8月9日火曜日。
昨日は、長崎に原爆が落とされた日。
仕事はお休みだったので、ブログ記事をアップしたあと、長崎市から中継中の式典をテレビで見ていました。
純真女子高校生たちが歌う 千羽鶴の祈りの歌に耳を傾け、昨年、4月に初めて訪れた広島原爆資料館で観た、あの写真を思い出していました。
今年は東日本大震災により、原発について、誰もが考えた5カ月間でした。
原発はクリーンエネルギー。 原爆と原発は、そもそも違う。
これまで何となく耳にしてきた これらの言葉。
でも、現実は 福島で起こった惨事に もう誰も、原爆と原発は、そもそも違うのだ、なんて、とても思えなくなってしまったのではないでしょうか。
鹿児島代表が甲子園を早くも去り、(第一回戦で鹿児島が甲子園を去るなんてこと、ここ最近、あっただろうか・・・?)と、軽くショックを受け、試合終了を見届けてから、図書館へ向かいました。
今回、借りてきた8冊の内、最初に手にしたのは、「原発を見に行こう」 1990年代に書かれた本です。原発を保持するアジアの主要国、中国、韓国、台湾、インド、パキスタン、そして、この時点で、これから原発を持とうとしていたタイ、インドネシア、最後に日本を著者が電力会社に勤める男性等と訪問し、その時の様子をレポートした著書です。
日本人は、原爆と原発をごっちゃにし、ちょっとしたことで騒ぎたてる。ジャーナリズムは原発に対し、いつも批判的に偏って報道することに違和感を感じてきたので、自分の目で原発を訪問し、確かめたい、というのが著者の旅の目的らしい。
上坂冬子・著 「原発を見に行こう」
断っておきますが、この本が書かれたのは、今から15年近くも前の話。 福島原発事故後ではありません。 ですから、あの頃には、「中立な立場で」と、言いつつも、著者の心の中には、 「原発推進、大賛成!」という考えが基本的にあり、原発の良さをアピールするこうした意見があっても致し方ないというか…。 「日本は有り得ないことまで想定し、厳重すぎる」とまで言わしめても、著者を責められない、ということです。 今、こんな意見を堂々と言えば、大批判を受けるでしょうから。いや、当時から かなり批判されたかもしれない、というのも、フランスが行った核実験について、日本政府や世論が抗議したこと等について、著者は、日本国民の文化的レベルが低いから躍起になるというようなことを語っているので、かなり驚いてしまった・・・
原発は、地震などによる事故で、原爆にもなりえる、それだけの危険性があるのだ、ということ。 もし、著者がお元気でいたなら、今、現在、81歳の筈ですが、この福島の惨事を目の当たりにして、今はどのように考えているのだろう・・・と、随所で思いながら読み進めました。苦しんでいるか、恥じているか、後悔しているか・・・或いは、九電の責任者のように、それでも「安全です」と言いたいか…? 知恵ある日本人ならきっと、原発に変わるエネルギーを開発できるに違いない、何処かでそう信じている自分がいます。
この本はタイトル通り、「原発を見に行こう」ですが、訪問先の それぞれの国の人々や文化、対応の仕方の違い等についても触れており、それらは「旅行記」として普通に楽しめました。 文章も分かりやすく、分厚い本でありながら、あっという間に読み終えました。 各国がどのように原発推進してきたのか、御国事情や他国との関係も垣間見えます。 興味のある方は、御読み下さい。
すず
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