枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

睦月、望・大潮

2017年02月11日 | Weblog

 寒さが続くそうで、枇杷葉の結実が心配でもある。花の咲く時期に、雪にやられると枯れる。早い時点で咲いてしまったのもあり、寒さにやられるのだ。長崎や静岡の地方では、暖かさが違ったり、温泉等があって、被害は少ないようだ。自然に任せるしかない。

 千葉県の房洲を境に、北陸地方では結実しないのは、枇杷が寒さに弱いからだ。春を先取る場所には、比較的生育がよい。我が家でも、東西南北に植えていて、方角に依っては、一向に育たないことにびっくりする。自然を相手には不思議なことが多く有。

 人類の人智の及ばない領域なのだろう。謎が解けることも善し悪しかも知れず、未知のことがあるからこそ、人類は援けあう。誰かに必要とされるから、生きていける。或いはそうでないにしても、きっと意味があるのだ。命は産まれて消え、受け継がれていく。

 昨日は、枇杷葉温圧療法と、塩で身体を擦っていたが、痺れが残っていて出勤を遅らせる。歩行困難とまではいかないが、可なり怪しい。冷え込みに因るものと分っているので、携帯懐炉を2つ貼った。身体の機能も、年齢に重なってくるのだと再認識したよ。

 腰と肩は、冷やさないようにしているが、何時も自分の選択ができるとは限らない。自宅にいれば可能なことも、職場ではそうもいかない。その折り合いのつけ具合で、影響が出てくる。真面目に一生懸命するのも限度がある。かといって手抜きはできない。

 そろそろ辞め時かな。身体を酷使しては、自分の老後も怪しくなる。金銭的なこともあるが、精神的なことの方が大きい。共感することには、心を押し隠すことも含まれるからだ。若さがあれば可能なことも、身体がついていかない。生身では不可能が生じる。

 日本の社会は、金持ちに優しく、貧乏には厳しい。大人の虐めは、相当手が混んでいて、秘密裏に消される。コンピューターに依って、全人類のデータは把握されている。未来社会に人権等無いに等しい。そういう仕組みにしていったのも、科学者の研究次第。

 東側のフェンスの場所は、花芽は咲いているのだが、中々結実に至らない。今年は、剪定もしたからどうかな。

コメント
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