有吉佐和子さんの『複合汚染』には、近い未来に、地球全土が農薬により、様々な要因で汚染され、環境を破壊して、住めなくなることの危惧を記している。福島正信さんも無農薬出の自然栽培を提唱されていた。木村秋則さんの、講演のDVDを観させてもらって、夙にその思いを強くした。
林檎の無農薬栽培は、失敗すれば、その代償が大きいが、稲や野菜は少なく、やってできないことはない。と、訥々と話されていた。私が、農業を、百姓を嫌った理由の一つには、農薬の臭いを嗅ぐと気分が悪くなってしまうことにあった。実家でも、婚家でも、体中が拒否して、吐き気をもたらした。
でも当時には、原因が、まさか農薬であろうとは、疑うこともせず、ただただ横着な者であり、役立たずの嫁であったのだ。家人は、医者に行けとは言っても、農薬による体の異常とは、思いも馳せる相手ではなかった。農薬は、便利ではあるが、使い過ぎたり、慣れ過ぎたりすると、平常での感覚が判断し難くなる。
枇杷葉を育てていることによって、ほんとうにいろいろなことがわかる。枇杷葉が大気汚染に一役借っていることも、庭に種を植えて、大きくなったことで納得した。それまでは、車の往来が激しく、動悸はするし、目眩やアレルギーの類で、生きているのも難儀な状態であった。庭中に、枇杷苗が育ち始めて、呼吸が楽になった。
枇杷葉は、お茶で飲めば、体内の血液を浄化させ、庭に植えていれば、空気をきれいにする働きがあるのではないか。況してや、夏中の暑さも凌ぎやすく、冷房など必要ない。枇杷のお手伝いどころか、自然のもたらすエネルギーを、分けてもらえること夥しく、援けてもらっての生活だ。これほどに感謝することがあろうか。
人間だけがよければいいのではなく、野菜や米の気持ちになってみれば、わかるのではないのか。と、言われていたが、ほんとうにそうだ。と、思うのです。昔の人間の知恵は、理に適ったものが多く、宇宙の摂理を、学校で教えてもらわなくても、体で知っていた。自然への想いは感謝することに尽きる。
祖母もまた、自然と対話し、自然の中に生き、自然に還って往った。今更気づいても遅いが、せめて枇杷葉で、祖母のしていたことができたら。と、しみじみ想うのです。いつか祖母のところに往った時、土産話の一つもしたいものです。それまで私にできることはないだろうか?と、試行錯誤しながらも、枇杷葉と一緒にいたいです。
南側の茂木の赤枇杷。前年度の月末に、雪に見舞われた。その後、大慌てで寒冷紗を買いかけました。
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