枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

弁当作りに・・・

2017年02月01日 | Weblog

 勤務先の知人に、頼まれた訳ではないが、同じ種類の中味も続けば、もったいない気持ちと、ひたすら摂取という手段になるので、持って行って食べてもらう。これなら三日位の間隔になるので、献立を変えられる。材料が、一人分ではないので困る。

 店頭での購入も、並べてあるのを買わねばならず、量り売りはしてくれない。以前は、こちらの必要なだけ売ってもくれたが。人件費の節約なんだろうな。たくさん買えば、送料は無料、と言うけれど、要らない物まで買っては避けたい。暮らし向きが不便。

 毎朝、新聞には必ず、眼を通すが、最近のニュースに愕然とする。これからの未来を担っていく幼い命を、手にかける記事の多さに、気持ちが塞ぐ。愛情が湧かないなら、手元に置かないでほしい。邪魔にしないで、少し距離をおけばいい。命は一つよ。

 誰も見てくれないから、感情の赴くまま、虐待をして小さな命を消すのか。どんな理由があれ、殺めればその苦しみを一生背負う。外見には、どうということはないかも知れぬが、心の深い奥底には、鮮明に記憶される。親になれるのは人間になること。

 歳を経ても、その課題からは一生概逃れれない。人は皆、苦しみを、哀しみを、喜びも抱える。自分を愛してみませんか?他の誰でもない、自分自身を好きになって。命を与えられたのは、苦難に向う勇気もくださっている。生きること全てが尊いもの。

 わたくしには、信仰も、敬う神も、信心する御仏もありません。あらゆるもの凡ての命の源に、そこから使命を与えられて、この世に存在している。そんな風に想っています。地上に居る期間が長いのか、短いのかは不明ですが、役目を終えたら消える。

 野に咲く花も、其処にあるから美しいのであって、手折れば色褪せてしまう。人間であることを楯に、切ったり折ったりするのは、残酷でもあり傲慢です。木や草や花は、声を出して訴えることはしませんが、命を摘み取っているのは確か。祖母の行いを想。

 科学の進歩に依って、人類は住み易く、生活も豊かで綺麗で、便利になって来た。でも、そこにある落とし穴に気付こう。原発の恐ろしさを知って、人間の浅はかな考えを反省しよう。放射能で汚れた地球には、命は育たない。地球自体が再生できない。

 西側の枇杷葉。種類はなんだったかな?花芽は、早くから付くが、一向に結実しない。寒さの影響もあるのか?

コメント
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