枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

秋深しとなり・・・

2018年10月14日 | Weblog

 秋の名物となっている、濃霧が行く先を隠す。ライトを点け、速度を落としての走行である。勤務の往復に、一級河川があるので、早朝時には発生する。従って、交通法規を守れば、事故の無く行ける。と言うのも間違いで、こちらがそうでも、皆がしている訳ではないもの。気をつけよう。

 車も、仕事に行くから乗るのであって、そうでなければ歩けばいい。尤も、事故に遇うのは昨今では避けられない現状だが。以前にも書いたと思うが、危険回避できる設計にしてほしい。ぶつかる寸前を、避けられる機能搭載。ところが価格が高くなる、とあって、庶民の感覚には乏しい。

 ドリアン助川さんの、あん が図書館にあると分かり、予約して借りた。惹きつけられた。樹木希林さんの顔が浮かんだ。演じているというよりも、略その方であった。話し方にも、動作にも純真さそのままの人物が思われた。ご本人にはお会いしたことはないし、映像なのに万感胸に迫る。

 ハンセン病の物語は、砂の器が、余りにも有名だが、看護師の記録の、小島の春も目を通した。長島愛生園にも足を向けた。施設の中も歩いたり、資料も読んでみた。これは小説であり、フィクションだと分かるが、言葉の中に籠められた、人間の生きざまを曝け出している。監督も主演者も。

 身体が正常であれば、不自由な方への、偏見や差別に走る。人間への差別には、自分よりも弱い者、思考的なことや、宗教もそうだが、異なる相手への蔑視等、優位に立つことによって、哀れんだりをする。本人の責任もなく、況してや親さえにもないのに、ご立派な方々は、優越感に浸るが。

 砂の器は、主人公が殺人を犯してしまい、逮捕に至る過程を描くが、追い詰められていく心が哀しい。わたくしにもきっと、人を殺めてしまう気持ちもある。これほどに酷い国策であったら、悲劇も無くならない。樹木希林さんが、亡くなられたのも、何だか命の終えることを察しておられた。

 そこに書かれてある、一字一句が、日頃からわたくしの話していることと、似ているのも驚きだった。そうねぇ、枇杷葉に話しかけ、お陰を分けて貰い、エネルギーに換えてくれるのもあり難い。心が無くては、失ってしまっては、枇杷葉も育たないのである。宇宙との繋がり、生命の不思議。

 陰に隠れるばかりのすばる。文庫本箱と比べても、小さい。詰りは、隠れていても見つけられない。

 

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