一般的には「読書の秋」といういい方をする。
だけど私にとっては、本を読む季節は学校が長期休暇となる 『夏休み』だという感覚がいまだにある。
これは間違いなく 「夏休みの宿題」として、夏休み期間中に読んだすべての本のリストと簡単な感想を小学生の頃、提出していたからだと思う。
夏は暑くてだるい。だるいけれど、早朝から10時まではは勉強タイム。 それが終わって初めて外へ遊びに行くことが許された小学生の頃の夏休み。 自然を相手に従妹たちと外で遊び、昼食前には祖母宅へ戻り、お腹を満たす。それから何となくテレビで祖父達と甲子園をみるか、本を読むか? 夏休みの中盤というのは、大抵そんな過ごし方だった。
今でも涼しい午前中は勿論のこと、更に陽射が強くなる午後であろうと、真夏の休日の過ごし方は、自宅にこもって本を読むことが多い。
外へ出て行くほどの気力がない残暑の夏。或いは今日のような天気がすぐれない雨の日こそ読書にはもってこいの時間だ。
この一週間、仕事が忙しく、仕事以外で外へ出かける程の気力も体力も残ってはいなかったが、本だけは読んでいた。
まず、一冊目。 村上春樹 『レキシントンの幽霊』
二冊目。 宮部みゆき 『とり残されて』
三冊目。 角田光代 『しあわせのねだん』
いずれも作家として力と個性ある大御所達。
最初の2冊は、共に短編集。
確か二年ほど前に、村上春樹 著 『ねじまき鳥 クロニクル』を読んだ。長編小説で、とても分厚い本だったが、あっという間に読んでしまった記憶がある。 あの後も、『海辺のカフカ』など主に読むのは長編小説だったが、短編集もいいものだ。数年前まで男性作家が書いた小説は殆ど読んだことが無かった私が違和感なく、すっと読めるのは、村上春樹さんの小説しかない。 あとがきによれば、元々書いていた短編を長くしたり、短くしたり、と実験的に書いたらしい。 これらの収録作品はどれも完ぺきで、とても他に「短縮版」やその逆があるとは思えない完璧さ。 ところどころ日本にはない海外の風を感じるのも村上作品の魅力の一つ!
宮部みゆき 「取り残されて」これも短編集で、最初に収録されている作品が特に衝撃的だった。 誰もが一度や二度、こんな感情にかられたことはないだろうか。 理性がある我々は、こうしたら、こういう結果を招く、人生を台無しにすると、分かっている。分かっているから、当然 理性にしたがって生きている。 それが人間という生き物だ。 忘れたい過去や記憶、感情を封印するが、潜在意識のどこかにふと、現れたとしたら・・・例えば、夢だとか。 それらが次元を超えて磁石のように引きつけられたとしたら、無意識のうちに一体、何が起こるか? それを問うのがこの物語。
三冊目は、角田光代さんのエッセイ集。 しかも 「ねだん」にまつわるお話。 家計簿を単なる数字の羅列ではなく、文字、つまりは文章でつけているって感じなのが この本の最も面白いところ! 立ち蕎麦屋さん。 トライしたことある? 私はない。 幼い頃、何処かへ向かう列車の旅の途中で一度だけ、記憶がある。 乗り継ぎ電車を待っている間の『腹ごしらえ』のように、慌てて食べさせられたっけ。味なんて覚えていない。 美味しいとか、まずいとか考える暇もなく、急いで飲み込んだ。 そんな立って食べる蕎麦やうどん屋さん、牛丼屋に著者は憧れていたという。 そんなこと、私は思ってみたことすらなかった。 著者は大学時代の時の彼に連れて行ってもらい、特に牛丼に感動したらしい。 大学生の頃の著者にとって、彼に連れられて食べる牛丼はこの上なく幸せだったんだね。 多分、誰もが察する通り、中年にさしかかった女性が男性に連れられて行った場所が「立ち食いうどん、或いは蕎麦屋、もしくは300円代の牛丼屋さん」だったら、怒る?らしいけれど…? 著者が言うには、牛丼屋さんは、忙しい人がかけ込む昼食屋さん、という結論らしい。 そりゃそうだろうね、普通は。多忙で仕事に追われ、時間が貴重な人にとっては、立って手軽に食べられる「うどんや蕎麦」は、きっと便利この上ないもの。 角田光代さんのエッセイは、たんたんと読めてしまう。 他に家電商品等、色々なお値段と幸せ度の小話が満載☆ 通勤途中にさっと一つずつ読むのに適しているかもしれない。
では、次回☆
すず