広島に、原爆が投下された。日本に戦争を止めさせることが、目的だったかもしれない。だが、アメリカはそのことに因って、人体への影響をデータで残していた。爆心地から、どの位の距離なら、放射能がどの位の威力になるのか。真実を隠している。
下重暁子さんの『家族という病』。文章が簡潔で、然も痛快である。その中で、佐藤愛子さんの晩鐘を上げられていた。読んでみよう。下重さんの書かれていることに、少し怯んだ。そうなのである。やはりかくいう自分も、甘えていることに気づかされた。
両親が亡くなって、兄と妹は結託し、邪魔者にしているが、漠然と幼い頃から胸の中にあったことだ。兄の小狡さと妹の処世術には、年期が入っており、相当に手の混んだ周到さだ。気づかなければ良かったのか?いやいや、縁が切れてよかったのだ。
友人が、午前中の運動をしてから、お茶を飲みに来る。自分も食べたかったので、握り鮨をした。材料は、トロ、青紫蘇、茗荷、しめ鯖、胡瓜、ウニ。卵は暑いので止めた。これだけの具だが二人なので充分な量だ。食後に無農薬の珈琲を淹れ、満喫する。
友人が帰った後は、疲れてしまい昼寝とする。夕方近く目覚め、庭の水遣りをする。薄桃色の百日紅は、やっと蕾がついたところ。朝の内に採っておいた、枇杷葉の生葉を焼酎に漬け、手当て用に少し除ける。サンタ枇杷葉には、硬くて大きな葉が多。
水遣りを中断し、茗荷と青紫蘇、味付け椎茸を手早く混ぜ、勤務先まで持って行く。何人分かを入れ物に詰めておいた。適当に分けて、と渡しておく。明日は早出だが、腐ってからでは遅いのだ。帰宅して、水遣りの中断を再開する。少しは涼しくなった。
クリスマスローズが咲き、春になった思いに浮かれていたら、小雪が舞う。春の雪は、直ぐ溶けるが・・・