枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

あん

2018年10月15日 | Weblog

 ポプラ文庫。活字が小さいが、内容に惹かれて一気に読んだ。樹木希林さんが、出演されている映画は観ていない。それでも、状況は理解できた。心情が伝わって来るし、季節の移り変わりや、人間の傲慢さに、他人事でもない。健常者であることの、一体何が違うのか?ハンセン病への蔑視。

 長島愛生園を訪ねたのは、初夏の事だった。海の側だけに、冬は厳しく、夏には暑いだろう。ここで。ここから出ること叶わず、命を終えた方々の多さに愕然とした。逃げられないようにと、島と陸とは海に遮られている。ここに橋が架かっても、伝染すると恐れられ、知ることもなかったの。

 子どもなら親から離され、大人であれば家族は村八分だ。言うに云われぬ差別の中で生き、これまでの生活を続けて来られた。胸が押しつぶされるようで、読後暫くぼんやりとなった。作者の想いに心が動き、この映画をきっと観よう、と思う。砂の器は、殺人者になるので、気持が塞いでいく。

 権力と云う名の下には、これまでの歴史で多くを学んだ。ハンセン病・ライ病は、長く隠されて来た病名だ。見つけ出して隔離し、伝染しないようにした政府。薬さえあれば治る病に、国は本気で向き合わなかった。徳江が、わたしにも夢があったのよ。と話す。その権利さえも、奪われていた。

 作中では亡くなってしまうが、樹木希林さんは、予告なしに会いに行かれていた。自分がハンセン病で、強制隔離されていたら、どうしていたのか?徳江のようには生きていなかったことは事実だ。世を恨み、病気を呪って、他人のせいにばかりして、命を絶っていたかも。と、空恐ろしくなった。

 わたくしにできることは、あん を買って、読んでもらうことだろう。価格も然程ではないし、中学生や小学校の高学年には読める。映画も、可能な限り薦めてみようと、できる範囲内でのことで。本屋に注文しに行こう。ドリアン助川さん、引き合わせてくれた樹木希林さん、ありがとうございます。

 この後、本屋に出掛け、5冊注文して帰りました。知人等に配ろうと思っていますが、代金をくださるのは辞退いたしません。それでも読んでくれればうれしい。自分の信念を通すことは、他者へのやっかみや中傷にも繋がり、思わしくないことでもあるが、あんの声が、雲や樹の言葉が聴ければいい。

 安房直子さんの、きつねの窓。この薄紫というか、青い色が出て来る。花は野にあって可憐。

 

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