一人でだるま本店へ。ちょいと時間が空き、小腹も減っている。
何か入れといた方がええやろ・・・ってな時に、最適である。
行列なんかするものか。
時に、どうしようもなく誘惑される食べ物に串かつがある。
大阪、おそらく新世界辺りの発祥と見られるが、記録に残らないアンダーグラウンドな食べ物だけに、確証がない。
長谷川幸延は著書で戦前、二カツと呼ばれ、1本2銭だったと記す。
大きなカツレツにせず小さな肉をカツにして、ジャブジャブソースに浸けたら、安直に洋食気分が味わえた。
親爺はジャンジャン町「八重勝」の贔屓だった。
幼稚園児かそれぐらいの時に、手をひかれて真っ暗な中を食べに寄った記憶がある。母は「こんな時間に子供を歩かせて、何処かその辺の店でええやないの」と言って、父と喧嘩になったようである。
長じて一人で「八重勝」の暖簾をくぐるようになったが、
後輩に「だるま、美味いでっせ。キャベツが高騰した時も、無料のキャベツ引っ込めたりせんと、出し続けましてん」と聞いて、
「だるま」に行くようになった。今の本店のみ。全く無名な店だった。
誤解を恐れずいうと、串かつの味にはそう大きな違いがある訳ではない。
それよりも醸し出す空気感の方が大事な気さえする。生き馬の目を抜くような新世界の真ん中なのに、夫婦漫才みたいなご夫婦が茫洋としたいい感じを出していた。無駄口を叩かない。黙々と揚げる。
一時、新世界の串かつは犬の肉、なんて噂があった。
「これ何の肉?」「ギュウです」なんて会話をよく耳にした。
路地に逃げ込んだチンピラがボコボコにされているのに、暖簾一枚隔てた中は不思議にホッとできる空間だった。
いま、串かつの街のようになっている新世界を見るにつけ、隔世の感ありだ。
昔の串かつの方がいいとは思わない。たぶん油が悪かったのだろう、一回食べたら、おくびに上がってくるというか、胸が焼けて当分いらんかった。今はちがう。軽い。それに匂いもしなくなった。かつては串かつ独特の、酸化した油の匂いのようなものが充満していた。今だに阪神の地下街やホワイティ梅田で少し感じる、あの匂いだ。
あのワイルドな串かつを2,3本食って、ビールをグイッと飲んで、油を吸った暖簾をはね上げて肩で風切って歩く・・・そんなことをしてみたいが、そんな店もなければ、こちとら、そこまで元気有り余る胃袋でもなくなっている。