フルートおじさんの八ヶ岳日記

美しい雑木林の四季、人々との交流、いびつなフルートの音

早春の八ヶ岳

2009-03-22 | 八ヶ岳

3月19日から22日まで、早春の八ヶ岳清里を訪れた。天気予報はあまり良くなかったが、行ってみると、予報を裏切り、滞在中は晴天に恵まれた。雪に覆われた、南アルプス、八ヶ岳がまぶしい。

庭で昼食の準備をしていると、2組の友達がふらっと訪れてくれた。聞くと私たちにもメールで連絡してくれていたのだが、連絡がつかなかったので来たとのこと。今回持って行った「イカ焼き器」を使って、いか焼きを作る。卵の挟み込みに苦労したが、食べてみると正真正銘のイカ焼きだ。

庭には、クロッカスが咲いていて八ヶ岳の遅い春の訪れを告げている。フキノトウが芽を吹いていたのので、さっそく取って、てんぷらにして食べる。ほろ苦い味が春を感じさせてくれた。


加藤周一「高原好日」

2009-03-17 | 濫読

この本は、加藤周一が信濃毎日新聞に連載したものをまとめたものである。「高原好日」という言葉にひかれて読んだ。この本が出版されたのは、2008年の11月3日であり、その1ヵ月後の12月5日加藤周一は89歳の生涯を終えた。

加藤周一は、旧制高校のときから、夏になると信濃追分の別荘で過ごし、その時合った人々の思い出を書き留めている。追分の旅宿「油屋」主人から始まり、堀辰夫・堀多恵子夫妻、中野重治、川島武宣夫妻、朝吹登水子(サガンの翻訳者)、水村美苗、武満徹、丸山真男、御木本隆三(ミキモト真珠)、樋口陽一まで、62名の実に多彩な人たちが出てきた。私たちサラリーマンには思いも付かない世界が広がっているのが面白い。今は雑踏と化してしまった、かつての軽井沢が如何に優雅だったかも伺われる。

前口上から引用すると

「『故郷は遠きにありて思うもの』であるとすれば、私の故郷は何処にあるのだろうか。東京で生まれ育った私は今もそこに住んでいる。しかし、思い出すべき町並みも、味も、匂いも、言葉さえも、もはやそこにはない。私が遠くに在って思い出したのは、メキシコ市外の溶岩台地で考えた浅間の火山灰地の踏み心地であり、内蒙古の草原に鳴く秋蝉が呼び覚ました追分の秋であり、フランス西南部の松林の中で友人と語り明かした夜に蘇ってきた信州の雑木林の小道である。・・私にとっての浅間高原は、生涯を通じてそこへたち帰ることをやめなかった地点であり、そこに『心を残す』ことなしにはたち去ることのなかった故郷でもあるのだろう。」

私にとっては「八ケ岳・清里高原」が加藤周一の言う「浅間高原」になるのであろうか。


神戸の夜景

2009-03-15 | 日記

神戸港でEOSの写真撮影会があったので出かけた。よく晴れたいい天気だ。テーマは神戸港の夜景だ、暗くなる前から撮影を行った。今日はモデルさんも参加している。丁度、豪華客船「飛鳥Ⅱ」が停泊していた。

逆光の下での、フラッシュの使い方。調光補正、露出補正のつけ方、などを練習する。夕方になり、夜景がだんだん美しくなってきてから、少しずつ段階を付けて調光補正をする。どの程度補正をすれば、モデルの顔の明るさを失わずに夜景を撮影することができるか。ゆっくり動いている観覧車をシャッター30秒開放で撮るなど、いろいろのテクニックを教えていただいた。

 


結婚式

2009-03-14 | 日記

今日職場の青年の結婚式があり、招待されていたので参列した。結婚式は、やはりいい。華やいで、楽しくて、ホロっと涙ぐむ。

頼まれて挨拶をしたが、話が長くなってしまいまとめるのに苦労した。披露宴が進んで、場を盛り上げようと私もフルートを披露した。曲目は、昨年末の結婚式でも演奏した、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」だ。2回目だというのに、やはり緊張してしまい、ミスってしまった。人前で演奏するのは、なかなか難しいものだが、演奏する機会を与えてくれた新郎新婦に感謝しなければならない。

 


前田りり子「フルートの肖像 その歴史的変遷」

2009-03-10 | 濫読

バロックフルート奏者前田りり子が、フルートと音楽の歴史を概括した本である。

序文で次のように述べている。「18世紀のフルートで、現代の巨大ホールいっぱいに無調性の現代音楽を響き渡らせることは不可能です。しかし、響きの良い、例えば貴族の館の一室でバッハやモーツァルトを演奏するならば、現代の楽器が失ってしまった素朴な優しさと気品を、昔のフルートが持っていたことに気がつくでしょう。」

フリードリッヒ大王のフルート教師を長年務めたクヴァンツが「フルート奏法(試論)」を著し、そこで悪い演奏のことを次のように言っている、と書かれている。これは、成る程と、よく分かった。

「悪い演奏とは音程が正しくなく、音が誇張される場合。不明瞭であいまいでわかりにくく、アーティキュレーションがつけられず、気が抜けて怠惰で、引きずるように眠たげで、粗野に無味乾燥に奏される場合。全ての音に区別なくスラーをつけるか、タンギングをする場合。速度が守られず、音符の長さが正しく取られていない場合。・・・・とにかくすべての感覚、感情を持たず、また自身感動することなしに演奏し、あたかも他人の代理で歌ったり奏したりしなくてはならないかのような感を持たせる、場合である。」

写真は、庭に咲いたヒアシンス