12月靖国神社社頭に掲示されました遺書
12月の遺族通信が届きました。
今号は、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ11月27日、日本遺族会創立60周年記念式典が東京都千代田区の九段会館ホールで挙行されました様子を大きく取り上げ
厳粛かつ盛大に挙行
優渥なる「おことば」賜る
感動の記念式典
以上のような見出しで全紙が綴られておりました。
陛下のお言葉の中に「戦いのない平和な世界実現への強い希求を、戦後に育った人々に伝えていくことは、誠に大切なことと思います。」とございました。
記念祝賀会60周年記念事業に於いては「物故者慰霊祭」及び「日本遺族会会長表彰」が行われた記述がございました。
物故者芳名中に 山梨県 村松正昭様 のお名前にビックリ致しました。
2000年フィリッピン慰霊巡拝時の団長さんとして御世話になりましたお方でした。
まだ71歳のお若さでさぞかしご無念と存じます。
心からご冥福をお祈り申し上げます。 合掌
「日本遺族会会長表彰」には千葉県から 千葉市遺族会会長鈴木様、千葉県女性部長、同副部長小名木様のお三方が表彰されました。
永年のご尽力、ご指導有り難うございました。
全国から寄せられた鎮魂の歌をご紹介させていただきます。
家族の悲しみは永遠です・・・
戦死した父の分までいとほしみ育ててくれたる祖父母等の愛 鳥取県 女性
検閲済みの印押されたる父の手紙へだたりて更に切なし 高松市 女性
兄ねむるパラオの日射し浴びし帽に巡拝の日日おもひ草抜く 横手市 女性
星のごと光る砂盛りかりそめの墓に止めどなく涙の落つる 青森県 女性
おだやかに波寄せてゐる舞鶴港この岸壁に父は還らず 大阪市 女性
それからの気丈な生活も忘れはて童女のごとく呆けし母は 青梅市 男性
最果ての比島の丘に友と来て遺骨はどこと探し求めぬ 青森市 男性
収骨の叶はぬ夫の墓に佇ち無念の思ひいよいよ深し 諫早市 女性
終戦忌絆は深し兄戦死悲しみ消えぬ想ひは深し 京都市 男性
女一人で戦後の日々を生き抜きし母の遺影が吾を見守る 東松山市 男性
やすくにの夜空を仰ぎ涙すも月光に顕つ兄の笑顔を 香芝市 女性
海軍が海軍がねと語りゐる卒寿の叔母の涙に濡れて 千葉市 私
「2007 後期おさらい会」 参加者の皆様
日 時 12月16日(日)14:00~17:00
場 所 レッスン会場
参加者 26名
沢田先生ご夫妻のご指導のもとにレッスンに励んでおります女性会員はご主人様先生に、男性会員は奥様先生にリードをしていただき、日頃の成果を楽しく優雅に披露
致しました。
そして踊る前には、この日の為に寄せたコメントがそれぞれ紹介されました。
中には「今日の偏差値はどのくらいでしょう」(一同笑)と寄せたお方もいらしてクリスマスパーティ には一足早いダンスのひとときに先輩の皆様のステップに多くを
学ばせていただき、 「おさらい会」 と、終了後の を楽しみました。
未熟な ですが、お許しを頂けそうな方のみを記念に収めさせていただきました。
「感謝の一生八十のよろこび」
第50回毎日書道展文部大臣賞
於 千葉県立美術館
地元新聞に「種谷扇舟展 完熟期の代表作43点 書の源と新しさ探求 於 県立美術館」として、千葉ゆかりの書道家、種谷扇舟先生の企画展に1ページ目の「忙人寸語」と
「千葉市版」を飾っております。
種谷扇舟先生に長い間ご指導を頂きました吾が師、市川蘭華先生のギャラリートークの日に、種谷扇舟先生の作品について詳しく説明を頂く機会に恵まれました。
特に種谷扇舟先生がお亡くなりになられる直前の作品は、お側に居らした吾が師、市川先生のみが知る感激にとても幸せなお別れが出来ましたことのお言葉でした。 合掌
ご逝去直前にお書きになられた4点中、2作品がご案内状に掲載されておりましたのでご紹介致します。
先生のお話に熱心に耳を傾けられる皆さん ギャラリートークをされる市川蘭華先生
雨洗緑荷
「おめでとう!漢字が写真版になりましたよ」先生から嬉しいお を頂き、早速お伺いして「書道芸術」を手に感激を新たに致しました。
未熟な作品ですが、私自身の励みに記録に残したく存じます。
この作品は 8月20日〆切 書体自由 雨洗緑荷(雨緑荷を洗う)の課題でしたが、筆を新しくしました事で草書に挑戦してみました。
「語句の如く爽やか」と評を頂きましたが、慣れない柔らかい筆に負けて、思うように筆が走りませんでした。
広くあれこれに手を拡げすぎて、練習不足に「これからはもっともっと真面目に沢山練習しましょう」とも頂きましたように反省しております。
毎月の競書作品 漢字規定(半紙)・かな規定(半紙)・かな条幅規定・漢字条幅規定・ペン字規定に時には、条幅作品が未提出月もありますが、
佳き先生と、佳きお仲間に恵まれた幸せの時間を大切に励んで参りたく思っております。
11月靖国神社社頭に掲示された遺書
君のためいのち死すともしきしまのやまとしまねをとはに護らん
みくにいまたゞならんときつはものと召されて出でゆく何ぞうれしき
昭和18年9月8日出発の際に伯父上様にあてた遺書(写真上)に詠まれておりました歌をご紹介させていただきました。
この遺書をお書きになられたお方は 熊本県出身 21歳 海軍中尉 和多山 儀平様ですが、残念にも昭和19年11月17日東支那海にて戦死と記されております。合掌
時代とは言え、お若い立派なお方が覚悟の死を冷静に詠めます事に涙で文字がかすみます。
戦後62年、戦争の記憶も薄れゆく中にも、私たち遺族は深い悲しみ、苦しみを生涯忘れる事が出来ません。
親が子を、子を親がの昨今の悲しい報道に又、文明の利器による心ない人の行為などはとても残念に思っております。
我々遺族は今尚、多くの皆さんが悲しみ、苦しみを歌に託し亡き親族を偲んでおります。
月一回掲載の九段短歌ですのでお目を通していただけますれば幸いに存じます。
暑くても戦の事を想い出し汗となみだで洗ひ流して 米子市 女性
そろそろと迎へに来てるか亡き夫は体の不調に日々悩む吾 紀の川市 女性
終戦を迎へしもなほ闘ひを続けし母のいよゞ病み臥す 大阪市 女性
夏雲を押し上げなびく日章旗出征せし日の父蘇る 青森県 女性
降りたてば浜茄子の咲けるふるさとの無人駅より潮騒聞こゆ 青森市 男性
やすくにのみ霊も嘉みし給ふらむみたま祭りのこの賑はひは 江南市 男性
祖国とは死を覚悟せる兵の心が帰る父母の国なり 篠山市 男性
父の顔知らぬわれにも父ありき古きアルバム軍服のまま うきは市 男性
万歳と兵を送りし京都駅手を振る兄の笑顔は消えぬ 京都市 男性
記憶無き戦死の父を偲ふれば仏間の写真浮かび来たりし 千葉市 女性
ソロモンのいづこに見しやこの月を遺骨なき兄米寿となれり 香芝市 女性
ひとつぶの形見の真珠に偲びをり征きて還らぬわれ知らぬ父 千葉市 私
私は「ひとつぶの真珠」に寄せる想いを詠みました。
母は軍人の妻として父から の真珠の指輪の僅かな金をはずしてお国の為に捧げたのでした。
結婚が決まった折に母から初めて、その話を聞きました。
誕生月が6月と言うこともあって、母は大切に保存してありました一粒の真珠をバラの花びらで囲んだ素敵な指輪に加工して、
父の形見の一粒の真珠を改めて してくれましたので歌に詠み記念といたしました。
この度の「千葉県戦没者追悼式」に於いて「追悼のことば」を述べました折の歌
わが指の形見の真珠に父偲び声のかぎりに追悼の辞述ぶ