阿倍野橋の上から天王寺公園をのぞむ。
左のビルはかつてホテルエコーという名前で、最上階に「シャイアン」というウエスタンパブがあり、学生時代そこで演奏して稼がせてもらった。
ここから南に向かって、今、一大再開発が行われている。
昔、旭通り商店街があり、古いホルモン焼きや路地裏洋食や銭湯や小さなスタンド飲み屋も肩を寄せ合ってあった。誰が住むのかギシギシ言うような木造アパートがひしめき、奥に共同炊事場が残っていたりした。
そんな煤けた街の色を一掃して、真新しいペンキで塗り替えようとする作業が進む。現場の人間にはまったく恨みなどないが、街の歴史も匂いも何もかも変えてしまおうという、街殺しである。
そんな再開発にポツネンと取り残された店。
昼間っから飲める日本のパブ、バールである。
目の前をちん電が行き過ぎるのも得も言えぬ風情がある。
街と共に店も老いて行く。また客も。
早い時間に行くと、リタイアした客ばかりである。
この店を教えてくれたのは映画評論の滝澤 一氏。京都の時代劇を専門とし、名匠伊藤大輔門下でもあった。
「ワシは読み捨て書き捨てでええねん」と言ってた師だったが、晩年、お得意の俳句を配して映画を語った『映画歳時記』という本を出した。
末席の弟子として教わったのは少々の酒場。伊丹万作の本。
この店はそれだけで私にはかけがえのない一軒だ。
知人がここを称し、旨いの旨くねぇの、高いの高くねぇのなどと言うが私は与しない。私にはそういう店ではないからである。
もっというと普段使いの酒場ってのは大して美味くなくていい。料理屋ではないんだ、酒をいかに美味く飲ませるかを考え、適当に肴をみつくろっていればいい。日常使いなんだから余り美味くてハラハラ感動させられたりするのもうっとおしいではないか。やはり、程のよさ・・・これに尽きる。
ビール小瓶と冷や奴。
もう間もなく湯豆腐に切り替わる頃だ。
若い時分、豆腐なんてどこが旨いか分からなかった。
豆腐やそばの味をうんぬんし出すと、もう老い先長くないなんて言われるが、うるせぇや。
定番のきずし、焼売(も食った)。
まったりした甘めの燗酒に、三杯酢の酸が心地よい。
明治屋の燗付け器の燗懐かしく
来年一年で移転することが決まったと聞いた。
この佇まいの中で飲めるのも、あと何回あるのだろう。
明治屋 大阪市阿倍野区阿倍野筋2