子どもの頃は、貧乏が嫌で、貧しさに辛い思いをするばかりであった。自分が選んだのでもなく、もっとお金持ちに産まれたかった。と親に言っていたが、今は、それも好いものだと、想うことがある。残す物が無いということは憂いも無い。
子ども達は、それなりに生活しており、人生を終えたとて、別段困ることもないだろう。すばるのことはあるが、枇杷葉以外は、何もないからだ。枇杷葉屋敷の枇杷が、心配と言えば案じるものの、宇宙に還るだけである。命も同じだろう。
もう一度生まれ変るとしても、あの祖母と両親とがいいな。と想うのは何故だろう?親の最後を看取れる人でありたい。施設に通っても、預けてしまうのは淋しい。親に感謝し、一緒に暮らせる幸せを想いたい。戦争を生き抜いたのだ。
大勢の死んでいった者への、鎮魂の祈りを籠めて、生きていることのあり難さ、命の大切さを振り返りたい。戦争がおきてしまった事実は変えられないが、二度と起きないように、心して生きたい。己のことだけではなく、地球の平安を祈。
最近、厭な夢を視る。きっと仕事に疲れてきているんだ。勤務条件は同じ、と言うがどうだろうか。上司があらゆることで、部下に眼が行き届き、働く姿勢の手本となれば好いが、そんなことは至難の技だろう。家族の面会日を増やして。
洗濯日和の一日だった。風も程よくあって、棹ではためく。干していく端から、乾いていく。当分は天気らしいが、帰宅してみれば、鉢物の元気が無い。汲み置きの水を遣っておく。明日は、枇杷葉の根元に肥料を入れよう。糠と塩である。
そろそろ黄桃が出る。缶詰ではないので、一般の方には耳慣れない感が強い。食用の黄色い桃のことを、黄桃と言う。缶詰用は、また違うらしく、専用の物らしい。甘味もしつこくなくあっさりで、果汁はたっぷりである。リエさん待ってて。
枇杷葉の木も、それなりの大きさで、3m位はある。余り上にいくと、袋が掛けられないので剪定する。花芽は、片手位ある。