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ご訪問を頂きまして有り難うございます

奈良だより 「国宝薬師寺東塔の水煙」 のご紹介 -55-

2019年03月07日 18時13分19秒 | 奈良だより
奈良の前田様から貴重なお写真に説明を添えてご紹介頂きましたのでご覧いただきたく早速ご紹介させて頂きます。
「国宝薬師寺東塔の解体修理が行われており、塔の頂上にある相輪が外され、凍れる音楽と賞される水煙が2013年に地上に降ろされました。
 水煙は4枚から成っており、その中に24体の飛天が透かし彫りにされています。
 1300年を経た水煙を真近に観た至福の瞬間でした。
 今回の平成大修理に併せて水煙も新しく更改されることになり、この程出来上がり、今回は新旧の水煙を同時公開されました。
 
 薬師寺は天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して発願された寺で、平城遷都に伴って西ノ京に移転した寺ですが、最初の薬師寺は、平城京には移転せず、本薬師
 寺として現橿原市に残り、全く同一規格で西ノ京に創建
されたといわれています。
 しかし、西ノ京薬師寺の創建は天平時代と考えられるが、現在の薬師寺の塔にしろ仏像にしろ、白鳳期と考えられるといわれるものが多く、どれだけのものが移築
 もしくは移転したのか謎が多いと思います。

「本薬師寺」について前田さまからコメントに頂きましたが、私自身が学びたくここに転記させて頂きました。
 薬師寺は680年に天武天皇の発願によって創建が始まりますが、完成を見ずに686年天皇が崩御され、持統天皇が後を引き継いで、697年本尊開眼を見ました。
 710年には平城遷都が行われ、薬師寺をはじめ多くの寺が平城京に移されました。
 薬師寺は平安時代まで、「本薬師寺」として残ったと言われていますが、現在の本薬師寺は、金堂や塔の礎石が残っているだけです。
 
                    世界遺産薬師寺                                    薬師寺入口
 
 
                   薬師寺南門の仁王像                                東塔相輪下部の檫菅 
 
 
                  檫菅の解説                                        平成の水煙    
 
 
              水煙下部の奏楽天人像                                 天平と平成の水煙
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奈良だより「飛鳥寺の初詣」のご紹介 -53-

2019年01月02日 22時57分22秒 | 奈良だより
奈良の前田さまから「飛鳥寺の初詣」の様子を頂きましたのでご紹介させて頂きます。
前田様、新年早々有り難うございます。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
「前田様より」
明けましておめでとうございます。
毎年恒例にしています、飛鳥寺へ除夜の鐘を撞きに行く初詣を、今年も元気に参ることができました。
平成元年は勤務していた姫路郵便局で迎えました。
平成最後の正月は、自宅で迎えることができました。
飛鳥寺では、大晦日から元年にかけて、本堂の扉を開けて、飛鳥大仏を拝観させてくれます。
飛鳥寺は曽我氏の氏寺として曽我馬子が開基したと伝わる法興寺の跡で、本尊は飛鳥大仏と呼ばれる釈迦如来坐像です。
飛鳥大仏は「日本書紀」によると、鞍作止利(くらつくりのとり)が製作した と伝わっており、日本最古の仏像として重要文化財に指定されています。
奈良の元興寺は、法興寺が平城遷都に伴って奈良に移転したものです。
 
 
         鐘を撞く順番を待つ人々                     飛鳥寺の梵鐘
 
 
            本堂の参拝風景                        飛鳥大仏                       
 

       前田様の玄関の新春風景
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奈良だより「興福寺の中金堂が再建されました」のご紹介 -50-    

2018年11月08日 17時02分05秒 | 奈良だより

奈良の前田様から興福寺中金堂が300年ぶりに再建されました事に写真を添えて説明を頂きましたのでご紹介させて頂きます。

「前田様より」
興福寺の中金堂は、奈良時代に創建されましたが、度重なる戦火や災害などで、
過去に7度焼失しているようです。
今回は300年振りに再建され、10月7日から11日にわたり落慶法要が営まれ、南都諸大寺の僧侶や天台宗総本山延暦寺の天台座主等も参列されました。
10月20日から一般公開され、11月11日まで落慶記念夜間特別拝観と、中金堂のライトアップが行われました。
音楽に合わせて中金堂を照らすLED照明が赤や緑に変化し、拝観者に配られるLED提灯の色も変化し、幻想的な時をすごしました。
 
           猿沢池に映える興福寺の五重塔                                 興福寺東金堂
 
 
                興福寺と五重塔                                 南円堂の左に夕日が沈んで行く
 
 
          300年ぶりに再建された中金堂                                      ①
 
 
                    ②                                              ③
 
 
                    ④                                            ⑤

  ①~⑤ までの写真は中金堂を照らすLED照明が赤や緑に変化し、拝観者に配られるLED提灯の色も変化し、幻想的なすがたです

大切な友人N様からメールに頂きましたお言葉を保存させて頂きます。

奈良・前田様の奈良便り何時も楽しみにしています。
昨日の興福寺中金堂の幻想的な写真に魅せられました。
昭和42年秋~49年春まで新婚時代をJR奈良駅からバスで5分程の住宅公団(UR)で過ごしました。
興福寺、奈良公園、春日大社は子供たちの遊び場でもありました。
懐かしい想い出、何時も前田様の便りを拝見させて頂いておりますが、特に今回の写真の“300年ぶりに再建された中金堂”は素晴らしいお便りでした。

N様の追伸①より
興福寺のこと、日本経済新聞・朝刊「私の履歴書」に11月1日より掲載されていることのご連絡です。
興福寺の貫首“多川俊英氏”の履歴書が掲載されています。
今日の内容は、学生時代大学研究室で「唯物心理学」に出会うことが書かれています。
日経新聞を購読されておられるかは存じませんが、目を通してみてください(購読されていない場合は近くの図書館で)。
履歴書は今日で九回目、月末まで連載されますので、「中金堂」のことが記載されるかもしれません。

N様の追伸②より

送信後、日経電子版を見ましたら下記の履歴書の記事が載っていましたので追伸します。

多川俊映(1)中金堂落慶  https://www.nikkei.com/article/DGXKZO37168480R31C18A0BC8000/

  私の履歴書 11月1日  https://r.nikkei.com/culture/autobiography

... 10月7日、興福寺の本堂中金堂の落慶奉告(ぶこく)法要があり、当日3千人を超える方々にご臨席いただいた。1997年6月に「興福寺境内整備基本構想」を
発表して20年、水面下で事業が動き出してほぼ四半世紀の歳月が流れていた。 ...

台風が近畿地方を直撃するとの予報だったが、それてくれた。
雲間から夏のような陽光が差し、時折、涼風が吹き抜けた。「当山の晴れの日。晴れてくれ」と祈っていた。「多川さんの法力ですね…

以上、N様のメールより転載させて頂きました。
参考までにお目を通していただけましたら幸いに存じます。

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奈良だより「斑鳩三塔」のご紹介 -49-

2018年10月19日 20時53分13秒 | 奈良だより

奈良の前田様から詳しい説明にお写真を添えてご案内を頂きましたので早速ご紹介させて頂きます。

「前田様より」
秋の斑鳩の里はコスモスが咲き乱れ、道端の畑には黄色味の増した大きな柿が実っています。
法隆寺・法輪寺・法起寺の塔は、斑鳩三塔と呼ばれ旅行者の人気スポットです。
コスモスの花が見頃を迎えている頃と思い、奈良からの帰途少し回り道をして、訪ねてみました。
今回は法隆寺をカットして、法輪寺と法起寺を訪ねました。
法輪寺は飛鳥時代の創建と伝えられ、法隆寺の北方に、法隆寺式伽藍配置で、法隆寺西伽藍の三分の二の規模で建てられていましたが、国宝三重の塔は
昭和19年に落雷により焼失しました。
現在の塔は、昭和50年に飛鳥様式で再建されたものですが、再建にあたっては、「五重塔」などの作品がある小説家の幸田露伴の娘さんで作家の幸田文さん
格別な協力があったと伝わっています。
法起寺は岡本尼寺とも呼ばれ、聖徳太子臨終の遺命を受けた山背大兄王が岡本宮を寺に改めたと伝わり、発掘調査で岡本宮の建物跡と推定される遺構が
発見されています。
慶雲三年(706年)建立と推定される塔(国宝)は、三重塔では現存最古の遺構といわれています。
発掘調査によって、金堂が西、党が東に建つ法隆寺とは逆の伽藍配置が確認され、同様の伽藍配置を持つ寺院は法起寺式伽藍配置とよばれています。
法起寺と法隆寺は、平成5年「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産に認定されています。

(記事は奈良まほろばソムリエ検定公式テキストブックから引用しています。) 

 
              法輪寺の塔                                      法輪寺金堂

 
                     法輪寺講堂                                        法 起 寺

 
                   コスモスと法起寺の塔                              満開のコスモスと三重塔

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奈良だより「明日香村の案山子コンクール」のご紹介 -48-

2018年09月29日 19時01分21秒 | 奈良だより

奈良の前田様から先日の「奈良県生駒郡安堵町の案山子コンクール」に続いて「明日香村稲渕の案山子コンクール」のご案内を頂きましたのでご覧いただきたく、
早速ご紹介させて頂きます。

「前田様より」
恒例の案山子コンクールが明日香村稲渕の棚田で行われました。
今年のテーマは童謡です。今年は台風と雨によって制作者は悩まされていました。
22日~23日でコンクールの投票が行われていましたが、22日午前中まで雨が残り、折角の衣装も雨に濡れて気の毒でした。
その上今年は夏の猛暑の影響で、彼岸花の数が少なく例年に比べ寂しいものでした。
萬葉集に詠まれた飛鳥川の石橋へも行きましたが、こちらは川が増水していて、飛び石の石橋は渡れませんでした。
昼前に檜前へ回り、キトラ古墳の壁画館を訪ねました。
丁度22日から一か月間壁画の
実物を公開展示していましたが『今回は西壁の白虎と天文図の公開でした』事前予約が必要で、今回は予約していなかったので、
あきらめていましたが、12時からの入場分で
空きがあり、当日入場できる言う幸運に恵まれて、壁画と二度目の対面をしてきました。

写真のジャンボ案山子は西郷どんですが、犬ではなく猪をつれています。猪と仲良く共生
する意味が込められているようです。

 

 
         西郷どんは犬ではなく猪をつれています

 

 
                                                                            萬葉集に詠まれた飛鳥川

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奈良たより「古墳の話題2件」のご紹介 -45 -

2018年08月20日 13時06分13秒 | 奈良だより
前田様この度も貴重な記述、お写真をありがとうございます。
早速ご紹介させて頂きます。

「前田様のお言葉より」
旧盆も過ぎて、やっと朝夕に涼しさが感じられる気候になりました。
今回は、古墳の話題を二件お届けします。
「丸山古墳」 
橿原市見瀬町・五条野町・大軽町にまたがる前方後円墳で、国史跡「丸山古墳」
として史跡指定されていますが、後円部は「畝傍陵墓参考地」として宮内庁が治定しています。
規模は全国第6位、奈良県第1位を誇り、大王墓としては最後の前方後円墳と言われています。
今回は、古墳の規模や被葬者の話ではなく、先日近くを通りかかった時に、沢山の人が墳丘の草刈りを行っているのを目撃し、珍しいので写真に収めました。
「五条猫塚古墳」
古墳が発掘されて60年が経ちました。五条市立五条文化博物館が、平成30年度夏季特別展として、奈良国立博物館から出土品の里帰りを受けて展示しています。
五条猫塚古墳(奈良県指定史跡)は、古墳時代中期(5世紀代)に築造された方墳です。
規模は一辺27m高さ4mの二段築成で葺石・埴輪を備えています。
竪穴式石室の内外からは、金銅装の武具や鉄製の武器など多数出土していますが、とりわけ「蒙古鉢形冑」が有名です。
里帰り中の出土品は撮影禁止のため、古墳の説明板から冑の写真を撮りました。

写真のように後円部は森の状態ですが、210mもある前方部は草原です。
昭和30年頃までは大和の大部分では農家が牛を飼育していました。
その頃はこのような草原は牛の牧草や、田圃に入れる堆肥として貴重な資源でした。
当時は周辺の農家が宮内庁書陵部の許可を得て草を鎌で刈っていました。
昭和30年頃以降は、耕運機やトラクターの普及で牛を飼う農家もなくなり農業も集約的になって化学肥料を使い、堆肥にする草刈りをしなくなりました。
最近は宮内庁が草刈り作業を外注し、造園業者や建設業者が作業員を30人ほど動員して、エンジン付きの刈り払い機で草刈りをしています。
古墳の下を走る国道からは作業員が小さく見える程です。

  
                     丸山古墳 1                                      丸山古墳 2
 
 
                     丸山古墳 3                                      五条猫塚古墳

 
                    県史跡猫塚古墳                                     蒙古鉢形冑
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奈良たより「蓮の花がさきました」のご紹介 -44 -

2018年08月04日 13時40分32秒 | 奈良だより
         残暑お見舞い申し上げます
 
酷暑に見舞われておりますが、お訪ね頂いております皆様にはお変わりも無くご健勝にてご活躍の御事と拝察申し上げております。
この度、奈良の前田様よりご丹精されました沢山の美しい蓮のお花を  頂きました。
涼しげな蓮のお花にひととき心を寄せて頂きたくご紹介させて頂きます。

前田様貴重なお写真をありがとうございました。
 
「前田様のお言葉より」
一昨年から、2500平方メートルの休耕田を借りて蓮の花を植栽しています。
昨年は早く咲きすぎて、8月の旧盆にはほとんど花がありませんでした。
今年は少し調整して耕耘しましたので、ちょうど今が見頃になりました。
この田には、大賀蓮をはじめ六種類の蓮を植栽しています。
どれも混ざり合って繁殖しますので、花の見極めもままなりません。
四種類は藤原宮で植栽している蓮を市役所から譲りうけたものですから、
市役所で写真をもらって、確認したいと思っています。
 
 
 
 
 
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奈良だより「新沢千塚古墳群」のご紹介ー43ー

2018年05月23日 21時43分19秒 | 奈良だより
奈良の前田様から「新沢千塚古墳群」について詳しい説明にお写真を添えて  頂きましたので是非ご覧いただきたくご紹介させて頂きます。
「メールに頂きましたお言葉より」
新沢千塚古墳群は橿原市の西南部【旧奈良県高市郡新沢村】川西町・一町・
北越智町に所在し、総数約600基と言われ国史跡に指定されています。
昭和30年代に、一町一帯の古墳群は農林省のパイロットファームの助成を受けてミカン畑に造成するため、発掘調査が行われ古墳は無くなりました。
現在は川西町・北越智町にまたがり、300基余りの群集墳を対象に整備が進められています。
新沢千塚古墳群は4世紀の終わりころから始まり、6世紀代に最盛期を迎え7世紀の初めころまで築造されたと考えられています。
昭和50年代に奈良県の柳生出身者で哲学者の由良哲次氏が、新沢千塚古墳群の研究保存に、奈良県に1億円・橿原考古学研究所に3億円を寄付し、由良大和古代文化研究基金を設立されたことから、用地の買収から発掘調査、古墳群の整備と続いています。
現在は県道北側部分の整備が終わり、南側部分の整備が進められています。
すでに発掘調査の終わった北側部分では、126号墳の出土品が最も注目されその大部分は重要文化財に指定され、東京博物館に保管されています。
古墳整備に伴って子供の遊び場を含む公園や、新沢千塚ふれあいの里農産物直売所等も設けられ、休憩スペースやトイレも設けられています。
休憩所には作品展示スペースもあって地元住民が利用できるようになっています。
5月~6月は私が借り受けて、手ぬぐいやハンカチを表装した掛け軸を展示しています。
5月末には万葉歌碑等の拓本の掛け軸に展示替えする予定です。
 
                古 墳 公 園                                   シ ル ク の 杜
 
            橿原市博物館                                     126号 墳
前田様から追伸を頂きましたのでご紹介させて頂きます。
シルクの杜看板の左端に小さく映っている山が、大津皇子の眠る二上山です。
126号墳の後方に見える山が、名勝大和三山の畝傍山です。
 
             自生している笹ユリ                 前田様が
手ぬぐいやハンカチを表装した掛け軸の作品を展示              

           新沢千塚ふれあいの家
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奈良だよりのご紹介ー42-

2018年05月18日 19時13分11秒 | 奈良だより
奈良の前田様から「青山高原」のご紹介を頂きましたのでご覧いただきたく存じます。
「頂きましたメールより」
5月10日に青山高原へドライブしてきました。
青山高原は、室生・赤目・青山国定公園の中心にある、三重県の観光名所です。
標高756mで頂上に「二等三角点」が設置され、起伏のある高原です。
以前は、近鉄西青山駅から東青山駅まで約12キロmのハイキングコースとして賑わっていましたが、2000年頃から風力発電の風車が立ち並び、
観光スポット
しての高原ドライブコースになっています。
一基当たりの発電能力が750キロワットの風車が、現在では91基建設され、タワーの高さは50m、ローター(回転部)直径50.5m、地上から
最長部までの
高さが75mと国内最大級の風力発電といえます。
高原ドライブを楽しんで北東部へ下れば、美人の湯で有名な榊原温泉郷に至ります。ドライブの後は温泉で疲れを癒すも最高です。

 

 

 

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奈良だよりのご紹介ー41-

2018年02月27日 17時59分39秒 | 奈良だより

 奈良の前田様から「飛鳥寺西方遺跡」についてお写真に詳しい説明を添えてご案内を頂きましたので早速ご紹介をさせて頂きます。

「前田様に頂きました説明より」
飛鳥寺西方遺跡は、飛鳥寺の西側から飛鳥川まで広がる遺跡で、飛鳥川にそって北方向に、天智天皇の漏刻施設がある水落遺跡、更に北側に隣接して斉明天皇
の頃の石神遺跡が存在し、過去の
発掘調査によって、日本書紀による、蝦夷や隼人などの辺境の地に住む人たちを招いて饗宴を行う場となっていたようです。
中でも今回の調査区域は飛鳥寺の西門に続く区域で、乙巳の変(645年)の直前に中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠を通じて出会った法興寺槻樹下(ほうこうじつきの
きのした)の広場とも
言われています。
更に、壬申の乱(672年)では飛鳥古京の戦いの舞台にもなっています。
今回の調査は、飛鳥寺西方遺跡の規模や構造を明らかにすることを目的にしたものですが、この区域の発掘調査はすでに10年間をかけて行われていますが、日本
書紀にも書かれている槻樹(つき
のき)が未だに発掘されていません。

写真①は現場説明会の会場です。
②は今回の発掘調査区域を
三区に分けていますが、その一区の全景です。
従前は飛鳥寺の西門から140mぐらいが限界と見られていましたが、今回の調査でさらに長く、飛鳥川の際まで延びていることが判りました。
調査区の背景は甘樫丘(あまかしのおか)です。
③は一区の中の建物跡の遺構です。
④⑤は二区の調査区で、焼土を包含した土坑が出ています。
⑥は三区の調査区で西から東方向に撮影しています。手前は集石遺構で、後方は飛鳥寺です。
⑦は三区の南東から北西
方向を撮影、白線は掘立柱の建物跡です。
⑧は入鹿の首塚と飛鳥寺です。寺の後方は2月4日に「おんだ祭」の行われた「飛鳥坐神社の森です。
書紀に書かれている状況から、槻樹は入鹿の首塚辺りと推定されていますが、何時発掘されるか待ち遠しいロマンです。
 
                      ①現場説明会の会場                       ②発掘調査区域を三区に分けてその一区の全景
            一区の中の建物跡の遺構                                   ④二区の調査区
               ⑤二区の調査区                                     ⑥三区の調査区

          ⑦三区の南東から北西方向を撮影                               ⑧入鹿の首塚と飛鳥寺
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奈良だより「長谷寺のだだおし」のご紹介ー40-

2018年02月21日 08時19分10秒 | 奈良だより

奈良の前田様から先日に続いて貴重な長谷寺の「だだおし」のご案内を頂きましたので早速ご紹介させて頂きます。

「前田様のメールより」
長谷寺は奈良県桜井市にある、真言宗豊山派(ふざんは)の総本山です。

寺宝の銅板法華説相図(国宝)に刻まれた銘文によれば、朱鳥元年(686)に創建されたようです。
度重なる火災で中世の堂宇はことごとく焼失しましたが、徳川家光の寄進によって慶安三年(1650)に再建された舞台造の本堂(国宝)は東大寺大仏殿に迫る
規模をもち、仁王門から本堂に至る全長200m
の登廊は、梁に吊るされた球形の風雅な釣灯篭と、登廊の両側に植栽された牡丹の花とともに長谷寺の顔となって
います。

本堂本尊の木造十一面観音立像は天文七年(1538)の作で重要文化財に指定されています。
左手に水瓶、右手に錫杖をもち、観音菩薩と地蔵菩薩の両徳を兼ねた独特の姿をしています。西国三十三ヶ所第8番札所です。
(奈良まほろばソムリエ検定公式テキストブックから引用。)
登廊の両脇には、藁で編んだ傘の下で、寒牡丹がきれいに咲いていました。
「だだおし」は修二会の最終日に行われる鬼追いの儀式です。
100キロを超える松明をもった赤・青・緑の三匹の鬼が本堂周囲の回廊を暴れまわる火祭りですが、松明の炎が国宝の本堂を焦がさないかとはらはらさせられます。


                   虚子の句碑                                      登    廊


                    寒牡丹 1                                      寒牡丹 2


                   寒牡丹 3                               法要のため登廊を上がってくる僧侶    


                   赤     鬼                                  緑     鬼      


                  青     鬼                                     松     明


                  松     明

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奈良だよりのご紹介 -39-

2018年02月18日 12時06分11秒 | 奈良だより

「前田様の第2部の説明より」ご紹介
第一部の農耕神事では、牛による唐鋤・馬鍬など最近では目にすることが出来ない昔の風景が見ることが出来ます。
第二部は子孫繁栄を祈る神事ですが、余りにも生々しく、卑猥な行為ですが、開けっぴろげで、ユーモラスな仕草に観客からも声援が飛びます。
農耕神事の後、休憩を挟んで天狗がお多福を伴って登場します。
天狗とお多福が宮司に大盛りのご飯を捧げて結婚の報告をします。
天狗が男根を模した竹筒を股間にあてがい、しごき始めます。
今度は翁が舞台中央にゴザを敷きます。そこへ天狗がお多福の手を引きながら進み出て、お多福をゴザの上に寝かします。
天狗はお多福の体を撫でまわし、子作りを始めます。
肝心な場面では、翁が着物を拡げて観客の目から隠すように左右に走り回ります。
その仕草もとてもユーモラスです。
情事は一回では終わらず、お多福が再度おねだりします。渋る天狗にお多福はササラで天狗を思いっきり叩き、自分上位で挑みます。
お多福に挑発された天狗は、再度ハッスルしてフィニッシュを迎えますが、今度は天狗もお多福も懐から紙を取り出し、股間を拭きます。
股間を拭いた紙を丸めて見物人に投げ入れます。この紙は拭くの紙(福の神)として、子宝に恵まれるとして、見物人たちが競って求めます。
この後、御供撒きが行われて終了します。神事は14時から始まりますが、早い人では10時頃から場所取りをして待ちます。
私は13時過ぎに行きましたが、ぎっしり満員で、後ろの方から手を伸ばしてやっと写真が撮れた状態でした。


      夫婦になった天狗とお多福が宮司に鼻つき飯を給仕する             竹で作った男性のシンボルを誇示する天狗
       衰えた天狗を竹のササラで強打し天狗に気合を入れる                   夫婦に挑むお多福
              気を入れ直しお多福に挑む天狗                                  ラストシーン

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奈良だよりのご紹介 -38-

2018年02月17日 12時03分58秒 | 奈良だより

奈良の前田様から貴重な「おんだ祭」について詳しい説明と素敵なお写真を  頂きました。
第1部・第2部と頂きましたので第1部から早速ご紹介させて頂きます。

「メールより」
大和では冬の寒い時期にいろんな祭りがあります。
毎年2月の第一日曜日に行われる、飛鳥坐神社の「おんだ祭」は、西日本における四大性神事(「三河のてんてこ祭」「尾張の田県祭」「大和江包の綱懸祭」)と
言われ、とりわけ飛鳥の
おんだ祭は日本一の奇祭と言われています。
飛鳥坐神社は式内社で祭神は「事代主神」「高皇産靈神」「飛鳥三日女神(賀夜奈流美乃御魂)」「大物主神」の四神である。
「日本書紀」朱鳥元年(686)7月の条に天武天皇の病気平癒祈願の
ため幣帛が奉られたとあり、歴史的に古い神社です。
因みに、折口信夫の祖父は岡寺前の岡本家に生まれ、当社宮司の飛鳥家の養子となった上で、折口家に入った。
折口信夫は、祖父が大和飛鳥の由緒ある神社の出自であったことを誇りにしていたようです。

「おんだ祭」は五穀豊穣・子孫繁栄を祈る農耕行事で、朝から行事は始まっていて、天狗や翁の面を着けた役員が青竹(ササラ)で通行人や参拝者を叩きまわり
ます。

ササラで尻を叩かれることによって厄払い出来ると言われ、強く叩かれる程良いそうです。
女性や年寄りには優しく叩いてくれますが、若い男性には容赦なく叩きます。
神事は午後2時ころから牛による農耕や宮司による田植えが行われます。
第二部は天狗とお多福の結婚行事からユーモラスな舞台が展開されます。
第二部以降は追伸で送ります。


               鳥形山飛鳥坐神社                                       天    狗

                青竹で尻を叩く                                    牛 で 耕 す

                今では珍しい唐鍬                                  馬鍬で地ならし

           宮司が松葉で作った苗を植える

頂きました第2部の記事は後日とさせて頂きます。

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奈良だよりのご紹介 -37-

2018年01月13日 15時37分39秒 | 奈良だより

 奈良の前田様から貴重な「雪の明日香」について詳しい説明と素敵なお写真を  頂きましたので早速ご紹介させて頂きます。

「メールに頂きましたお言葉より」
今日は、今年初めて国中(くんなか)に雪が積もりました。
国中とは奈良盆地のことで、大和の地域区分の歴史的名称のことで、古くから国中と称してきました。
国中という地域名称は、山梨県の甲府盆地や新潟県佐渡島などにおいても使われているようですが、最も歴史の古い国中は大和の国中といわれています。」
ちなみに、明日香や橿原は国中の南端に位置します。
国中に対して、生駒・金剛山地を「西山中」、大和高原を「東山中」、宇陀山地を「奥」、吉野山地を「南山」、呼び習わしてきました。
朝から友達がラインで、雪が積もってるよ、と知らせてくれました。朝ご飯も食べずに飛び出し、明日香に向かいました。
まず、高松塚古墳(写真①)に行きました。
墳丘は改修されたもので、中の壁画はありません。次に稲渕の棚田(写真③)に向かい、明日香川に架かる勧請綱(写真④)を見ました。
この綱は稲渕の地域に悪霊が入ってくるのを防ぐもので、稲渕の地区は男綱で男性性器を模したものを、藁で作ります。
毎年正月の成人の日の前日の日曜日に神式の神事で執り行われます。
稲渕から更に上流の栢森地区では、女綱の勧請綱を明日香川に架けて悪霊の侵入を防ぎます。
栢森の綱は女性性器を模したものを藁で作り、こちらは仏式で神事を行います。(写真なし)
都塚古墳(写真⑤)は3年前の8月に発掘調査がされ、日本のピラミッド?と騒がれた古墳で、今は静かに眠っています。
都塚古墳では正月元旦に、金の鳥が鳴くと言い伝えがあり、別名金鳥塚ともいわれています。
石舞台古墳(写真⑥)は早く雪が溶けたようで、雪が降りしきっているのに石の上は雪がありませんでした。
八釣山(写真⑦)「八釣山木立も見えず降りまがふ雪にうぐつく朝楽しも」万葉集巻三(262)を思い浮かべてください。
飛鳥寺(写真⑧)本堂に雪が積もっていました。
入鹿の首塚(写真⑨)飛鳥寺の西方、槻木の広場付近と言われるところに、自分の邸宅があったと言われる甘樫丘を背景に建っています。真神原(写真⑩)「大口の真神が原に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに」万葉集巻八(1636)天武・持統天皇陵(写真⑪)明日香を方々回って、帰り道の最後に立ち寄りましたので、雪が殆ど溶けていました。
回った順番では二番目ですが、漏らしていましたので最後に畝傍山遠望(写真②)を入れました。

国中でこんなに雪が積もるのは珍しく、「吾が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後」と詠んだ天武天皇の気持ちがよく解かります。

                   高松塚古墳                                     稲 渕 の 棚 田

         明日香川に架かる勧請綱稲渕の棚田                    ピラミッド型?発掘調査で話題を呼んだ都塚古墳

                石 舞 台 古 墳                                     八 釣 の 集 落

            飛鳥寺の西方の曽我入鹿の首塚                          天武・持統天皇陵


                  雪 の 真 神 原                                    明日香から畝傍山遠望
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奈良だよりのご紹介 -36-

2018年01月05日 14時22分18秒 | 奈良だより
奈良の前田様から飛鳥寺の様子をご紹介頂きましたのでご覧いただきたくご紹介させて頂きます。
「前田様のお言葉より」
大晦日の紅白歌合戦が終わると、すぐに年越し蕎麦を食べて、飛鳥寺へ除夜の鐘を撞きにいきました。
スーパームーン満月前夜の月が、飛鳥寺本堂の上空に輝いていました。
飛鳥寺では、毎年大晦日から元旦にかけて、本堂の蔀戸を開き飛鳥大仏を公開してくれます。
飛鳥大仏は渡来人の仏師「鞍作止利」によって我が国で最初に鋳造された仏像で、重要文化財に指定されています。
昔から丈六の大仏と言われていますが、実際は釈迦如来座像ですから、立てば1丈6尺あると言うことで、像高は275.2センチです。
飛鳥寺では毎年除夜の鐘を撞きに沢山の人が行列を作ります。
鐘を撞き終わると、温かい生姜湯と干支の絵馬がふるまわれます。
写真はスマホで撮影したもので、サイズがいつもと違います。
               
               飛鳥の名月                            飛鳥大仏

              飛鳥寺内陣                            飛鳥寺絵馬
はるか遠くの飛鳥寺に今年の健康をお願い申し上げました。
前田様、貴重なご紹介を有り難うございました。
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