フルートおじさんの八ヶ岳日記

美しい雑木林の四季、人々との交流、いびつなフルートの音

雪の地道を走り、清里へ

2013-01-14 | 日記

 年末年始を大阪でゆっくり過ごしていたので、八ヶ岳が恋しくなってきた。3連休の最後の日に、八ヶ岳に戻ることにする。
朝から、強い雨が降っていて、日本列島の東にある低気圧が発達しながら北上するとの天気予報だ。直前の道路情報をチェックすると、中津川ICから上野原までチェーン規制がかかっている。チェーン規制なら、スタッドレスを履いているので、まぁ、問題はないかと思い、出発した。

ところが、西名阪を走っていると、「名阪国道が通行止め」の表示が出た。これはいけないと、天理の手前で下りて、名神高速を通ることにする。京奈和道~京滋バイパスを通り名神へ。心配した関ヶ原は、全く雪もなく、問題はなかった。安心していると、名古屋の手前で、中央道の中津川IC~上野原間が通行止めになったのは驚いた。とりあえず、恵那SAで情報を収集する。地道のR19は動いているという情報なので、中津川ICからはR19を走る。

最初はほとんど雪がなかったが、次第に雪が降り出し、道路も着雪してきた。1時間30分ほど走った奈良井宿の有名な「奈良井木曽大橋」はすっぽり雪に覆われていた。

その後、次第に車の流れが悪くなり、塩尻の手前では、除雪車なども間にに入ってきたりして、大渋滞になってきた。5時頃に塩尻に着くと、街の中はのろのろ運転でほとんど進まない。そこから道はR20になる。諏訪に入るとすっかり雪道に変わった。これでは、何時に清里に着くかわからないので、途中のスーパーでおにぎりやサンドイッチを買う。雪かきスコップも買っておこうとすると、大型のスコップはすべて売り切れていた。とりあえず、小さなスコップを買う。R20も、車の列でなかなか進まない。ようやく「国界ラーメン」の角に着いた。そこからから小淵沢へ抜けていこう。真っ暗で全く車が走っていない雪道を登り切ると小淵沢ICに着いた。ここまでくれば、道が分かっているので、ようやくほっとする。9時ごろに清里の我が家近くまで来たが、進入路は50センチを越す雪で覆われていて、道と畑の区別もつかない。真っ暗で星が煌めいていたが、時折ものすごい風が吹いて雪を巻きあげている。

これでは、いかんともしがたいので、年末にフルート演奏会をしたペンション「ミュー」さんに電話して、宿泊をお願いする。「部屋は空いていますよ」ということなので、ホッとした。暖かい部屋に案内され、お風呂にはいって温もった後、ビールで乾杯した。ひと月ぶりの清里行きは、なんとも手荒い歓迎にあった。

翌朝は、すっかり晴れて気持ちのいい青空が広がっている。ミューさんのダイニングルームには、大正時代の作品という大きな雛人形が飾られていた。

朝食は、肉厚の笹カレイの干物、ヒジキやレンコンの煮物、紅米、具沢山の味噌汁などなど、このペンションの料理は、本当に美味しい。

 


林望「謹訳 源氏物語 八」を読み終える

2013-01-12 | 濫読

この第8巻では、源氏が亡くなり、一挙に6、7年の月日が流れた。この展開には「あれっ」と思ってしまった。物語は、源氏の息子たちの話しに舞台が変わる。息子薫は14歳、友人の「匂兵部卿」(今上帝の弟、三の宮)の話から始まる。二人は、衣服に香を焚き染め、人も驚くほどのいい香りをあたりに放っている。

 

「橋姫」からは、言われるところの「宇治10帖」の物語だ。薫は既に20歳になり、宰相の中将になってい。宇治に宮廷社会から忘れられた八の宮(桐壺帝の八の宮)と呼ばれる宮様がいて、世間とは隔絶した奥山で仏に帰依した暮らしを送っている。宮には、姉は大君、妹は中君と呼ばれる二人の美しい娘がいた。

仏の道に関心を持っていた薫は、宇治八の宮の清らかな暮らしに興味を覚え、ある日宇治を訪ね、二人の姉妹に出会う。姉妹のことを友達の匂兵部卿に話し、いつしか二人で宇治に通うことになる。

薫中将は、姉の大君、匂兵部卿は妹の中君に心を寄せるようになる。そんなある日、二人の姫のそばに仕える老女から、薫は自分の出生の秘密(母親女三宮と柏木の不義の子)を聞かされて愕然とする。

八の宮は、山にこもって勤行の日々を送っていたが、病にかかり、二人の娘を残して亡くなってしまう。

「つひにゆく道とはかねて聞きしかど
    きのふけふとはおもわざりしお」(「椎本」)

最後の章は「総角」、これを「あげまき」と読むのは知らなかった。飾り結びの一つで、四っつの結び目が美しい結び方だ。

「あげまきに長き契りをむすびこめ
       おなじ所によりもあはなむ」

姉妹と薫、匂兵部卿とのやりとりが、いつ終わるともしれないほど続く展開に少しうんざりさせられたが、驚いたことに、大君も病に倒れ、亡くなってしまった。一人残された中君はどうなるのか、というところで「総角」の章が終わる。恋の会話はほとんど歌のやり取りで進められるという、平安貴族の優雅さにはただただ、「フムフム」と頷かざるを得ない。

「林望 謹訳源氏 九」の刊行は2013年2月4日となっているので、しばらくは源氏物語と離れることになる。


当麻寺まで新春ハイキング

2013-01-10 | 山登り

 今日は、ご近所のNさんご夫婦から、ご一緒しませんかとお誘いを受け、二上山の東側、当麻寺周辺にハイキングに出かけた。我が家から車で30分ほどのところなので、出発は昼からになった。

当麻寺の直ぐ近くに「ふたかみパーク 當麻」という道の駅があるので、立ち寄る。そこを起点に、花で有名な石光寺(関西花の寺第20番)を経て、

当麻寺に着いた。

本堂から、奥の院へ抜ける道の右側には少し風変わりな寺があった。

當麻寺は、西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」の信仰と、曼荼羅にまつわる中将姫伝説で知られる古寺である。前身の寺は、聖徳太子の異母弟の麻呂子王によって建立され、その後壬申の乱に功績のあった当麻国見によって7世紀末頃に建立された氏寺とされている。

境内から二上山を望む。

仁王門を通り、

日本最古の街道「竹内街道」を目指す。「竹内街道」は古来より交通の要衡であり、江戸時代以降は伊勢参りや、大峰参詣の人で賑わった街道でもある。

古びた家並みが保存されていて、中ほどには、竹之内集落出身の松尾芭蕉の門人の千里(ちり)にちなんだ、「綿引塚」がある。芭蕉もこの地に何度か訪れ句を詠んでいる。

「野ざらし紀行」の『綿引や 琵琶になぐさむ 竹の奥』という句はここで詠まれたもの、との説明があった。

そこから、近鉄電車の「当麻寺駅」まで歩き、元の「ふたかみパーク 當麻」に戻ってきた。


初詣で般若湯を楽しむ

2013-01-03 | 日記

明けましておめでとうございます。

今年も箱根駅伝から目が離せない正月だった。予選会から勝ち上がった日本体育大学が、往路優勝した。砂埃舞う強風をものともせず、箱根を駆け上がった5区服部が素晴らしかった。日体大は、復路は一度も首位を譲らず、2位の東洋大を5分近く引き離して優勝した。

それにしても、5区の山登りでのデッドヒートを制することが優勝につながるという流れだ。柏原のいない東洋大は敗れた。日体大は、昨年19位に落ちた時、キャプテンは3年生を差し置いて2年生から出すとした別府監督の指導により、選手の意識ががらっと変わった。悔しさをバネにして、「ぬるま湯」意識改革を具体的な形に現したことが勝利につながったと言える。5位早稲田の渡辺監督は「いつも4、5位で甘んじていたら優勝はできない、また0からスタートする」と涙声で語っていた。

箱根駅伝の流れが分かってきたのを見届けて、初詣に出かける。明るい日差しがあるものの、風が強く寒い。今年は、西国三十三箇所 第五番札所「紫雲山 葛井寺」にお参りしよう。

参拝客はそれほど多くないので、境内は静かだ。家内の安全、健康を祈る。お参りを済ますと「般若湯」(仏教ではお酒のことを般若湯という。)が置かれていたので、柄杓で掬って味わう。酒は、地元藤井寺で90年続く酒蔵「藤本雅一酒造醸」の「松花鶴」。あっさりした飲み口だった。

寺の正面を南に歩いていくと、このお酒を作っている「藤本雅一酒造醸」の長い酒蔵と板塀が続いている風情のある道に続いていた。