大好きな山芋です ↑
毎年ご丹精のお野菜を頂いておりますお方は千葉県君津市にお住いのH様、平成22年10月19日千葉県戦没者追悼式に遺族代表「追悼のことば」を述べられました折に奉読されましたお言葉を
テープに収め、お写真とご一緒にお届けさせて頂きました。
H様は「自分の言葉を再度聞くことができることは想像もしておりませんでした」と、感激してくださいました。
その後、ご紹介の貴重なお野菜を頂いて10年になりますことにとても恐縮に存じております。
5年前までは自然薯を頂いておりましたが、最近は筒を使わずに直接畑に植えたサツマイモのような山芋を頂いておりますがとてもこくのあります「とろろ汁」などにして美味しく頂いております。
H様いつも有り難うございます。
12/28(土) 14:01配信
【知られざる抑留】凍てつく大地と両足切断 モンゴルの記憶 “痛みで生きていることを知った”
知られざる「モンゴル抑留」 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191228-00010000-sp_ctv-soci
1945年8月8日。第二次世界大戦が終わる直前になってソ連が突然、日本に宣戦布告、日本が事実上の植民地としていた、満州に侵攻。
8月10日にはモンゴルも参戦。そして日本は、戦争に負けました。
するとソ連の指導者・スターリンは、大陸で終戦を迎えた日本兵をソ連に移し強制労働をさせる命令を下しました。
これにより、満州や樺太などにいた約60万人の日本兵や一部の民間人がシベリアなどに抑留され、6万人が死亡。「シベリア抑留」として知られています。
そして、そのうちの約1万2000人が2年間にわたって抑留されたのが、モンゴルでした。
食糧事情の悪さ、そして医療衛生の水準の低さなどもあり、2年間で亡くなった人は1615人、全体の13%。シベリア抑留の10%より高い死亡率です。
にもかかわらず、シベリア抑留と比べて、モンゴル抑留の悲劇は、あまり知られていないのが現状です。
「モンゴルの抑留」知っていましたか?
投票数:899票に 1.全く知らなかった 85%
2.言葉は聞いたことがある 8%
3.言葉も詳細に知っていた 7%
本日HPにて初めて学びましたので私自身のために保存して犠牲になられました皆様に哀悼の誠をささげたく思います。
ブログ「つきみそう」のご紹介 http://blog.goo.ne.jp/tsukimiso17
編集人松原様編集後記より
「今年は、改元の最初の年となりました。
即位礼正殿の儀を前後して大洪水に見舞われた関東の河川が氾濫するという非常事態でしたが、その後都内に虹が現れ、素晴らしい予兆でした。
それに794年の平安京へ遷都された日も奇しくも10月22日で、即位礼正殿の儀と一致したようです。」
『月見草』の素敵な題字は編集人松原様、素敵な表紙画「おおばぎぼうし」は編集人のご友人のT様と伺っております。
毎号、《作品鑑賞》を心待ちに致しておりますが、今号は上皇陛下のお歌をご紹介を頂きましたのでご覧いただきたく存じます。
今号も大切な皆様の1人に加えて頂き、35首のご指導を頂きました幸せに感謝を申し上げまして『月見草』のご紹介をさせて頂きました。
「記憶の中の鳥たち」 理事 土肥紅繪先生の作品
「書道の部会場」 の一部より 「書道の部会場」の一部より 私の作品 ↑
千葉市民展は例年3月開催ですが、千葉市美術館の改修工事に伴い、本年3月に引き続き令和2年3月開催を本年12月に開催の運びとなりました。
会場の都合に作品展示も1週ごとに変わり、書道展示が最後の週に組まれ、この度市川蘭華先生に会場にてご指導を頂く機会を頂きました。
この度、ご一緒に学んでおります若きママさんが「千葉市長賞」に輝きましたので素晴らしい作品をご紹介させて頂きます。
千葉市長賞 ↑
「評」 種谷萬城先生
千葉市長賞「はなちゃんへ」関 恵美子様
ひらがなだけで書かれた詩文書、字間と行間を詰めて密集した文字群を作り、周囲の余白を生かした独特の章法が効果的。
一字一字を自然で無理のない筆法で書き進み、温か味ある書、やや淡墨で潤渇を微妙に変化させ、素朴で心温まり、見る者の童心を呼び起こす。
以上理事長先生の素晴らしいお言葉と共にご紹介させて頂きました。
「先生方の作品及び入賞作品のご紹介」
師市川蘭華先生 上記4点の作品は、理事・審査員の先生方の作品 千葉市議会議長賞 千葉市美術館長賞 千葉日報社賞
理事・審査員の先生作品 先輩(依嘱) 「パプリカ」 永田時子様の詩文書
作品鑑賞にご一緒しました友人の皆様 かなの先生の作品 私の作品
えっ本当!読売新聞の「戦時の「海没遺骨」収集、厚労省検討」の見出しに何度も読み返してしまいました。
記事の中に「海中にある遺骨は保存状態が良く、DNA鑑定による身元特定が可能と・・・」長い間、海軍は遺骨がないと自らに言い聞かせておりましたので、ただただ驚き、感激しております。
「海没遺骨収集」の記事に茫然としながらも、もしかしたら幻の父に会えるかも?DNA鑑定ができることを夢見て生きていなければと健康管理を大切にして日々過ごして参りたいと強く心に誓った一日でした。
令和元年12月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌
お子様のお手紙を抱きしめながらお書きになりましたでしょう「生還は期せず」の最後のお手紙を手にされた奥様の悲しみはいかばかりだったことでしょう。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
母から渡されました軍事郵便には最後の遺書らしき手紙が無く、皆様の遺言書を拝読するたびに疑問に思っております事です。
この度の遺書を拝見して思いました事は、私も父にお手紙を書きたかったと、母と一緒に書いたか否かは今となってはわかりませんが、父との思い出がわかりません。
ただ沢山の父の直筆のお手紙は永遠に宝物です。
「九段短歌」
昭和も遠くなりましたが、我々遺族の悲しみは永遠です。
鎮魂の歌を詠み、御霊を偲びたく思います。
お目を通していただけましたら幸いに存じます。
今号には、「鳥海」艦長ご子息様、青森県の親友の両田中様のお歌を学ばせて頂き嬉しく存じました。
令和元年度は九段短歌に8首の掲載を頂き、投稿開始から14年目に134首目を記録させて頂きました。
今月の歌は、遺骨収集のご苦労に感謝の歌を詠ませて頂きましたので、南方地方の遺骨収集の様子をご紹介させて頂きました。
私ごとに最後までお訪ね頂きましてありがとうございました。
奈良の前田様より貴重なお便りを頂きましたのでご紹介させて頂きます。
「前田様の説明より」
「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」
柿本人麻呂の有名な歌ですが、画家の中山正光さんが「阿騎野の朝」と題して、この歌に基づいて軽皇子が父草壁の皇子が行った阿騎野の狩りを再現する絵を描かれています。
中山画伯は気象台に照会する等して、この歌が詠まれた狩りの日を、陰暦の11月17日と突き止めました。
地元、奈良県宇陀市のかぎろひの丘では、毎年この日の朝4時から焚火を焚いて、かぎろひの出現を待ちます。
今では、ツアーバスで訪れる人もあって沢山の人が訪れます。今年は12月13日がその日で48回目を数えました。
私は、その日を待たず、快晴が予測される12月10日に、かぎろひの丘ならぬ葛城山麓道路に出掛け、大台ケ原から高見山まで見渡せる位置で夜明けをまちました。
期待した程のかぎろひは見れませんでしたが、夜明け前の時の移ろいと風景の変化を目の当たりにして、素晴らしい夜明けを体験しました。
写真①6:16右大台ケ原から高見山までの稜線。
②6:21山の稜線付近に雲がでてくる。
③6:30吉野川に川霧が発生している。
④6:51吉野川の川霧もはっきりし、手前の工場の煙も見える。
⑤6:56稜線が明るんでくる。
⑥7:01日の出寸前。この時の光をかぎろひと言うのかもしれない。
⑦7:07日の出の瞬間。
6:16右大台ケ原から高見山までの稜線 6:21山の稜線付近に雲がでてくる
6:30吉野川に川霧が発生している 6:51吉野川の川霧もはっきりし、手前の工場の煙も見える
6:56稜線が明るんでくる 7:01日の出寸前。この時の光をかぎろひと言うのかもしれない
7:07日の出の瞬間
その年の世相を漢字一文字で表す師走恒例の「今年の漢字」が12日発表され、令和最初となる今年は「令」(レイ・リョウ/いいつけ・おさ・よい)に決まった。
この日午後2時過ぎ、京都・清水寺で森清範貫主が縦150センチ、横130センチの越前和紙に広島県産の熊野筆で力強く揮毫(きごう)した。
今年は21万6325 票(昨年2018年は19万3214票)の応募があり「令」が3万427票を集めて1位となった。
新元号「令」和に新たな時代の希望を感じた一年。
「令」和が日本最古の歌集・万葉集からの出典で、海外にBeautiful Harmony=美しい調和と説明されたことや、「令」の字が持つ意味・書き方にも注目が集まった。
また、法「令」改正、法「令」順守、警報発「令」、避難命「令」としても使われた年。(以上はHPより転載)
はTV報道より
3.筑波海軍航空隊記念館見学 (動画) https://www.youtube.com/watch?v=9pn3ZCsVt8o
パンフレット 旧司令部庁舎【記念館】
旧司令部庁舎【記念館】(パンフレットより)
1938(昭和13)年に建てられ、海軍航空隊司令部庁舎が、ほぼ当時の姿のまま現存しています。
「永遠の0」の撮影現場にもなりました事を伺いました。
詳しくは動画をご覧いただきたく思います。
「展示紹介」の一部を収めてまいりました。
数々の撮影に使われる指令室 「永遠のO」再現ロケセット
※ロケ地としての需要
旧軍の史跡で撮影できる場所は全国的にも貴重ということで、多くの映画・ドラマ等のロケ地として活用されており、映画やドラマのファン層や 若い世代にも知るきっかけを
作っています。
※最初の「特攻志願者」が生まれた地
特殊攻撃機「桜花」22型 零戦の後ろ部分 1
零戦の後ろ部分 2 回収された零戦の説明
「赤トンボ」と呼ばれた特攻機 医務室の再現
4.お菓子夢工場 「お菓子の広場・亀印本店」「吉原殿中実演工房」「お菓子博物館」の3つの施設からなる「お菓子夢工房」です。
「吉原殿中」は「ごかほ」です 以上は子どもたちの家族へのお土産です
5.予科練平和記念館見学(館内は撮影不可) https://www.yokaren-heiwa.jp/
予科練平和記念館建設の目的 | 霞ヶ浦海軍航空隊と予科練 | 海軍航空隊周辺の状況
「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称で、第一次世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まり、欧州列強に遅れまいとした旧海軍が、より若いうちから基礎訓練
行って熟練の搭乗員を多く育てようと、昭和5年に教育を開始しました。
14才半から17才までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基礎訓練をするもので、飛行予科練習生制度が始まってから、終戦までの15年間で約24万人が入隊し、
うち約2万4千人が飛行練習生過程を経て戦地へ赴きました。
なかには特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の1万9千人にのぼりました。
予科練平和記念館 予科練雄翔館
※「予科練平和記念館」は「空を感じる空間」を用いて、「空」を見せることを大切にしています。
変わらぬ空の風景から、当時の少年たちの気持ちや現在の平和な世界のことを考えてみてほしい。
※「予科練雄翔館」は、予科練戦没者の遺書・遺品約1700点を収蔵、展示しています。
予科練出身者、遺族などで構成される公益財団法人海原会が管理し、1968年(昭和43年)に開館しました。(以上はパンフレットより)
12月と言えば我々遺族は悲しく忘れられない8日を思い出します。
2日前の6日は曇り空に覆われ、車中から富士山を眺めることも、筑波山の美しく彩っておりましたでしょう山々を眺めることはかないませんでしたが、33名全員が健康を
害することもなく、無事に日程を終了することができました。
戦死されました多くの若人の御霊に哀悼の誠を捧げ、戦死した父をも重ねながらの追悼の1日を過ごすことができました。
高齢化が進み参加者募集も大変になって参りましたが、次年度も多くの皆様と親睦を深めることができますことを祈りながら散会と致しました。
「追記」最後のお土産は水戸と言えば「水戸納豆」わらで包まれている特別な包装です。
ガイドさんから「残念ながら千葉のわらは許可されていない。」と説明がありました。
昭和20年の終戦から、平成、令和と時代も移り戦後も遠くなりました。
過去の悲惨な戦争の記録・お写真を拝見して新たな悲しみを覚えました旅となりました。
永久の平和を祈りながら紹介をさせて頂きましたが、多くの皆様にお訪ね頂きました事に心から御礼を申し上げます。
感謝の気持ちを保存させて頂きます。
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12月8日(日) 1465PV |429UU |2900145ブログ中 3162位
実施期日 令和元年12月6日(金)
参加人数 33名
【日 程】
千葉駅NTT前(08:30)==東関道==外環・常磐道==桜土浦IC==筑波実験植物園(10:40~11:10)==つくば山水亭(昼食11:30~12:20)==常磐道==筑波海軍航空隊記念館==お菓子夢工場(買い物 14:15~14:45)==桜土浦IC==予科練平和記念館(15:45~16:35)==阿見東IC==牛久大仏(車窓より)==東関東==酒々井PA==穴川IC==千葉駅NTT前到着(18:30)
1.国立科学博物館 筑波実験植物園見学
筑波山の南に広がる筑波研究学園都市にあり、国立科学博物館が植物の研究を推進するために設置した植物園です。
植物の多様性を知り、守り、伝えることを使命に、研究、保全、展示、学習支援活動を行っています。(以上はパンフレットより)
パンフレット 美しいメタセコイアの説明を聞きながら眺める皆様
見学スタートへ
センナリバナナ
← 珍しい左側のお花の名前です
小さな植物も丁寧に管理されておりました 温室の中で
珍しいソテツの実を見ることができました ソテツについて
2.つくば山水亭・昼食会場へ
山水亭の名前は「枯山水」から由来しております。
大きな仁王像がお出迎え、日本古来の美と心が静かに息づく世界へようこそ!(パンフレットより)
昼食会場の素敵な山水亭に到着しました ビックリするほどの大きな仁王像に迎えて頂きました
美しい中庭が管理されていました 正面玄関にたどり着きました
「千葉市遺族会様」の歓迎板を受けて会場へ 美味しかったランチです
途中までの記録でしたが多くの皆様にお訪ね頂きまして御礼を申し上げます。
皆様のお気持ちを保存させて頂きます。
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12月7日(土) 1515PV|437UU |2900051ブログ中 2752位
漢字半紙 「宇宙洪荒」(うちゅうこうこう) かな ペン字 漢字条幅
かな条幅(「拾遺集」源景明)
作品の説明を私自身の為に記します。
漢字半紙 (読み方) うちゅうこうこう (意味) 「宇」とは空間、「宙」は時間のこと。洪、荒はどちらも大きく広がるという意味。
かな半紙 (読み方) ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも(斎藤茂吉)
ペ ン 字 (6 - 2) 百人一首について6ヶ月学びます
漢字条幅 (読み方) 高鳥過時秋色動 征帆落處暮雲平 (高鳥過ぎる時 秋色動き 征帆落ちる處 暮雲平らかなり)
かな条幅 (読み方) 都にてめづらしとみる初雪は吉野の山にふりやしぬらむ
毎月5点の作品提出に歳を重ねてまいりますと年々気持ちの負担を感じるようになりました。本日、令和元年最後の作品提出を済ませて言いようもない程ホットしております。
仮名作品の創作にかなりの時間を費やしながら、俳句、短歌を学び、墨の香に心和ませながら筆を持つことの出来ます幸せに感謝の日々を過ごしております。
ここに未熟な作品ですが、今年最後の競書作品を提出後の保存作品より収めました。