春は目出度きかな。うららかなお天気に恵まれて、洗濯物もよく乾く。布団もふかふかです。合間を縫って、巻きずしの具を作り、太巻きを10本巻いた。孫たちもしっかり食べるので、一人前です。干瓢に卵焼き、ほうれん草にかまぼこ。沢庵も入れた。穴子はAさんが、焼いたのをくれて、半分に切って入れる。椎茸をどうするか迷ったものの断念した。
寿司飯と具が、ちょうどいい加減にしたら、ぶっとくなった。目一杯、口を開けてもかぶれない気がする。案の定、口からはみ出した。でも美味しいからいいかな?とへんな所で納得。豆まきをして終了。以外に忙しかった。陽射しが軟らかくて暖かなので、用事がたくさんできた。動いていると汗ばむ。数日前とは信じられない気温です。
銀河も、縁側に出て来て日向ぼっこです。寝そべって、じっと体をお日さまに当てているが、時々体の向きを変えるのは、毛色が黒なので、熱くなるらしい。不便だなぁ・・・お腹の傷口を舐めているが、猫の習性なので仕方ない。洗濯物も乾いたので取り込み、Aさん家に卵を買いに行く。放し飼い地鶏の卵なので美味しいです。
帰宅して、息子の家まで巻きずしを配達。娘夫婦も来るというので、現地集合。巻きずしを食べ、豆まきをして解散。明日は、午前中に荒神様へ、お砂と御札を頂きに行きます。雪が降らないとは思うので、家内安全と無病息災を祈願してきます。北上するので、雪があると難儀です。1年に1度なので、道順が未だに覚えられない。
明日は、孫の誕生日で、今度は手巻き寿しをする。例年のことだが、よく食べるのに感心するが、作る方は代わり映えしない。何という事はない、要はプレゼントであろう。4年生になるのだからと思うが、妹の持っているのがいいらしい。意外なことに、同じでないと小競り合いが起きる。お年玉も札は要らず、百円玉がいいという孫である。
木村秋則さんの著作を読みながら、自然栽培の重要性を考えた。化学肥料の殆どは、大気に混ざって、オゾン層を破壊することに驚いた。また、土の温度によって、作物の出来が違うことにもびっくりした。それで思い出したのが、祖母のやっていたことだ。畑に作る野菜の種蒔に始まり、じゃが芋やサツマイモの苗の植え方が、浅い位置にしていたこと。
隣の畑や他所の畑では深植なのに、祖母のやり方は、粗い土をざっと乗せているだけ。それなのに、大きな物ができ、収穫は多かった。祖母のやり方は、理に適ったやり方だったのだ。でもそれが、どうしてわかっていたのだろう。絶えず、空の雲行きや、星の数を観て、雨の降ることを当てたり、天気が続くことを知っていた。
祖母の知恵は、母に半分くらいは受け継がれたが、孫である私には、今更聴くこともできないのだ。記憶の中に覚えていて、思い出せることしかできない。跡取りの兄や兄嫁には、到底そういった手間や、時間での農業はできまい。枇杷葉の苗を植えたい。と言った私に兄は、こんな荒れた山土には、何も育たん。と、言い放った。
でも、私にはわかる。あの土の匂いは、自然がもたらした恵みに他ならない。宝の持ち腐れとはこれを言う。兄には便利で快適な生活しか、頭にない。先祖や、自然を冒涜していては、自分たちの生活の基礎が崩れていくのに。と、腹立たしく嘆かわしい。昔のように麦を植えておけば、土はやわらかみを増す。もったいないなぁ。
お正月の花芽。まだ蕾が多く、咲き切っていない。12月の暖かさがなければ開花せず、蜜蜂も来ない。花芽はたくさんついたが、実が生るのは幾つだろうか?
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