あんを観た。仙太郎とわかなが、徳江の住む所を訪れ、もてなされた時に、ぜんざいを食べながら泣きそうな顔になった。美味しい時には笑うのよ。あの場面には、ハンセン病の方への無理解と、偏見と無慈悲があるのを感じ、わたくしもまた、心の底では、差別をしてきたのだと知った。
小豆を育て、収穫し、売り物にするまでの、お百姓の苦労に思い遣る。貧乏であったから、それを出荷するまでの、祖母の努力は見ているが、手伝いに文句ばかり言っていた。その小豆を、これほどまでに慈しみ、心をかけてあんにする、徳江の行動にさざ波が立った。風に雨に聴いては。
戴きます ご馳走さま には、心の籠った感謝があるが、言わなければとか、マナーであるとかでの言葉ではないのかも。自分では出来ないことを、誰かがしてくれる、そのことへの想いで言えれば、と心に沁みた。監督の腕もあるのだろうが、樹木希林さんの演技には、誤魔化しがない。
今朝の新聞の、女の気持ち特集に、沢田研二さんの往年のファンの方が載っていた。今回の騒動を受けての掲載かも、と思いながら読んだ。人気のある者には、やっかみも中傷もある。でも、沢田研二さんは彼だけで、他の誰でもない。ファンというにはおこがましい者だが、それも含めて。
ここに書くことでしかしないのは、以前、地元の新聞によく載せてもらって、名前が知れると、必ず注目され、何であんなことを書くのか、とまで言われ傷ついた。文字は残るのであって、言うには残らないからだそう。違うなぁ・・・そっちの方が余計に傷つくのに、そのことへの配慮なし。
自分のブログでありながら、名前を書かないのも、制約をしているのも、実名が解れば酷いことになるのが明白だ。但し、ここに書いているのを、知っている方も多少は居る。職場でも、何処からか漏れてしまい、内容を削除させられた。一時期怒りに途切れていた。莫迦を相手には出来ない。
雲があるものの、天気に蒲団を干し、枇杷葉の生葉を採る。葉裏に卵が産み付けられていたり、傷んだ葉を取り除ける。今年は花芽が凄い。初生りの木にも群れていて愉しみだ。西側のと北のは、花芽茶専用に決める。毎年のことだが、枇杷葉茶のお陰で身体がよろこび、生かしてもらうのだ。
パソコンの横の下で、隙を伺っているすばる。この上にはプリンターが置いてあるが、人形も居て。