枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

終戦記念日?

2015年08月15日 | Weblog

 ちと違和感のある日。戦争終結日の方が、好いようにも思える。戦後70年が経ったんだ。戦後生まれの身では、当時のことは知ることはないが、防空頭巾や、電球を覆う黒い布、千人針に、日の丸の小旗等、納戸にある行李に詰められていた。

 祖母の視えない彼方に向ける眼差しに、墓参りに上がっていく姿に、戦死した息子への想いをひしひしと感じた。お骨も還って来ない死である。シベリアに抑留された、と言う話だが、雲を掴むようでなす術もない。叔父は祖母は無念であったろう。

 祖母は、夫を早くに亡くし、息子を戦争で殺され、小さな子どもを抱えて、働くことしか頭になかった。朝早く起き、陽の登らぬ内に家畜の餌の草刈。夏は汗びっしょり、冬は悴むのを堪え、洗濯や掃除は手早く済ませ、ご飯を炊き食べさせ野良仕事。

 一時も休むこともなく、次から次へと段取りをして、貧しい暮らしの中で、生計を立っていた。祖母には、一日の段取りが何時もあり、確実に片付けることで、次へと進むのが、一番速いのを知っていた。天気を読み、雨の降るのや風向きにも長じた。

 自然と仲良くすることを心得ており、感謝し祈り、供えてもいた。祖母の姿には、無知なるが故に、自然を恐れ敬う気持ちが耐えずあった。三隣亡には、山に入ってはならぬとか。村の寄り合いは満月・望と決まっていた。提灯が無くても明るいのだ。

 暦を見て、その日の暮らしを立てる。それが妙に当るのも不思議だった。種蒔や、梅を取る時期、漬けるのも、収穫時もピタリと当てる。祖母の言うことに、間違いはなかったもの。それだからして、亡くなってその存在の大きさに気づいた。遅かった。

 枇杷葉の硬くてごわごわの葉を選んで採る。夕方の涼しい時間になって、フェンスの外に出て草を刈る。蔦が伸び放題のと、大豆の中に草が生えているのを取る。その後、水遣りをして、あちこち剪定をした。白枇杷の元気がないのを窓下に動す。

 葡萄を持って行こうと嫁に電話したら、実家に行っての帰りだと言う。遅くなってもいいから寄るように言う。夕食を済ませ、風呂も入っていたら、やっと来た。孫の顔もある。あの小さかった孫も、母親をとうに追い抜く背丈だ。吹奏部で頑張ってます。

 待ちにに待った春に、心が浮き立つ。庭の色彩も豊かになり、花が咲いていく。命があることに気づく。

 

 

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