暦の上では、秋です。旧暦の文月は、れっきとした初秋。こんな時に想いだすのは、安房直子さんの、きつねの窓です。桔梗は秋の七草の1つで、野草の物は濃い色が特徴で、時折見かける薄桃や、その場所にしか咲かない白色もあった。
祖母が、竹で編んだ籠に、欠け茶碗を入れて挿す。薄暗い土間に、そこだけ明るくなったようであったのも懐かしい。十五夜には、女郎花、薄、萩を活けて、おはぎと一緒に供えていた。子どもの頃、ついと外に出れば見慣れた風景だった。
勤務を終えて、駐車場までの距離を歩いていたら、蝉がやたらと鳴く。地元の方に挨拶をして行きかけ、思わず足を止めた。子どもの姿が見えないのだ。その方も同様に呟く。蝉なんか、誰も捕らんよ。そうか、これが蝉時雨とも知らずだろう。
農薬を、特に草枯らしをやるから、蝉は幼虫で死ぬ。人間は、人でなかったらいいのかしら?自然からの恩恵を、一気に断ち切ることを平気で遣って退ける。自分では、何一つ作り出すこともできないのに。その時だけの、言い逃ればっかり。
自然が、気の遠くなる時間を手繰って創り上げた物を、人類は一瞬で壊してしまう。それが修復できないことも知っていながら、欲得だけでやってしまう。原発の再稼動で、核のゴミが出るのも常識だ。そのゴミを、処理できる施設が無いの知る。
青森県の六ヶ所村の、処理施設が満杯なのを知っていますか。これ以上の能力がないのに、原発再稼動させ、ゴミを増やしていく。戦争に使えば、金儲けができる。武器に形を変え、他国に売れば占めたもの。人類破滅の路に近づくんだよ。
日本は戦争をしないと決めたから、平和を保ててきた。スイスのように中立を表明するのでもなく、それだけで成り立っているのも際どいが、侵略の事実も、虐殺の真実も、認めて謝罪することからが始まり。歴史を正しく、詳しく読み解いていこう。
光度が、マイナスになると、輝きが眩しい。肉眼の視力の基本が、こと座のベガで、0等星だ。6等星まで観えればしめたもの。