そろそろ百舌鳥が啼くかな?と空を見上げる。道端には、あちこちにテイカ蔓の白い花が、芳しく匂って群れている。電柱に絡み、回りの草に纏わって咲く。白い小さな花だが、風情は何とも言い難い。野の花は無心に咲くのが好い。
すばるは、寒いと潜ってくるが、凌ぎやすさでは足元に眠る。叱られたことは憶えており、こちらの言うことも分る。構ってほしくての悪戯で、顔を見ながら遣っている。昨夜は、1匹の蝿がいて苦衷から離れない。飛び上がって落下す。
だたんばたんと賑やかで、騒々しいので、キンチョールで退治する。未だ1年が来ないので、遊びたい盛りだろう。ご飯に鰹節の、猫まんまがお気に入りで、疾走してきて食んでいる。枇杷葉茶も、ゴクゴク喉を鳴らして飲んでいる。
今朝、冷蔵庫を見たら、具材があったので、散らし寿しに変更した。適当な妥協もいいところである。青空市で、隠元をかっていたのを茹でて、茗荷寿しにした。彩がきれいなのも食欲を増すね。錦糸卵は、日持ちの段階で取止める。
明日は、団地の草刈であるが、勤務に当っており出ない。昨日の内に作業は遣っており、見違えるようになった。自宅の周りは見栄えも大切で、箒で掃くのも一手だ。裏の家には常識が無くて、辺りに塵が散乱している。迷惑至極だ。
特に、煙草の吸殻を、処構わず捨てているのは、嫌悪感が伴う。吸うのは勝手だが、痕はきちんとするのが、大人のマナーだ。家の中さえ綺麗であればいい。という中途半端な考えには、賛成できない。まあ、非常識だからするのか。
秋の季節には、落葉も増える。桑の木の剪定もしたし、枇杷葉にも注意している。それでも風が吹けば、自然の趣きには逆らえない。せっせと箒で掃くしかない。草も、多少は生え方が違う。冬に備える準備期間だ。友人に糠を依頼。
大寒の朝に、庭に積もっていた。慌てて、箒ではたいたが、尚も降る様に諦めた。枯れた花芽もあったが豊作。