薮入りは、年に二回であったから、その間は、ただ働きも同然に、朝早くから暗くなるまで身体を動かせていた。雇い主の良心的な所では、小遣いをくれたり、衣類のお下がりを貰えたりしていたらしいが、大半は贅沢など思いつかない時代。
さてさて、比べるべきことでもないが、生きていくことのなんと面倒な時代だろう。内田康夫の連載が、突然終了して、連載小説が変った。病気と有らば致し方ないが、自分の身体を省みない生活が、年齢と共に現実になったような気が・・・
青空市までの距離に、家の前の畑であったり、道路脇や河川の際である所に、意外と多く育っているが、放置されたままだ。それでも、畑に植えているのは、少なくとも入用な所以であろうかと、愛車を運転しながら、眺めている枇杷葉である。
来月になると、孫等の体育祭や、運動会があり、是非にと言うのでもないが、そこは観に行ってやりたく休日にしている。昨今の事情には、初夏に早々と済ませる学校もあり、良いか悪いかではなく、気忙しい想いがする。来月でも速く思うが。
秋の取入れが始まる前に済ませ、手伝いも兼ねて数日の休みがあった。尤も、田に出て行くことが条件であるが、子ども頃にはどっちがよかったか。昭和30年代は、貧しい暮らしが当たり前のことで、近未来への期待だけが、やたらと膨らむ。
何よりも、戦争が終わったこと、安心して電気が点けられることは、子ども心にも明るかった。貧しいのは一向に変りはない。働けど働けど・・・、今は真実、活字の読める環境に感謝するばかり。ありがたいことだ。それと暮し難いのは別だが。
平岩弓枝さんの、妖怪を読み直しながら、どの時代にも改革を起こそうとし、或いは遣ってきた人物の居たことに感銘を受ける。今の世は、自身を撤してまで、流れに逆流していく政治家は居ない。気骨のある人物も皆無。政治は金が掛る。
春分の日の月と金星。宇宙を観上げるのは、自由だし金もかからない。時間に追われているのが哀れ。