枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

立春・上弦・小潮

2017年02月04日 | Weblog

 立春 二十四節気の始まり。立春は、冬の寒気に閉ざされた万物に、春の陽気が立ち始めると言う意で、立春といわれる。毎年、二月四日頃である。昨日の天気とは、打って変わって、陽気立つ気配の天気である。布団を広げて、読書に精出す。

 昨日は、無事巻き寿しを作って配達し、Aさん家で水を分けてもらい帰宅した後、ヤング・スーパーマン・セブンを観ていたら、娘夫婦が来宅であった。巻き寿しを頬張り、豆撒きもし終える。ご飯は7合炊いて、15本を巻いた。流石に巻き疲れたね。

 材料には、何時もので済ませたが、胡瓜だけは買った。ほうれん草が無かったためだが、他人の口に入るとなると、色目もあるから仕方なく。以前には仕出し屋に行って、買っていた。美味しいのはむろんのことだが、価格の問題と、注文が面倒に。

 従って、自分で巻けば、安上がりで美味しいのであれば、とし始めた。これが、いつの間にか、職場で人気となり、食べたい者が増えた。然し、料金をもらう訳にはいかない。材料は、安上がりの物で、酢飯の味だけが勝負の、巻き寿しが断れない。

 テレビで、コンビニの巻き寿しがノルマがあると報じていたが、そんなもの開店した時からあったよ。でも不味い。味は決められたものだし、価格だけが高いのに閉口する。それなら、自分で納得いく味で巻けばいい。貧乏人には、知恵と工夫が可能。

 娘と息子の所は、強制的だが文句は出ない。娘婿は、大いに気にいってくれ、我が家に食べに来てくれる。息子の所は、くれるのであれば食べる。という按配。コンビニに知人が居た時には、そちらがあるからと断っていたが、出費を抑えたいのも。

 孫の誕生日。受験生でもあるが、腫れ物に触るような扱いをして、土壇場で受験できなくなったら、どうするのだろう。最悪の場合を考えておかないと、誰もが力を発揮できるとは限らない。その高校を選び受験する気持ちと、学んだことを活かして。

 介護福祉士の受験の時、裏の家には子ども4人居て、親は、自分の思い通りにならない苛立ちに、3番目の児を虐待していた。子どもは親を選べない。小さな児に、大人の言葉でわかる筈もない。泣き声ばかりがしていた。精神状態が限度だった。

 それでも大人であるから、受験できたのだろうか?加えて、受かったこと事態が不思議に思えるが、力の精一杯を使い果たした。毎晩、勤務の疲れと眠気との戦い、一つひとつを真面目に取り組み、落ちる可能性も捨ててはいなかった。念力かな。

 リエさん枇杷葉の傍にある。これは、9年も経っていない。長崎茂木の影響があるのか?4芽付いている。

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