秋の土用です。一般的には、夏の土用・鰻を食べるのを言うが、四季を通じてあり、活用範囲も広いのだ。暦を見れば、一目瞭然であり、様々に用途もある。農業を中心の暮しから、サラリーマンへの多様化で、薄れて来たのも確かだ。機械に操られる生活には、必要のないことかもしれない。
それなのに、季節のイベントだけは、儲けに繋がるのでやる。大量の廃棄処分も含めて、物が有り余る。かと思えば、明日の暮しの目処さえ立たない者も居る。可笑しな世界でもある。然し乍ら、変であるとかを感じない人間の多さで、反対意見を言う者には嫌がらせがされる。まあいいけどね。
何だか心の乏しい者が、異様に増えてきて、自分のやり方に従わない者には、文句を言うのだ。それも疑問に思えるが、正しいことを行う者に、間違った考えの大多数が、こちらが正しいと言う。判断の基準が全く異なるが、権力に潰される。殺人であろうとも、何等かの手立てを知らぬ間に行。
公衆トイレを使う際に、後の方が気持ちよく入れるように、配慮している?ドアを開ければ、何これは・・・という状態もある。そこを使わなければいいが、さりとて見てみぬ振りができるか。汚れているのを承知で使う?それとも我慢するかしら。出来る範囲内での掃除を心掛けるが、どうする。
職場でも、そこら中に手水が散らばっていて、ちょっと拭けば済むことなのに、唖然としてしまう。汚れていたら、綺麗にすればいい。綺麗であれば、その状態を保てるのがいいね。とは思うのだが悲しい。若い者も、年配であろうとも自分のしたことは、責任を取りたい。価値観の違いに呆然。
オリンピックが始まれば、トイレの使用方法が分からずに、右往左往される方もおいでではないか?片言の英語で、通じるかは別だが、混乱に陥るのは、想像に難くない。加えて、夏の暑さであり、狭い空間には違いないのだ。細かい処迄配慮して、選手達の力が出たり、応援が可能だろうかな。
日本人のおもてななしには、裏の心はありません。という表示だが、さてどうかしらね。表舞台の華々しさだけを見てでなく、さり気ない裏方の気遣いまでは無理だろうなと思う。自分では気づけないことを、他人が注意してくれたら、素直に聴く態度がほしい。幾ら丁寧な言葉使いができてもね。
庭の枇杷葉の下で、何本かは咲く。すっきりと立つ姿に、白い色に心が洗われる想いもして。