枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

孫の受験合格に

2017年02月23日 | Weblog

 リエさんに天神さまのお札を、贈ってもらって、孫に渡していたのが効いたようだ。私立も、県立にも受かった、との報告に安堵する。リエさん、ありがとう!足が治りきっていないのに無理をさせてしまったけど、無事に合格しました。きっと祈りが通じたんだね。

 昨日は、突然の残業となり、今朝は早出に変更である。ストレスが溜まる一方に、タイガースを観て聴いている。沢田研二さん、30代頃が、一番いいかもしれない。それにしても、岸部四郎さん歌が上手かったんだ。恰好や顔は変わるが、魅力は同じですね。

 愛とは、如何なる姿になろうとも、変わらずにいられることだそう。その場限りでなく、生涯をかけて愛することには、心が清らかであることもだが、信念を変えないことも。ああ無情を読み返そう。自分を愛せることもだが、他人を愛することを続けられることも。

 人気が出ればそれだけ、自分への努力の範囲も広がるし、自由もプライバシーもなかったことは、想像に難くない。その重圧を耐えることの大変さに感心する。結構、いい加減なファンで、気紛れでは罪悪感が大きい。親の金でなく、買えたことに満足である。

 青春時代は、SFに昂じていたから、エイトマンやアトムであり、アシモフでもあった。人混みが苦手だから、コンサートに行くのも躊躇う。然も、小遣いだけでは行けない距離に、出掛ける気が起きなかったのも確かだ。そういった世界への憧れと現実は異なる。

 誰に気兼ねもなく、時間も金銭的な余裕も、今でこそあるが、当時は子育て中であったし、嫁の立場では憚られる。況して、田舎であれば尚更だ。随分と時間は経ったが、今が青春であり愉しい時だ。真実の宝物は、形など無い、永遠の時間かも知れない。

 幸せのあり方には、心の持ち方で違うものだが、今やっと自分が好きになれる。これがわたくしだと認めることができる。子どもの時には、厭で堪らなかったことも、今はこれでいいと想える。渡辺和子さんの、置かれた場所で咲きなさい。忘れていた大切な心。

 旧暦の霜月になると、庭中が芳しい香りで一杯になる。風が吹けば、室内にも漂ってくる匂いにうっとり。

コメント (2)
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