枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

葉月、甘露・大潮

2018年10月08日 | Weblog

 二十四節気 甘露 秋涼増長し、露は陰気を含み、寒涼となる意味で、甘露と言う。毎年、十月八日頃である。気温も低くなり、肌寒さを感じるのが、湿気が多く、然も暑い日が続く。施設で、暖房やら冷房に切り替え、体温調整が出来なくなる。計ってみると、37.8℃である。早退正解。

 我慢強いというか、辛抱というのか、通草酒を何度も口に含み、トイレに通い、蒲団に潜り込んでいた。風呂など以ての外で、尤も入る気もしなかったが。今朝は、何とか起きて、梅干しで凌ぐ。洗濯と蒲団干しだけは、という気構えで遣るものの、さすがにしんどくてぐったりくる。休息。

 蒲団に居ると、すばるが心配をして、大丈夫かと遣って来る。冷房をかける訳にはいかずで、網戸にする。閉め切っていると、窒息する。自然からのやさしい空気が、人間にも花にもいい。枇杷葉の苞も、徐々に大きくなっているのも、愉しみでありうれしいもの。予定は全部中止にしておく。

 年齢と共に、無理の利かない身体になっているのを痛感。半勤務でも、時間短縮であっても、連日の出勤は出来ないことを知る。最近寝不足であったのも堪えた。睡眠は出来ていると思っていたが、熟睡の度合いにも依るのか。サイクルが変化してきたのか、様々に弊害が出てくるものなのか。

 このことを記憶して、今後は勤務も控えることとし、精一杯の遣り方を止めよう。自分の身体があってこそで、これは給料云々ではないと肝に命じる。倒れてからでは遅いし、誰も援けてはくれない。然し、年齢と共に、行動範囲が狭くなって来る一方だな。昨日出来ていたことが、翌日には。

 年齢を重ねていくことには、実に様々な当たり前にできていたことが、何故も簡単に出来なくなるのか?とても不思議である。家の中でも、段差ではなくても躓く。振り向きざま目眩がする。身体がだるさというか、倦怠感で包まれる。そんな筈では、という些細なことが出来ない。理解不能。

 身体の機能も、騙して使い、医者に罹らず、ぼちぼち生きるという選択には、儘困難も伴う。それでも、ゆっくりと遣っていかなければ、命を終えれない。神との約束の使命にも障りが出る。誰かの真似でなく、自分の信念を以って、人生を終えたいものだ。言うは易く行うは難し、でもあるが。

 隠れてばかりいたのが、ここが自分の居場所と諦めたのか、姿を見せるようになった。

 

 

コメント
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