今日は祖母の88歳の誕生日。
先程まで電話でお喋りをしていました。
おばあちゃん、お誕生日おめでとう!!
そして午前中は、3日ぶりに本を読みました。
10年前に帰国後、7年の海外生活を経て、かねてから疑問だった 戦前、戦中…主に日本の近代史と海外との関わりについての本を読みあさりました。
図書館で数多くの本を借りて読んだのですが、その時、共感する部分が多かった著者の中の一人、渡部昇一さんです。
今回、借りて読んだのは、「知的生活を求めて」
自伝であり、タイトル通り、知的好奇心を最大限に発揮し、有意義に人生を送る著書の「生き方」が示されたエッセイです。
これまでは歴史に関する著書や対談本を主に読んできました。
英語が専門の上智大学教授である渡部昇一さんの『語学』の学び方については、意外と今回が初めて「触れた部分」だったような気がします。
日本の英語教育は、「会話が出来ない」。これまでの日本の英語教育、いわゆるトランスレーションメソッドですが、英文和訳、和文英訳は間違っている、という最近の傾向に待ったをかけていらっしゃる。 私も賛成。
文法中心、リーダーを読み、英訳和訳を中心とした英語教育を受けた世代(私もそうです!)で、英語圏の大学や大学院に留学経験のある方なら、こんな経験をされたこと、ないですか?
日常会話は普通に聴きとれる、しかし、実際に大学レベルの講義にでると、専門的で、しかも、セミナーになると学生は特に超スピードで興奮して意見を述べるので、早すぎて付いて行けない。
何か言わなきゃと焦る内に、話題は次へ移っている…。 発言できず、落ち込む…。教授の方が気をきかせ、「何か意見か質問はないか?」と、ふってくれるが、ドキッとする
最初のセメスターなんて、こんな調子でした。
ちゃんと英語の試験を受けて、求められる得点を獲得して、入学許可も下りていて、それで、このざま・・・。クラスメイトも教授も、「英語できない」と思う、いや、思われてしまう。
ところが、論文(エッセイ)を提出させると、ほぼ完ぺきな英文だと・・・・言われたのはいいんですが、「誰かに手伝ってもらったか?」と質問されましたよ、私!
「いいえ、すべて自分で書きました!」
でも、信じられないみたいなのね。
帰宅して、事の次第をホストファミリーに話したくらいです。
今回、読んだエッセイに、まさに、この、私の実体験が、殆どそのまま書かれてあり、
「日本人には、(ただし、昔の…少なくとも「ゆとり」以前の世代)よくあること」なんだそうです。
ホームステイ先には、上智大、長崎国立大出身で、専攻も英文科だった日本人二人が居ました。(途中で帰国、引っ越し、それぞれしましたが)
渡豪直後から、何なく会話なら理解できるし、1カ月も滞在すれば、日常会話もできただろうと、私が出会った時点でそうであったので、「推測」できました。
これが大学になると、専門性が高くなるので、授業では、だんまり・・・な状態がしばらく続いたとして・・・でも、書くことには困らない。このギャップに教授がショックを受ける、というお話です。
大学に留学して、最初にショックを受けるのは、日本人留学生。
「英語は得意な筈なのに・・・」 最初は授業が聴きとれず、ディスカっションについて行けないというショック。
2つ目のショックは、「英語が出来ないと思っていた日本人留学生が、立派な英文を書いてきた!」という教授側のショック、というわけです。
他にも漢文や音楽に関することなど、海外では当たり前の『愛国心』について、など、とても興味深く読めました。
この記事を書いている間に日付けも変わってしまいました。
もう一冊、昨日の内に村上春樹さんの小説を読んだので、感想を書くつもりでいましたが、仕事があるので、これにて失礼します。
いつも、読み返しもせず、ざっと書いてアップしている状態ですが、誤字脱字があれば、お許しを~
では、お休みなさい。
すず