枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

文月二十九日

2017年09月19日 | Weblog

 抜けるような青空に、洗濯物がよく乾く。三日分の衣類で、畳んでも減らない衣料にうんざりするが、片付けねばならない。利用者さんとのコミュニケーション等、僅かでも作れば好い方で、粗方こういった作業と、トイレ介助に終始する。

 それでも、選んでするからには、平常心で行いたい。認知症と言う症状には違いないが、個々に大きく隔たりがあり、アクシデントは始終起きる。家族の事情もあろうが、施設に預けたらそれで終いではなく、必ず会いに来てほしいもの。

 それをまるで厄介払いをするような、或いは迷惑を持て余すような態度で、全く会いに来ない家族もいる。どんな事情があっても、老いて逝く親を、見棄てる態度は腹立たしい。仕事であるからというものの、心が折れてしまうことも有。

 今までには、嫁と姑の関係から、息子さんが苦肉の策で預け、しょっちゅう会いに来られるのが当たり前であった。亡くなっても、故人の話をして、偲ぶことができた。最近は、居なくなっても、新しい方が順番を待っていて、直ぐに入るが。

 その対応に、慣れて落ち着くまでの期間に、一苦労である。職場の人事もだが、在宅で十分看られるのを入れる。自分の親であることを、忘れているのだろうか。質素でも、不便でも、親子で住める幸せを思わないのだろう。何と淋しい。

 可と思えば、遠くの方から、大勢で訪ねてくださり、声をたてて笑われるのを、久し振りに聴いた。そんな遠くから、お嫁に来られていて、古里に帰ろうにも還れない。心はどんなに辛かったろうかと、胸が篤くなった。ありがとうございます。

 介護の仕事を続けられる、小さな想いには、相手を思い遣る気遣いが必要だが、口で言う程容易くない。資格でするだけなら、誰でもできるが、姉弟や親戚には適わない。どんな病にも、薬よりも効果がある。愛情の深さに頭が下がる。

 節分は、豆撒きをする。大好きな絵本に、おにたのぼうしがある。いわさきちひろさんの絵が思い出される。

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