枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

雄大なる自然・・・

2015年08月03日 | Weblog

 勤務先は暑い。我が家は、そうしてみると涼しい。安普請の建物だが、枇杷葉のお蔭である。とても涼しい。今の季節は夏であるから、これくらいは当たり前田のクラッカー。暑いと言えば直ぐに機械に頼ってしまうのは、どうなんだろうか。

 日本の湿気の多い国は、先ずは家屋の材質が問題で、風が通り、夏は涼しくあることが条件だ。ペラペラの安普請ではそうもいかないが、暑さを凌げる旁であることは、何よりも大切なことになる。漆喰、障子や襖も、畳も穆かで温かい。

 然し、これには金銭的な問題があるし、以前のように腕の良い職人さんが居なくなった。材質にも問題がある。山が荒れて、育たなくなった。体力の著しく消耗をする職業は、敬遠される。経済的な理由も存在し、成り立っての生活が困難。

 でも。そういった暮らしの中では、どんな者にも、其々に役割があった。認知症状はありながらも、命を終えるまでの日々が、それなりに出来たのだ。今は、テレビを観るくらいしか、何もすることがない。この状態で、元気で長生きなど・・・

 生甲斐を持って、暮していける人ばかりではない。自由業にしても、農業・漁業、林業の何れも、サラリーマン化して、何時しか定年制になってしまった。後継者が居なくなる寸前を、慌てて掻き集めても、自分の意思が乏しく断念するよ。

 枇杷葉の素晴しさを、幾ら説いても、関心がなければ、馬の耳に念仏だ。信じる度合いにも因るが、探究心や研究心も備えてないと、続いていかないものだ。他人の言うことを、鵜呑みにするのも怖い。個人差があるものは、工夫が必要。

 青空市までの帰路。前方に三段になって広がる、神々しい洸の滝を見た。余りの素晴しさに見惚れていた。

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