枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

記憶の曖昧さ

2010年09月28日 | Weblog
 例えて言えば、何等かの目的でしようとすることがあった場合。もしそれが、悪事であれば、人間は可なり性格に記憶している。だからこそ、事が露見した途端に、白を切るのだ。やっていないとか、そんな心算はなかった。とか弁明する。悪気がなくて何故できる?故意にでなくて、犯人にはできない。私なら、そういったことを想定して、緻密な計画を練っておく。だからこそ、敢えて悪くならないように、設定をしておく。

 赤穂浪士が、吉良上野介邸に討ち入ったのは、12月14日未明。月の出はなく、折りしも雪の降りしきる中を選んだのには、其れなりの理由があった。これは旧暦でないとさっぱりわかりません。大石内蔵助は、藩内で『昼行灯』と陰口をたたかれていましたが、財政を預かって、切り盛りをする重要なポストにいました。主君の無念さを晴らす想いには、如何なる決断を考えていたことであろう。計画は入念に練り、決行は1度で成功させる。

 事が成就した暁には、逃げも隠れもしない正義があった。曖昧な記憶ではなく、証拠隠滅も図らない。忠臣蔵、と言われる所以です。47義士の一人が抜けて、実際は46人だそうですが、表門と裏門と、二手に分かれるには、この人数が最適です。多ければ、力を過信して、手抜きをしてしまう。少なければ気負いも生じて、蹈鞴を踏んでしまったかもしれない。加えて辺りは、月の出る前の闇で、味方の合言葉は『山・川』応えられなければ敵である。

 人間の記憶も、日々薄れていくが、そこは心が咎めていることでもあり、鮮明に覚えていよう。人間の頭を輪切りにして、機械にかけるMRIが、こういった犯罪に役立てられないものか?自分の眼で見たことは嘘はつけない。また、言葉も同じで、白々しいものである。そういったニュアンスや、トーンを聴いて、事実を記するのが、検事や弁護士であろう。本当に守らざるは、殺された者の無念さである。

 枇杷葉茶を飲んでいると、風邪を引き難くします。この季節は、気温が不安定であったりして、体調を崩し易くなるので、心しておきましょう。Aさんの体調不良は、お粥を食べていなかったためだ。私の体でないからいいが、その責任を自分で取らないので困る。言い訳をする。屁理屈も言われる。いくら枇杷葉茶を飲んでいても、効目がいま1つなのです。今日は、自分に都合よく解釈されていました。やる気がないのはしりません。

 電線に止まっていた、鳶です。猛禽類ですね。嘴が曲がっていて、鋭い眼をしています。
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