決まっているのを、如何に生きるかで人生への見方ができる。織り成す綾の様々も、其々に違う。その微妙な彩が、自分と他人とで見る色が異なる。それが当たり前で、決して同じ色は無いのだ。それを見届けたく想うこともある。
東京駅前の切手会館のツリー。リエさんが写メで送ってくれた。人工的な輝きには、綺麗だけど寒々しい感じが・・・。