昨夜は、布団に横たわっても中々寝付けなかった。然し、この暑さでは、自然と眼が覚める。友人が来るということもあり、身支度をする。新聞を読みながら、怒りが込み上げてくる。川内原発再稼動!電力会社の電気は足りているというのに。
1面には、福島第一原発稼動時の、津波の予測は可能だったかとある。当然あった。原爆投下しての現状を、アメリカは知っていたし、日本に落して、如何なる被害があるかを知りながらの投下であったのだ。人間を、研究材料に扱ったのだ。
原爆も原発も、事故が起きれば一瞬で人生が終わる。負の遺産と知っていながら、再稼動する。では、責任は何処の誰が?放射線物質を処理できないのを隠し、何が何でも基準に合格とは滅びの路しかない。自分には関係がないからなのか。
沖縄の辺野古への埋め立ても、県民がこぞって反対しているのを、政府は何故、強行に珊瑚礁を埋め立てるのか。珊瑚は人間ではないから?地球の自然など守る甲斐もないのか。人間が二本足で立って、考えることができるから偉いのか?
その思い上がった考えが、戦争へと突っ走り、この悲劇を生んだことに至るのは、惨劇を繰り返しませんと誓ったからではないのか。わたしたちは、平和を感謝して、暮していかなければならない。先人の過ちを、二度としてはならないのだから。
朝が訪れるということ、黄昏に無事を感謝するということ。食べられること、眠れること、青空を仰ぎ見ること、星々の瞬きに祈れること、贅沢の中に浸かっていると、何がしかの事例が見えないこともあるね。慎むと言う姿勢、我慢するという謙虚さ。
庭に水遣りを終えると、暫くして况になる。風が通る日とそうでないのとでは、涼しさも違うが、夏に汗をかくのは体に好い。冷房の利いた部屋で動かないで、冷たい飲み物では、体が参る。熱中症は心配だが、程々がいいのよ。枇杷葉茶で快適だ。
玄関の入口の左横。十粒ばかり付いている。一輪、一輪と咲いていく。思わず、顔を近づけて見た。