枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

人間であること・・・

2020年07月11日 | Weblog
 難題でもある。神が印してくれるとは限らない。自分で不安を抱えて進める程には強くもない。良き相談相手にも恵まれない。何時も手探り状態で生きるが挫折は多々あり、心が折れてしまうものだ。事件が起きれば何故と言われるが、当人にとっては切羽詰まってのことであろう。でも、何等手落ちのない命が消えるのは痛ましい。他人が口を填める立場でも、どうこう言えることでも。

 今朝の新聞紙面に、唐揚げの記事が出ていた。美味しく作るコツは、失敗をしながらでも遣ってみること。然し、大量にではなく少量で試すのが好い。後始末に難儀するのと勿体ない。此処には無かった美味しさの秘密もあり、それをすると更に旨くなる。ためしてガッテンだったかな?下準備するのも醤油と大蒜、生姜や胡椒も入れ、一晩冷蔵庫で寝かす。但し時間経過と共に辛い。

 基本では1時間が目安であり、好みに応じてやればいいのだ。唐揚げ粉は使わない。べっとりして時間が経つと不味くなる。また、子ども用や高齢者向けには味を工夫してほしい。味醂を入れると焦げ付きが速いので注意を。使った油は廃棄しても好いが、炒め物や何かとすれば美味しい。何度も使うのは味が落ちるが、精々3日間程度での使用に。捨てないで使い切る工夫もね。

 地球は人類だけの棲む星ではない。人間の行うことが地球にどう働き、結果として還って来るかを考えたい。便利で快適な明るく素晴らしい環境は、何のための生活なのだろう?化学は進歩しはしたが、宇宙にまで塵をまき散らして、地上に降ってくる。核兵器は製造され続け、核燃料の廃棄場所も狭まる一方だ。考えてみるがいい。自分の身体のあちこちに、爆弾を埋めてしまえるの。

 枇杷葉茶を飲用していると、身体の異変に直ぐ気づくので有難い。肩の痛みも軽減された。枇杷湯に浸るので角質は剥がれるし、肌は粉を噴くこともなくすべすべの艶々となり、余分な化粧品を買うこともないのも助かる。サプリメント等当てにしなくていいし、惑う気持ちもない。腰痛も頻尿も、膝の痛みや水も全くない。大薬王樹・無憂扇とは佳く云ったものだ。コロナも恐るに足ぬ。

 現代になってから表面化しただけで、古来より存在していた菌である。その時代に添って出て来たもので、皆、持ってはいるのだ。癌も然りだろう。紙面を見ればコロナのことばかり。それよりも大事なことがあります。アメリカからのオスプレイ購入費が幾らかご存知かな?国債の発行で資金は底をついている筈なのに、何でそんな武器が買えるのか。アメリカでは不具合の製品なのに。

 国民の大多数が幾ら反対しても、辺野古への工事は続行される。各地の基地での事故は日本での裁判権はない。捜査さえ出来ない。戦後、アメリカに服従する状案があるのだろう。もお、沖縄苛めは止めよう。国会議事堂の側に基地を持って来、原発もそこに置こう。危険に晒される恐怖を味わいながら施策をしてはどうかな?自分達に無関係という態度に憤るのだ。差別じゃないの。

 子どもの頃に観上げた月や、宇宙の素晴らしさ・美しさは心に鮮明に残っている。無償で観られる幸せも、何時までのことかな。
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雨になる。皐月

2020年07月10日 | Weblog
 昨夜から音も無く降っている雨である。パソコンの画面が突然変わる。持ち主の許可も無く、勝手に操作画面が移るので、機械オンチとしては狼狽える。然し、表示の画面を消したばかりにクリックすると、とんでもない事態になってしまう。以前にも契約のサポートかと情報を入れたら、よく似てはいるが異なる会社で大金を騙し盗られた。返金手続きも消費生活サンタ―では個人で。

 それが分からないから相談しているのを、パソコンのことはパソコンでないと出来ないと宣う。そういったことが分かっていれば騙されないし引っ掛からない。庶民には痛い出費である。対処方法ももっと解り易く、且つ簡単に出来るのが好ましい。要はパソコンもスマホも、自分での操作になるため、個人情報とやらで極力困難を伴うのだ。従って携帯を止めたら変更手続きはしない。

 昨夕、耳がやたらと痒くなり我慢していたが予報が当たる。科学的な根拠はいざ知らず、何故か雨の前には痒くなってくる。以前は頭が軋む位痛くて堪らず、薬を服用していたが胃の方に回ってくる。薬害と知って止めたが、ドクダミ茶やら刀豆も飲んで枇杷葉茶に絞ったら効いた。胃潰瘍になる寸前であり、七転八倒の痛みは辛くしんどい。雨の降る前には予兆があるものなの。

 冷房は未だ点けていないが、肩が凝って仕様がないので枇杷葉の生葉を当てている。冷蔵庫に入れているのを半分に切って貼る。葉の大きさが30cm以上なので、切らないと貼れない。あり難いことに大きな葉が繁っている。品種は田中であろう。昨年が生り初めであるが、今年は数個だけであった。発育が物凄くて一気に3mを越した。薔薇と芍薬が消えて枇杷葉が残り育つ。

 幼児は、手間も掛かるし世話もしなくてはならない。産んだ責任だけがあるのでもなく、育てていくことも大切な事。でも、親になった人間が、そういうことに気づいて子どもを産めるかと言えば、誰しもに当て嵌まることでもない。結果が悪ければ親の責任を問うが、孤立状態であれば誰に相談すればいい?核家族になっている現状で、他人の目から逃れて生活していれば尚更。

 厭な世の中ですね。誹謗中傷にしても、昔からあったことだし、差別も然して変わらず続いている。子どもの世話に関しては、人情があって誰かが見ていたものだ。何時の時代にもそういう親は居たし、子どもをかどわかされたり、人買いに売られたり、殺されることも後を絶たなかった。唯ね、大人の責任として、見てみぬ振りが出来ずしていたんです。それも私財・身銭を切って。

 生きていられれば何とかできます。年金暮らしであるから贅沢は出来ませんが、雨露凌いではいけます。お腹一杯にはならないかもしれないが、空腹状態ではないでしょう。汚れなき悪戯を観て、涙が止まりませんでした。イエスの愛には遠く及びませんができることは有る筈です。近所に第二子が誕生して、後追いが始まり泣き叫んでいますが、母親が大声で怒鳴っても止めぬ。

 親にしてみれば二人目ですが、その児にすれば慈しんでくれるのは母親です。自分だけの親だと思うのは当たり前でしょう。産まれて動き回ることもなく、静かに眠っているだけの時期だけ、親の思うようにできたのですが、幼児であってもそういう愛情はよく分かる。泣き叫んでむずかれば、自分のご機嫌を取ってくれるし、構ってもくれるのです。してくれないと大声を出す。

 白いクリスマスローズがやっと咲き出す。匂いは微妙にするが、注意しないと分からない。開花時期は長く、このまま種ができる。
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梅雨でもあるので・・・

2020年07月09日 | Weblog
 昨日の時点では、市内まで行こうかどうしようかと悩み、夕方やっと決断して今朝段取りを考える。曇りであり未だ雨は降りそうだ。鶯が子育てに忙しそう。早朝には何事か!と思う程の囀りで、時鳥やらヒヨドリの鳴き声で起こされる。時計代わりになっていいのだが、余りの賑やかさに閉口する。野鳥は、子どもの頃には焼き鳥であった.。

 弁当を届けてそのまま駅に向かう。折よく接続の電車があって乗り、車内も空いていて座れる。駅に着いて目的の場所に行き、支払いを済ませて荷物を受け取り、Uターンをして帰る。駅で本屋に寄ろうとしたが、閉鎖中で無駄足だった。食事処もどうなのかが不明で、電車の時間が直ぐであったので乗る。帰宅したら昼であったのも安堵だ。

 食欲も余りなく抜こうかとも思ったが、弁当の残りがあるので素麺を茹でる。すばるは、箪笥の上で寝ていたらしい。呼ぶと姿を見せた。その後は網戸にしたので出窓に移動した。餌も枇杷葉茶もたっぷり容れてあるから腹が空けば出て来る。飼い主に甘えるのは、トイレの床替えの催促もある。着替えて洗濯し終え安堵する。青空は雲が多い。

 桔梗が庭の片隅で涼やかに咲いている。紫と白があるが、今のところは紫が先だ。林檎の花は咲いたが結実には至らず。先日出窓から風で落下した鉢は、何とか付いたようだが安心はできない。今が夏でよかったよ。何でもかんでも窓に置くのは好いが、風の勢いにまでは気が回らなかった。だから自然には逆らえないのである。元気になって。

 年金暮らしになっても、旧暦のカレンダーと暦は買う。新聞も購読したい。テレビを観ないが情報はパソコンから入ってくる。従って、新聞もそこで見ることは出来るが、どうも紙でないと落ち着かない。華氏451度だ。書籍の殆どは図書館から借り、どうしても必要なら買うが失くても命には拘わらない。死んだら子ども等は多さに仰天だ。

 終活が中々出来ないのも、書籍の類や趣味の多さに頭が痛い。おおっ、枇杷葉の生葉を貼っておこう。現代農業の先月号に、腰痛や頭痛に蓬の葉が効くとあったが、枇杷葉も効果が大きい。個人的には、枇杷葉さえあれば症状に応じて対応できるので重宝。仕事を辞めた時点で、保険にも入らない。介護保険は強制的に徴収されるのが迷惑だ。

 身体中の血管の動き・働きを促し綺麗に保ち・身体を冷やさないようにする。これに食材の生姜や蒟蒻の応用も好い。野菜も旬の物を使い、季節に因っては工夫を惜しまない。胡瓜やトマトは夏の物。茄は秋口までとし、その時期に採れる物での献立を考える。コロナに打ち勝つ体力作りには、免疫にも抗体にもなってくれる食材で対応したい。

 料理を全くしないで、その他のことにも無頓着なら、それは親としてどうかな?とも思えるが、個々の性格や考え方にも、況してや年代や環境の影響のも因ることがある。わたくしだって、横着をすることも手抜きもします。体調不良の時があるからね。でも、基本は外食をしたりすれば経費がついていかない。自分で出来ることはやっている。

 〇〇のくせに。という言い方には如何せん腹が立つ。其処には女のくせにとか、相手を見下す言い方があって、何を根拠にしているのかが不明だが、明らかなのは侮蔑や差別でもあることが多い。幾ら頭が良く勉強が出来ても、相手のことを慮り自分のことよりもという態度ではない。そういう人は初めから言わない。何処が民主主義なんだ?

 初秋になりかかると、蒲団を探して居場所を固定する。出窓に居るのは朝の内で、その後は風の抜けない場所に。
 

 
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五月雨も、八せん始まり・中潮

2020年07月08日 | Weblog
 明け方、窓が明るく感じられて来て、雨が止んだことを知る。梅雨前線が停滞しての集中豪雨であり、地球温暖化の影響と云うが、人類が自然からの警告に耳を貸さず、各々が自分達の持ち物だと所有を主張して、肝心な祈りと感謝を忘れてきたことにも因ろう。山の手入れを怠れば、其処に在るものが犠牲となる。人間に対してだけではない。

 この国の有り方に疑問を持つ。民主主義で自由・平等とも言うが、一体何がどうあっての民主主義なのかが不明でもある。これでは、権力者だけが美味い汁を吸って、自分達の思うように施策している感じを受ける。コロナでの自粛も解禁も同じで、きちんとした補償を打ち立てないから罹患してしまい、終息どころか新たな展開となるだろう。

 弁当を届け、Aさんちで水を分けて貰い、図書館に寄って予約本を受け取り、手塚治虫展をしているのをデジカメで撮影する。可なり大きなスペースでの展示であり、わたくしの蔵書ばかりではないようだ。リエさんに送ろうと携帯撮影するが、宛先不明でいかなかった。知人がこれから行くと連絡して来る。雨が上がったことも有り退屈かな。

 小一時間、枇杷葉の話をして珈琲を飲み、お八つも食べて帰って行った。枇杷葉の生葉も採ったのがあり持たせる。足の痛みも、膝の曲げ伸ばしにも効果があるのだ。枇杷葉茶を飲んでからは、肌が更にきめ細かく艶やかになっているようでうれしい。枇杷葉茶は高齢者の夜間頻尿にも良い。身体の中から不純物を廃棄する働きもあるので試して。

 誰しも自分都合ばかりを優先してくるが、極力相手に合わせている。皆がそうであれば諍いも無く、大きな戦争にも広がらない。何が何でもと戦争へ駆り立てる言葉にも態度にも信用はない。責任の一つも執れないで、他人を使うことばかりを考える。そのためなら何でもやる。加えて、儲けは分らないように隠す。仮に露見しても白を切り黙秘。

 天気にほっとしていたが、ふと庭を周ってみるととんでもない。急遽、お酢を薄めたのを掛けておく。薔薇の蕾が出ている。カラーも雨の間に大きくなり、桔梗が咲き出している。通草も大きく育ち、百日紅が咲き乱れる。朝顔の蔓もフェンスに絡む。紫陽花と梔子は、そろそろ終盤かな?沢山の花を見せてくれて次へと渡していく季節の花々です。

 室内に居ても暑さを感じ、網戸にしてはいるのだが汗ばむので着替える。知人の来訪時には姿を隠していたすばるが、箪笥の上から降りて来た。賢い仔です。アンパンの芥子パンが好きです。皮の方が好みなので飼い主と半分に出来る。缶詰も、シーチキンは然程でもなく、マグロのフレークは匂いでねだる。絶対に諦めないで飼い主に付いて来る。

 11月に入ると、そこかしこで開花し始める。早いのは長崎茂木だが、房州も田中も次々と咲き、そこら中に匂いが。
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小暑・大潮、皐月

2020年07月07日 | Weblog
 二十四節気 小暑 暑熱いよいよ盛んとなるので、小暑と言う。毎年七月七日頃である。五月雨を集めて早し最上川 河川は濁流と化し、大井川を始め川止めとなる。従ってこの時期の旅は、余程の用事が無ければ、外出を控え雨に対する手立てを講じていた。況してや、大潮となることや満月が近いと、満干潮にも気が抜けないものだ。普段から洪水となる場所には行かない。

 そういった古人の知恵が生かされなく、災害となってから慌てるが可笑しい。皆、そこまではとか、まさかねぇと気持ちが緩んでいて、避難の仕様に差が出て来る。教訓は何故生かされないのか?とても不思議な国でもある。コロナでは見えない恐怖に怯え、災害には起きてから文句を言う。自分の財産を増やすことばかり考えて、環境への配慮に欠ける。その結果がこれである。

 便利で快適な生活の落とし穴には、自分が填まっているとは気づかない。何もないと工夫したり、どうしたらいいのかと思案もする。自然への想いがあれば、警告として受け取れるものを、自分には無関係と通り過ぎる。マスクも買い物袋も同じで、足りてくれば作らなくなる。その時だけを凌げばいいのか?商品価値があり金を持っていて払えばいいの。人類の進歩は有得ない。

 枇杷葉に援けて貰っている者として、医者に罹ることも無く無事で居られることは、何よりも有り難く幸せなことだ。あらゆる療法に効果が大きく、自然の力を借りて気を高められる。然し、感謝と祈りと信じる心がなければ不可能でもある。神を信じることは、森羅万象への畏怖でもあり宇宙そのものを謂うのだ。命が集まり生まれる奇跡には、必ず神の意志があるのだから。

 湿気が多い上に肌寒い。弁当を届ける道中は暖房にしておく。帰宅したら、洗濯物が乾かずドライだけでもと思うのだが、一旦点ければ電気代も嵩む。大潮は本日までだし、明日になって来れば天気も変わるかもしれない。日本の四季の特徴と割り切ろう。衣類での調整でやっている。すばるは、毛皮なので可哀相にも思えるのだが。あっ、寒いのか。蒲団に潜り込んでいる。

 念のため、本日七夕ではありません。大洪水の中を大型扇風機でも使って雲を払い、天の川に橋を架けてまで逢うか?危険が危ないです。それよりも地域での七夕の方が未だまし(8月7日)加えて、本来の旧暦で行う方が宇宙は満天の星、銀河鉄道も観えるというもの。宮沢賢治の童話も、読み返してみることですな。日本の四季には、暦がなくては解からないことが多い。

 連日の雨に、片付けをしようと思いつく。ゴキブリの疾走にすばるが反応するので困る。仕事を辞めてから直ぐに遣ってはいるが、隅っこの方が掃除できない。兎に角書籍が多くなるのだが、それに糞をかけられるのがいただけない。文句を言おうにも捕まえるしか方法も無い。冬の間に卵を孵し増えているのだ。腹を立てても仕様がないのだが。皮膚の復活用に捕まえる。

 沢田研二さんのCDを聴きながら片付ける。現時点では部屋のスペースが決まっていて、横にするか縦にし換えるかしかない。重い雑誌類も半分以上処分したが、本屋に勤めていた時に買った趣味的類は、どうしても捨てられないのでそのままに。隅っこを開けて掃除をし易く片付けるに留まる。座椅子を廃棄したいが分解できない。使えないこともないが汚れてしまって。

 金星が外合となれば宵の明星で、内合となってからは明けの明星である。今年、最大光度になるのが10日だが。
 
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身体を休めて・・・

2020年07月06日 | Weblog
 本日、出掛ける予定を立てていたが、何となく不調なのと気分的にも予感があって止める。無理はしない。雨が降るからと言うのではないが、河川の水位が上昇して、電車が動かなくなる可能性もあるからだ。線路は一級河川の上を通過している。危険と分かるのに出向くこともない。まあ、死ぬ時には何処に居ても同じなのだが、厄を招くこともないだろう。

 身体がなまってきているのか?運動は嫌いだし、出不精でもあるので自分からしようとは思わない。肩の痛みが半端でないので、枇杷葉生葉を採って貼る。昨日一日遣ってみて、痛みは激減されたのを本日も続けている。焼酎に漬けてあるのが好いのだが、白い衣類には染まって落ちなくなる。生葉は、庭に沢山繁っているので何時でも採れる。カラカラになる。

 明日の弁当の用意をしておこうと、玉ねぎを刻み茄やピーマンを切る。じゃが芋は束子で皮を擦り切って入れる。弱火にしてブログ更新。弁当を届けている方は、葱類が苦手で、必ずほじくり出すと言う。玉葱は、血液サラサラにするし、安上がりで何にでも使える。それが出来ないとなると弁当の値段も怪しくなる。食材としても身体に摂っても無駄には不可。

 そこでカレーにすれば(小さく微塵切りか、摺り下ろす)と言うので、一応微塵切りとまではいかないが、煮詰めることにして用意をしている。とろ火にしたいが、ガスの火力が問題で消える。枇杷葉茶を沸かすように火を弱め、時間を掛けることにした。湿気が多いので廊下や板敷を乾拭きする。掃除機は煩いし電気代が要るので、小まめにするのが由でもあり。

 アイロンをマスクに掛けていて、ふと窓ガラスに眼がいく。汚れているではないか、と掃除もする。凹凸のある磨りガラスなので、汚れが入りこんでいるのだ。窓拭きは曇りの日がいいのだが激しい雨音にやる気なし。如何なぁとは内心で思うのだが、気力がついていかない。この時期の特徴なのかもしれない。えっ!本人の認識だろうってか。うむ。あるかもな。

 すばるが遊んでくれ!と絡まる。ほらっ、歩けないでしょうが。抱っこをすれば腕に吸い付いたり、肩に顎をすけて甘える。重いんだよ。パソコンの部屋の段ボールに入って毛繕いをしている。それが終わったのでマッサージチェアに上がり寛ぐ。気温が低いから寒いので、膝に来ようとするが居心地悪いのか。肘掛けに顎を乗せて目を閉じたり時折薄目を開ける。

 図書館は本日休館です。予約本はあるが、地元では予算がなく県立図書館か他から届く。田畑精一さんのさくらは、絵本なので買ってくれそう。リエさんのコロナの本も薦めておこう。カリーナのりんごは好いなぁ…、表紙も素敵なのよ。世界中の原発が稼働しなくても、その事後処理には莫大な金額と年数が掛かる。それが分かっていて人類は造った。愚かです。

 フェンスに絡ませ、駐車場の出入り口を覆った深紅の薔薇ですが、翌年には新芽を出したにも拘わらず枯れてしまった。
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皐月、望・大潮

2020年07月05日 | Weblog
 九州の被害が甚大になったのは、月が満月に近づき、大潮と重なったからだが、こういう自然の摂理を生かしての避難をしなかった事には、他人の言うことに頼り過ぎている帰来がある。水害氾濫の要因が分かっているのに、対策を怠って来たからか?厭々、重点的にはしていても、自然からの警告を見極め、そういった場所に家屋を建てないことも大切なこと。

 古来より、その場所に定住していれば、どういった時にどうなるかの判断や知識にも長けよう。慣れとしか思えない。河があることは肥沃な土を生かしての作物が取れる。半面、これ位と思っての普段からの対策を怠っていると、積り積もっての堆積が命取りに変わる。河を汚さないように気をつけ、自分での清掃にも力を注いでいれば異常に速く気づくものだ。

 川は、上流から下流に流れる。自分達さえ綺麗な所に住めばいいのではない。沢山の命への賛歌も心して使わせて貰うことだと思える。莫迦丁寧に〇〇させていただく等の言葉より、行動で示して欲しい。日本語も間違った使い方ばかりだ。人間としてのしなければならないこと、してはいけないことの区別も分からず、あやふやな言葉を連ねる。蟻の穴から決壊!

 日曜日は仕事を辞めてもゆっくりしたい。廃品回収の用意は前日にしていたが、空模様が気になって起きたら眠れない。曇り空ではあるが降ってはいないので、回収に来たようだ。購読の新聞とネット注文の空き箱多数、カタログ雑誌の類を片付けたら、居間が広くなって涼しい。部屋の大部分を占めているのが書籍である。これは著作者のサインのため捨てられない。

 それも亡くなられており二度とはしてもらえない。古本屋では二束三文の値打ちらしい。手塚治虫氏の初版本はともかく、書籍に関しては期待できない。わたくしが死んだら、図書館への寄贈を言っているが、目録が必要かもしれないな。おおっ、沢田研二さんのDVDはどうしよう…。持って逝けるものならそうしたい処だ。すばる共々捨てられる。難問でもあるなぁ。

 一昨日、李と一緒に買って来た蕗を、茹でて甘酢にしておいた。今朝、やはり寿しにしようとご飯を仕掛けた。青紫蘇は採ったのがあり、買い置きの味付け椎茸を混ぜて作る。茗荷は、甘酢にして保存してあるのでそれも入れる。夜勤者への差仕入れとして持って行く。恩師にも届けて置こうと出掛けた。道中、合歓の花が咲いて曇り空を彩る。紫陽花も今が盛りか。

 ジュリーの頃の沢田研二さんは、寅二郎に出演されていた相手役の田中裕子さんの台詞のように、恰好好過ぎてからかっているのか?と思えるので、ちょっと後ろに退くのだ。ジュリー祭りの頃の沢田研二さんは人間味があって素敵である。兎角、することが全部注目されるので姦しいだけで、それらのことを含めて、本人ではあるのだ。肥っていて何が悪いんだよ。

 昨夜は、星がちらほらとしか観えなかった。木星が-2.8で土星-0.1の素晴らしさにも注目。さそり座の傍です。金星は明け方最大光度。
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皐月・大潮

2020年07月04日 | Weblog
 弁当を届けて帰宅する。相変わらず雨が降っている。静かな環境であるので、細い雨音もよく聴こえるが、淋しいのでロイヤルストレートフラッシュをかける。無論、沢田研二さん。DVDは急に値上がりしてCDしか買えないのです。仕事を辞めたこともあって、年金暮らしでは如何ともし難いのだ。今月は前月との折半での金額で遣り繰りしなければならない。

 何を倹約するかと言えば、車に乗らない事だがこれが難しい。弁当を届けるのも何処かに行くのも、田舎の事情では困難を極める。誰かに頼もうとしても、自分の都合では動いてくれない。歩くのも時間的に間に合わない。免許の更新も、散々考えてのことだが出来れば止めたい。かと言って安上がりの交通機関では、時間に無理が出て来る。踏んだり蹴ったり。

 昨夜も、と言うかここ数日冷え込むのでセーターを羽織っている。すばるは蒲団に潜り込んでいる。夜は暗闇で星は瞬かない。することが無いと言えばだが、この際、枇杷葉のことを再認識しようと、望月研さんのビワの葉自然療法を読み直している。手当ての方法を間違っては、取り返しがつかない。祖母のしていたことだけであり、知識も乏しいこともある。

 子ども時に記憶していたことは、案外と覚えているものだが、可なり視点が違うのかも知れない。祖母のしていたことが何故効いたのかを考えるに、真摯な気持ちで相手の事を想う心が、信じられないオーラを発生させていたものか。渾身の気持ちで施行するから、極度な疲労困憊をもたらす。Aさんの治療をしていた時、帰宅したら、暫くは動けなかったもの。

 枇杷葉を正しく使わないと、却って症状が悪化することがあるし、わたくしへの嫌がらせが、そのまま返ることになる。或いは、医者に罹っての治療とでは、差が出て来るので助からない。枇杷葉の効力を正しく知って信じることで、身体の細胞の隅々まで伝達がいき、また本人の意志の強さに援けられ、回復に向かうことに繋がる。自然に委ねる信頼感も必要。

 高額な器具や薬が即効果があるとは言い難い。其処に至るまでの年月に或いは、問題が生じていて、それを取り除かねば治る要素が消える。人間の本質かも知れない。お金があるから、あれば医者に頼ろうとするからだ。自分の身体を知って、自然への祈りと感謝の他に、枇杷葉の効力をも信じて施行することも大切。医者は何もしてくれません。診察と薬だけ。

 癌細胞は誰しもが体内に持っていて、それが表面化するかしないかは環境にも因るのだ。コロナも然り。自然にはあらゆる命が存在している訳で、何かの拍子に活発になって猛威を振るう。防ぐ手立ては皆無なのである。然し、原発は違う。人間が金儲けで創り出し、自然災害のせいにして放射能を満たしていく。原発再稼働等有得ない。人類滅亡への路でもある。

 四季折々の星が観れる幸せに感謝。何処からでも、誰でもが気儘に観られる。そこから物語も色々と紡がれていく。
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免許更新に

2020年07月03日 | Weblog
 雨である。予定にしていたので更新に出向く。書類の手続きが何枚かあって、気温の低さに手がかじかむ。ひょっとして冷房点けているのか?七分丈のワンピースなのに、長袖重装備にすればよかった。羽織物もしているのに寒い。車の中は暖房にしていたが、警察署はそこまでの配慮に欠ける。一般的な事にも由ろう。優良者なのでDVDを観て帰ればいい。隣の女性寝ていた。

 次回の更新は諦めるとして、免許証が新しくなれば献体も可能だそうで、記載することに決める。枇杷葉茶を飲用しているので、臓器の状態はすこぶる良い。誰かのために使ってもらえるなら、命を渡すことにもなろう。尤も、事故死での即刻提供でなければ駄目なのだろうが。登録しておくに越したことはない。葬式も出してもらえるので独り者には有り難い。捕らぬ狸かな。

 燃料を補給して帰宅する。余りの寒さに着替えるが、窓も閉めておく。セーターが要るくらいの気温で、風邪を引かぬようにしておかねば、コロナやインフル罹患では堪らない。東京は増える一方だ。それも職種に因るらしいが、自粛していても同じだろうし、気をつけようにも見えないとあっては…。加えて自宅でも三密を避けよと謂われる。金は無くなるしどうするんだよ。

 でも。眼に見えることでも沖縄の辺野古移設のずさんな計画は、これまでの反対を押し切ってまで、強硬に遣る意味も無いが、一体何のために誰のためにするのか?中止に出来るものも、続投とは不可解でしょうがない。不思議の国・日本ですな。戦争を続ければ、武器商人が横行して儲けを占めるが、流れていく先は誰の懐なのでしょう?福島の復興は汚染問題がほったらかし。

 八兵衛捕物帖は、戦後の大きな事件を扱った物が多く、小説にもなった帝銀事件や、黒の福音等、松本清張作品で読める。三億円事件では、謎の部分が多くあり過ぎて、映画では沢田研二さんの主演であるが、刑事に射殺されてしまう。迷宮入りと言われている。それにしても実在の人物としての想いには、家族でさえ解かり得なかったようである。でも、根底には温かさが潜む。

 テレビを観なくなって久しいが、ドラマにしてもドキュメントにせよ、どうにもやらせ部分が垣間見え、次に起こるであろう事態が分り詰まらない。真実と事実は異なるのかも知れないが、こういう人間的な刑事さんは存在皆無であろう。警察も刑事も好む者ではないが、自分の信念を曲げない意思には頭が下がる。数年前に他界されているが冥界で、どうされていることだろう。

 すばる。寒いんでしょう。こっそりやって来て蒲団に潜り込んだ。家に居るようになったので、甘えた素振りを見せる。鳴き声も聴こえる。でも、お願いだから狭い屋敷を走り周るな!ほらっ、ぶつかったじゃないの。天井にまで駆け上がって下りて来る。実に忙しいすばるである。留守の時には、帰宅しても眠ってばかりだったが、これは飼い主への反逆か。ストレスなのか。

 夏の間は新芽を出して葉を繁らせる。10月位から、葉の中心が膨らみ始め、徐々に苞が見えだす。薄茶色の苞を破って。
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梔子の匂いに噎せ返る

2020年07月02日 | Weblog
 玄関の右手、台所からは左に植えてある梔子が、風向きに因って室内まで匂いが漂う。洗面所と台所、パソコンの傍にも飾っているが、笹百合と同じで強い香りが充満する。人工的な物でないのできついとは思うものの、季節を愉しんでいる。スズランも芳しい。枇杷葉は日中は然程感じないが、夜間には忍びやかに包み込んでくる。夕顔も鼻孔をくすぐる。

 今朝は、天気ではあるが雲が厚く垂れ込む。蒲団は干せない。通草が何と8つあるのを発見する。このまま育てばの事だが、徐々に大きくなっているのもうれしい。お酢を薄めたのをかけておく。枇杷葉には何かが齧った痕が見えると思ったら、キリギリスである。実に美味そうに齧っている。シャクシャクと音まで聴こえそうだ。彼等には餌であるのだから。

 ロールパンを沢山買い過ぎてしまい、本日野菜を詰めて届ける。弁当も作ったが、そのまま置いていれば腐って黴が生える。安全な内に作って食べてもらわねば。先日、恩師の処に茗荷寿しをして持って行ったが、容器が回収できない。と話して取りに寄ったら、宝石が置いてある。翡翠かな?ペンダントトップだけだがお礼なのかな?次回聴いてみよう。

 弁当を届けての途中、Aさんちで水を分けて貰い、図書館で予約本を借りる。ゴースト・ドラムと八兵衛捕り物帖だ。マスクも、無料のは幾らでもあるが、付けた時点で息苦しいので、自分が作ったのを掛けている。生地は綿や麻か絹が好いようだ。これから暑くなるのに、外で付けていたら死ぬ。極力外出は控えて、涼しい衣装と格好で居たいものである。

 すばるは賢い。飼い主が弁当を届けて帰るまで、安心できて涼しい場所に移動している。一応、網戸は閉めて鍵も掛けて出るので、少しの隙間を利用して居る。仕事に行っていた時には冷房を点けていたが、今年は網戸での対応にしているので、箪笥の上や出窓が気にいっているようだ。今は、足元の段ボール箱に入っていて、網戸から外をじっと眺めている。

 気温が低いので温かい場所に移動した。すばるだけではなく、猫の予知能力かも知れない。病院に連れて行こうとする場合等、絶対に雲隠れをやらかす。最初は上手くいくのだが、二度目には獣医の態度が気に入らなかったり、飼い主の思惑が分かってしまうのだ。根気よく先手を打って連れて行くしかない。定期健診なら、枇杷葉茶を飲ませておけば安心だ。

 東京オリンピックは中止。コロナだけではない。福島第一原発の処理さえ全く出来ていないのを、避難解除したり、復興を旗揚げに惑わしているが、セシウム137が大気中に放出されたのが、広島に原爆投下された物よりも凄まじいことを理解してるのだろうか?既に8年を経過しているが、事態の収束はつかずで、例え100年経っても安心はできないのです。
 
 今年の宙には、木星と土星が観える。木星の衛星も綺麗に観測できる。土星は輪っかが捉えられるので晴れを待って。

 
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