独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

横須賀市猿島 国指定史跡「猿島砲台跡」見学の旅の想い出

2021年06月30日 14時19分20秒 | 旅行

            ヒーリングタイム・・・遠いむかし・・・美ヶ原で美しいアサギマダラに遭った・・・


                 
比企の丘 様のブログより頂きました

ブログの先輩の比企の丘様の「アサギマダラ」の素晴らしいお写真を拝見させて頂き、友人との横須賀市 国指定史跡「猿島砲台跡」見学の旅に思いを寄せることができました。

                 猿島のご紹介 https://www.tryangle-web.com/sarushima.html 


                            猿島公園専門ガイド協会冊子より転載 

                         ゆく秋の猿島めぐり友と行く幕末より在る砲台跡など

          「アサギマダラ」は残念ながらカメラに収めることができませんでしたので「紹介冊子」よりご紹介させて頂きました。

                  
                              幸いにも美しい「アサギマダラ」に出合いました

                                   レンガ造りのトンネルを抜くればジャングルで珍蝶アサギマダラに遇ひぬ

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横須賀市 国指定史跡「猿島砲台跡」見学の旅

2018年10月30日 21時42分43秒 | 旅行

               実施日  平成30年10月29日(月)素晴らしい秋 
                参加者  男子・女子各3名の友人
                  ガ イ ド   木暮様(猿島公園専門ガイド協会) 
(この度の幹事のN様より)
今回はガイドの木暮さんに島一周の案内をお願いしました。ベテランのガイドさんで、江戸時代の台場、太平洋戦争時の猿島を案内頂きました。
また、昭和初期東京湾内に防衛の為3ヶ所(現在残っているには2ヶ所)に台場を作ったことの説明がありました。現存しているようですが海図には記載なしと。
猿島ガイドは90分間、猿島に生息する草花・蝶々・樹木、砂鉄遊びも楽しむことができました。

              猿島のご紹介 https://www.tryangle-web.com/sarushima.html 

【行 程】 
 1)往  路 千葉発(大船行き) 9:07 → 品川 9:58着、京浜急行乗換 10:10発 → 京浜急行・横須賀中央駅 11:00着
 2)昼  食 11:00~12:00(横須賀中央駅周辺) → 三笠桟橋への移動時間約15分
 3)行き乗船 三笠桟橋発 12:30 → 猿島着 12:40
 4)猿島観光 ガイド時間 12:40 ~ 14:10頃 (90分)
 5)帰り乗船  猿島発    14:45 → 三笠桟橋着 14:55 (下船後、三笠桟橋周辺の海鮮市場・横須賀中央駅周辺のお店散策)
 6)帰  路 横須賀中央駅発 16:00頃 帰路所要時間 2Hr → 千葉駅着 18:00頃 (※万歩計は1万893歩を記録してくれました。)  

                          
                                       猿島公園専門ガイド協会冊子より 


         猿島に近づきますと白い岩が目立ちました                         猿島公園専門ガイド協会冊子より

 
          桟橋では猿のゲートがお出迎えでした                                                         島内の掲示版より撮影

 
 
                                                  今も使われておりますことに詳しく説明を頂きました

島内には緑深い木々の中、旧軍施設であるレンガ積みの美しいトンネルや砲台跡が残り、ちょっとした探検気分が味わえます。
この砲台跡は平成27年3月に国の史跡に指定されました。(冊子より)

 
      勾配がきつい場所もあるので、仙人杖をお借りしました(無料)                   100段の階段を上って探検開始

  
     見学者のために歩道が整備されましたと(手前の写真は以前の歩道)                    石垣に囲まれた塁道を歩く               

 
猿島の石垣                                           左右の高さが違うのは、戦争で片側だけが崩れてしまったからと
中央の茶色の部分は終戦後の武装解除のために上陸した連合軍が威嚇発砲した痕ですと

 
               要塞の「切通し」を歩く                  上を見上げますと木々のツタが絡まりあうように丸く空を覆い幻想的な雰囲気です
 
この「切通し」はかつて軍隊が使用していたものだそうで、高さ5~6mの壁ができるよう山を切り開き、空から軍が発見されないよう道を作ったのだそうです。
切通し沿いには実際に使われていた兵舎や弾薬庫などがそのまま残っています。

 
                                                レンガの長手と小口を交互に積むのがフランス式のレンガ積み

幕末から明治初期にかけては、フランス式のレンガ造りやレンガ積み技術が使用されていましたが、明治20年代以降、イギリス式のレンガ積み(レンガを長手だけの段と小口だけの段で一段おきに積む方式)が圧倒的に数を増し、フランス式の建造物は徐々に減っていきました。フランス式で造られた猿島要塞は今では大変貴重なものだそうです

 
                  弾薬庫入り口                    ガイドさんに鍵を開けて頂き、中の「落書き」「揚弾井」等が見学できました 

              
弾薬庫内部、弾薬庫歩哨の監視窓。当時はガラスが嵌められていた管理がされていなかった頃の「落書き」が残されていました。島に電灯が無かったため、窓枠下の二箇所の丸い窪み蝋燭を置いたと


                
    弾薬庫の隅には、真上にある砲台へ砲弾を運ぶためのたて穴があった。                  「揚弾井(ようだんせい)」の滑車の説明を頂きました      
「揚弾井(ようだんせい)と呼ばれ、井戸のように滑車を利用して引き上げるんですよ」と。

 
                いよいよトンネル探検へ                      トンネル探検が終わって出口からトンネルを写す

 

   
砲台跡が出現。大きな大砲を360度、回転させられるスペースで、島の北側に位置するこの付近には3台の砲台跡があります。こちらはまるで、UFOの着陸跡のよう。
ここから飛来する飛行機を狙っていたそうです。命中するとは思えないと…。
 
 
                                                 幸いにも美しい「アサギマダラ」に出合いました

渡舟が着岸した目の前の砂浜を「砂鉄の浜」と呼んでいます。この砂浜は砂鉄を多く含んでいて砂鉄遊びを楽しむことができます。
この砂浜で乗船までのひととき木暮様の素敵なアイデアを楽しみました。
「おみくじ」を1枚頂いて砂鉄をふりかけ、砂鉄を落としていきましたら最後は「大吉」の文字が現れ素敵な旅の思い出になりました。

 
素晴らしい秋  に恵まれました一日、ガイドさんの木暮様の説明を頂きながら仲良しグループの皆様と初めての「猿島砲台跡」見学の旅を楽しみました事に、この度の実施にあたり綿密な
計画を立ててガイドさんとの確認などにご尽力を頂きましたN様に改めて御礼を申し上げております。
今後も皆様と親しくご一緒させて頂けますように健康管理に努めてまいりたく思っております。
N様をはじめ、皆様お世話になりましてありがとうございました。 

この度の「猿島」見学の旅に毎日多くの皆様にお訪ね頂いておりますことに御礼を申し上げます。 

     日 時    閲覧数 訪問者数       順  位 

2018.10.30(月)

   1060      287  

     4005 位  / 

 2845174ブログ

2018.10.31(火)   967  296  4707位 /  2845255ブログ 

2018.11.01(水)  1334 336  3882位 /  2845357ブログ 

             

             おかげさまで12首の思い出の短歌を詠むことができましたので保存いたしました。         

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のんびり湯河原温泉の旅

2009年02月10日 19時39分07秒 | 旅行

            平成21年2月8日(日) ~ 9日(月)  1泊2日湯河原の旅
    
 
           お宿 「山 翠 楼」              湯河原温泉郷 (湯河原駅ホームより)

 
                      素敵なお部屋と露天風呂の一部 
    
長い間の風邪にすっかり弱腰に、もう治れ無いのでは  と前向きになれずにおります時に、友人から嬉しいお誘いを頂きました。
「貴女らしくないわよ。  に出かけましょう。」 
久々の外出に重い腰でしたが、両日とも  に恵まれ、ツアーとは異なったのんびり二人旅。
        
宿泊した 「山翠楼」 は翠濃い箱根山麓の自然に囲まれた奥湯河原に建つ、純和風数寄屋造り。湯葉料理の素敵なお宿でした。
見上げれば箱根連山、眼下には山懐に抱かれた湯河原温泉郷。雄大な自然を満喫出来る展望露天風呂  に心ゆくまで楽しむことが出来ました。
夢のような  をいただき心から感謝申し上げております。
本当に有り難うございました。   

<奥湯河原の散策> 
 に恵まれました一日、おしゃべりを楽しみながら、ゆっくりと2カ所の散策を楽しみました。

 
           不 動 滝                万葉の歌碑(佐佐木信綱選)

(1)不動滝(パンフレットより)       
湯河原駅より奥湯河原、不動滝行きバス不動滝バス停下車(乗車時間約20分)       
落差15mながら水量は豊か。滝の左側には身代わり不動尊、右側には出世大黒尊が祭られています。
◎不動滝(ふどうたき)では1931年桜井欽一博士によって湯河原沸石が発見されました。
  不動滝では発見された湯河原沸石は、伊豆半島で最も古い新第三紀湯ヶ島層から発見 されています。
  沸石は、湯ヶ島層が露出している藤木川をさかのぼり、奥湯河原、湯河原浄水場、蛇態橋 の附近でも発見されていますが、ここでは他に
◎濁沸石◎モンデン沸石◎剥沸石◎菱沸石などの沸石が産出しています。湯河原沸石の産地は、湯河原温泉の泉源とほぼ一致して
 いる点、沸石は温泉と密接な関係があると考えられます。
(2)万葉公園(パンフレットより)

湯河原駅より奥湯河原、不動滝行きバス落合橋下車(乗車時間約12分)
うっそうと茂る樫、椎の木からこぼれる陽光、川のせせらぎ、野鳥のさえずり。
この公園は森と水の公園として人々に親しまれています。
駅より2,9km、車で9分。温泉街の中心にある万葉公園の中には、数多くの万葉植物が植栽されています。
万葉時代の古代建築を模した万葉亭、万葉集の中でただ一つの出湯を詠った歌碑、国木田独歩碑等があります。
万葉の歌碑 (佐佐木信綱選)        
 足柄の土肥の河内に出づる湯の世にもたよらに子ろが言はなくに 

この歌は、温泉のこんこんと湧き出している様を詠ったもので、万葉集4,500首の中にただ一首しかないその一首が 「あしかりの土肥の歌」 として湯河原温泉を詠んだものです。
なお、この歌碑の原文は、竹内栖鳳の筆によるものです。(原文は「湯河原ゆかりの美術館」に展示されております。)      

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「飛鳥の旅」 二日目を楽しんで 

2008年09月28日 14時07分18秒 | 旅行

   2008年9月19日 (金)    の接近に夜半少々波高し。
    日の出 05:21 波静か     ★ 日没 17:40
    

     クルーズスケジュール 終日航海 At Sea (太平洋クルーズ)
       ドレスコード (今夕の服装)   インフォーマル Informal
          男性 : スーツ、ジャケットにネクタイなど
          女性 : ワンピース、ツーピースなど
         17:00頃より上記の服装でお過ごし下さい。

先ず船内新聞の記載事項を確認後、朝食会場の「リドカフェ&リドガーデン」  
開放感あふれるビュッフェスタイルのレストラン。
オープンデッキで爽やかな朝の風を感じながらの朝食は爽快でした。

初めての船旅に、どんな催し物がどこで美味しいタイムがありますか等を詳しくチェックしながら効果的に楽しむことが出来ましたように思っております


「ハリウッドシアター」と呼ばれる素晴らしい会場で「本格的なショー」「武士の一分」の映画上映又 「ビンゴ大会」「船長のよもやま話」等々を楽しみました


「飛鳥」ならでの施設に感激致しましたと同時に、この図書室に40日間のクルージングに短歌の指導者として乗船しました鶴岡先生が記念に贈呈された先生の著書を拝見する
事が出来ました事は大きな喜びでございました。 
 


             「ビスタラウンジ」                「フォーシーズン・ダイニングルーム」
「ビスタラウンジ」
船首に位置しています。  に恵まれ、壮大な大海原のパノラマに魅了されました。
音楽・映画鑑賞などの後のひとときは   タイムを楽しみました。
    
「フォーシーズン・ダイニングルーム」
エレガントで広々としたメインダイニングでの最後の夜は Informal にて、本格的なフレンチディナー  乾杯のが特別美味しく頂きました。

     
素敵なディナーの後は、最後の  タイムを楽しみました。
ほんの少し頂いた  と  の接近に、足下が揺れて、きちんとステップが踏めませんでしたがこれも船上パーティの思い出になりました。
      
尚、船内ではカメラマンが活躍しておりまして、知らない間に沢山の思い出が展示されます。
この一枚も友人に撮っていただいていた時のものですが「不要のお方は箱にお捨て下さい」と記されておりましたが、折角ですので捨てずに記念として4枚購入して
参りました。ちなみに1枚 840円でした。


夜10時過ぎ頃だったでしょうか、台風  が接近。
船長さんから「今、横浜港が閉鎖されました。到着時間が多少変更になるかも知れませんが、全く心配ありません。」等々、放送がくり返し行われベットの揺れも少し
感じましたが、幸せな夢心地でいつの間にか 


2008年9月20日(土)素晴らしい秋 
早朝の船長さんの放送に目覚めました。
「おかげさまで台風がそれて快晴です。予定通り9時5分横浜港に入港致します。」 に、二人同時に「残念!」「入港が遅れればもう少し船の旅を満喫できますのにネ!」と不謹慎な言葉を発してしまいました程に素敵な旅でございました。


  早朝のデッキに佇み、名残惜しく横浜港をはじめ、最後の記念  を何枚も撮りました。ちょっと素敵!と思いますが
未熟なですが素晴らしい秋  の様子をご覧いただけると思います。
「飛鳥の旅」は遠い存在と思っておりましたが、友人のお誘いに夢が現実にとても嬉しく心から感謝を申し上げております。 
K様有り難うございました 

又、ご一緒できます日を楽しみに致しております 
            

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港町 ・ 函館と憧れの 「飛鳥 Ⅱ」 の旅 

2008年09月25日 11時25分07秒 | 旅行

       

                          函館港の夕日と 「飛鳥 Ⅱ」
行   程
一日目  
9月18日 (木) 羽田空港 発    函館空港 着 12:00 函館朝市にて昼食及びショッピング ~ 終日自由行動でした。
ブログの友人、函館の朧月夜様のご案内の先ず「イカ刺し」に舌鼓をうち、後に五稜郭まで久々に函館の街を散策致しました。
懐かしい路面電車にも乗ってみました。
「五稜郭」 パンフレットより抜粋
函館市にある五稜郭は日本で初めての洋式城郭で、1857年より着工、7年の年月をかけて1864年に完成しました。
1853年黒船の来航により開国を迫られた幕府は1854年日米和親条約を締結し、箱館を開港場の一つとしました。
箱館奉行所は産業の発展に力を注ぐ一方、箱館の防御強化に努めました。
五稜郭の築造も徳川幕府により北方防備の拠点として進められました。
五稜郭は砲台となる5つの稜堡(りょうほ)をもつ星形の平城でその外側を土塁と塀が囲み大砲の攻撃に耐えるように高い城壁ややぐらはおかずに土塁は低く厚くされました。
内部の広場には奉行所の建物や役宅が置かれましたが、戌辰戦争のとき榎本武揚が率いる旧幕府軍の本拠とされ、大部分が焼失し、現存するのは倉庫一棟のみとなっています。

  
                    展望台ガラス越しの  現存の倉庫でしょうか 

 
          函館駅                          路面電車

           
            乗船記念に                    遠くに五稜郭を望む函館港の夜景

待望の乗船
先ず、「アスカデイリー」にてスケジュール確認。
夕食までの一時、豪華船内見学 ~ 「プロダクションショー」 を楽しみました。
夕食(19:45) ~ ドレスコード カジュアル にて函館の夜景を臨みながらの中華料理。
         
いよいよ出港間近に    
  
                  地元の皆様と一緒に 「イカ踊り」 を楽しんで       私 ↑

地元の皆様の 「イカ踊り」 とドラの音に送られて 函館港 (22:00出港) ~~~ 
生バンド演奏による タイム(18:00~24:00)一泊めは 「イカ踊り」 に送られた後、初めての船上パーティを楽しみました。
       
ダンスの後は 「グランドスパ」 と言われる展望の良い大浴場が魅力的でした。 
とても幸せです。ゆっくり休ませていただきます               

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丸紅コレクション展鑑賞と京都観光ハイヤーの旅

2007年05月04日 00時03分11秒 | 旅行

   [一日目]   
 
 先ず京都博物館へ                                      平安神宮参拝


                                平安神宮の美しい庭園             
 
          南禅寺参拝           京都市指定史跡。南禅寺の境内にあるレンガ造りのモダンな水路閣と水路閣を流れる疎水
                            TVのサスペンスドラマで見たことはありましたが初めて尋ねることが出来ました
     


             哲学の道は美しい桜並木が続くそうですが、この度は森林浴となりました
 永観堂 紅葉の名勝 → 知恩院 浄土宗の総本山。山門が日本一
     

      八坂神社は祇園祭の祭神でもあり、八坂さんで親しまれる花街の守り神
  

 
            ねねの道                    一力茶屋
桜の名勝白川通りを走って辰巳大明神舞妓さん達がお参りする芸達者の神様から一日めの最後の見学
  
         花見小路通り                  夕食会場 き乃ゑ 
[二日目]
午後2時からの「都をどり」迄の約5時間、二条城 を車の中から見学、郊外へ車を走らせ楽しい説明に耳を傾け、観光ハイヤーならではの素晴らしいご案内を頂きながら先ず 
 
            詩仙堂              座してみる庭園はまさに額縁に収めた名画


       美しい白藤の花のつもりです       僧都(そうず・ししおどし)の音が新緑に木霊して
(絵はがきの文面より転載)
 詩仙堂は、江戸時代に石川丈山によって建てられた草庵。
 丈山は徳川家康に仕え、武勇にすぐれた三河武士として知られていたが、また詩文を好んだ文人でもあった。
 大阪夏の陣の後には隠退を決意し、儒学詩文に専念し藤原惺窩に学んだ。
 やがて東山一乗寺に隠棲の地を求め、詩仙堂を造営し、林羅山等との交遊のうちに晩年を送った。
 詩仙堂の名は「詩仙の間」に由来しており、部屋には丈山がわが国の三十六歌仙に因んで選んだ、中国の三十六詩仙の額絵が掲げられています。
 現在は、曹洞宗大本山永平寺の直末寺、詩仙堂丈山寺として知られています。
 (絵はがきより2点ご紹介)
   
         詩仙の間より前庭                嘯月楼
次は新緑のもみじのトンネルをくぐって曼殊院へ 


(曼殊院門跡の沿革より一部転載)
 曼殊院門跡は洛北屈指の名刹である。
 門跡というのは、皇室一門の方々が住職であった事を意味し、勅使門の両側の塀に残る五本の白い筋はその格式を今に伝えるものである。
 当門跡は、妙法院・三千院・青蓮院・毘沙門堂とともに京都の天台五ヵ室門跡と称されている。・・・ 

          拝観料 500円                       梟の手水鉢
ドライバーさんの説明から
梟の手水鉢は丸型をして、蹲踞(つくばい)のように石が組まれ、四方に梟に似た鳥の彫刻があることで有名です。
又、斜めになっていることから中秋の名月頃、月の光をここに反映させて、部屋の天井に反映したもう一つの美しい月を見るという趣向もあったそうです。
又、書院の欄間と廊下の杉戸の引手、欄間は月の字くずし・卍くずし・菊花紋、引手は扇手・瓢箪・などさまざまな意匠が懲らされています事。
四季を通して美しい庭園が演出されますが、特に紅葉の名勝としても知られ、紅葉シーズンには多くの観光客で賑わい、この曼殊院から東山36方を望むことが
出来るとも伺いました。   

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大日堂参拝から「都をどり」の鑑賞

2007年05月03日 23時55分58秒 | 旅行

曼殊院を後にしばらく山を登り到着したところは青蓮院門跡 別院 大日堂
大日堂(パンフレットより転載)
将軍塚一帯にあり、現在の堂宇は明治に篤志家の寄進したものであり、本尊は平安時代に作られた石造りの胎臓界大日如来像で、石上に安んぜられ、雨露にさらされていた
時代が長かったと見えて、全身相当磨滅している。

古来将軍塚の」「大日さん」として信仰されており、幕末勤王の志士は、その身の安全をこの像に謝することが多かった。
大日如来の前の小さな石仏は阿弥陀如来である。

  
           
30年前に植えた一枝が立派に育ったことから 一念松 と名付け、「人の一念岩をも通す」と訪れる人を元気づけているそうです。
        

           一念松               一念松の説明板         
               
    
        大王松で作った「三つの願いが叶うお守り」
住職さんがを込めて作られた「三つの願いが叶うお守り」に心が動き子供達や親しい友人のお土産に求めて思い出に残る大日堂を後にしました。
     
「都をどり」の時間も近づき、昼食後は歌舞練場のお隣の建仁寺へ。

祇園の真ん中なのに不思議な静寂に包まれているのは禅寺だからでしょうか
             
      
                  建仁寺 
寺院巡りの観光も名残惜しく「都をどり」の会場へ  を進めました。
   

             会場入り口                  舞妓さんからお薄をいただきました
(パンフレットより転載)
「都をどり」の始まりは明治5年、東京遷都に伴う京都の再生と活性を目的に開かれた
「京都博覧会」の演目の一つとして行われたもので、それが今も脈々と受け継がれているのです。
「再び華やかな花の都へと隆盛させたい」そんな願いがこめられているとあって舞妓さん芸妓さんのきれいな舞い姿にもどこかしらキリッとした
心意気が伺えるようです。

桜の花びらがちらほら舞い始めると、京の花街に艶やかな季節が訪れます。
舞妓さんの甲高いかけ声で幕が開く、美しい絵巻物語 「都をどり」 の始まりです。
華麗な衣装に小粋で美しい舞い姿・・・、華やかな群舞に酔いしれていると、笛、三味線など粋で陽気な鳴り物のリズムがさらに夢心地へといざなってくれます
             
            
                           美しい都をどり  
この度は久々の京都の旅でしたが  の佳き機会に恵まれにも恵まれ、観光ハイヤーのドライバーさんの行き届いたお心遣いに楽しく、
優雅な観光の旅が出来ましたことに心から御礼を申し上げております。

有り難うございました 

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晩秋の房州路の旅 

2006年12月21日 09時32分07秒 | 旅行

平成18年12月3日(日)
晴天に恵まれた晩秋の一日、運転のお上手な友と元ウグイス嬢だった友に誘われ日本最後の紅葉の地、房州路ドライブの旅を楽しみました。
初めて訪ねた「もみじロード」の素晴らしさに魅了され是非、千葉の紅葉を訪ねていただきたく元ウグイス嬢の友人に道案内をいただきましたので写真を添えてご紹介させていただきます。

千葉市内 8時スタート 
松ヶ丘インター → 館山自動車道 → 君津インター国道127号 → 佐貫の町へ。
  
醤油屋さん     に立ち寄る

→ マザー牧場  
園内のサルビア                                
マザー牧場から富津岬・海ぼたるを見る 
                                
→ 国道465号 → 県道   この辺りから 「志駒川もみじロード」 に入る。

 



                                途中「銘水百選の水」をいただく              
 


下沢橋付近からのハイキングコースは絶景です。
志駒川に沿って散策しますとウリカエデ、エンコウカエデ、黄色のイチョウ、コウヤボウキ、コナラなどが鑑賞できます。
地元の方によって整備されている里山「もみじロード」ではモミジ、ウルシの朱にイチョウの黄などが志駒渓谷を色鮮やかに染めていました。
千葉県富津市の志駒川渓谷を訪ねると ここに必ず足が止まる と言われています。
志駒川は湊川と合流して東京湾に流れているそうです。

  晩秋の志駒渓谷友と行く朱に華やぐ山路ひたすら

→ 長狭街道 → 笑楽の湯(入浴)  を楽しみました。

 
                               

                      桜の名所 佐久間ダム
 
      
         → 富山町 → 道の駅 富楽里(ふらり)とみやま
      海鮮レストランにて昼食、新鮮なお野菜、房州のお花を  にしました。

国道127号 → 勝山  → 保田 → 長狭街道 
                勝山海岸より三浦半島を望む
大山 → 鴨川市総合交流ターミナル 道の駅  国道410号 → ロマンの森共和国へ
                        みんなみの里
                                
 
      ホテルシルクヴィラ

   「露天風呂・白壁の湯」千葉県君津市豊英659-1 (電話)0439-38-2211
小糸川の上流、ロマンの森共和国の敷地内に在ります。
露天風呂から眺める自然の作り出した高さ100mの白い岩肌は、他に類をみない景観を作り出していると言われております。
絶景の紅葉を眺めながら露天風呂に身を休めて一首。

       身を浸す露天に仰ぐ山肌の白き岩間に紅葉満ちみつ

小春日和に恵まれ、初めての「もみじロード」に感激!
白壁に美しく彩られた紅葉を眺めながら露天風呂を楽しみ、地元で採れた新鮮な野菜・
魚介類を使い素材の味を活かした美味しいお料理に舌鼓を打ち、楽しい思い出を綴ることが出来ました。
自宅の居間にはお土産に求めた日本水仙  の
優しい香りが友情の絆を深めてくれているようにとても嬉しく感謝の気持ちでした。    

コメント (8)
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曹洞宗大本山永平寺参籠と越後良寛遺跡巡りの旅

2006年11月11日 11時55分50秒 | 旅行

平成18年11月7日(火)8日(水)9日(木)2泊3日の旅へ。

この度、曹洞宗千葉県第一教区(6寺院)の檀家様の旅に住職の友人としてお誘いいただき、大切な先祖供養と温泉の旅に参加させていただきました。
羽田空港~小松空港(9:45着)に見舞われ、大揺れの の中に閉じこめられ、予定時間をオーバーして無事着陸。
の中を 越前竹人形の里 見学。
豪雪地帯の厳しい寒さに耐えうる良質の真竹や孟宗竹が育つ越前では、古来より竹細工が作られ、伝統工芸になった竹人形もその一つ。
創作竹人形館「黎明」は、多くの竹人形が展示された日本で唯一の竹人形館。
竹人形工房「かがり」でその創作風景を見学、職人たちが心を込めて作る様子と作品を写真に収めてみました。

 
   入場券         1ミリの4/1の人形の毛を作成中                   干支のイノシシ作成中

          
                 良寛さん                      かぐや姫
        
永平寺町:四季の森文化館(旧傘松閣)見学。
 平成8年5月にオープンした資料館と図書館の複合施設です。
 最大の魅力は永平寺の傘松閣を忠実に復元した総檜作りの傘松閣資料館です。
 別名「絵天井の間」ともよばれる160畳の大広間が、華麗な花鳥風月もそのままに再現されています。   

               

                    床の間の上段に 傘松閣 の文字を見る

永平寺 到着。先ず 外観 (写真は旅行案内のパンフレットより) と御朱印のご紹介

 
            山 門                        仏 殿

           
           法 堂                               永平寺御朱印  

一泊目は永平寺宿坊泊
案内された大広間には畳一畳に一枚のお布団が所狭しと敷かれていました。
一休みする暇もなく、入浴は20分で。次は法話、座禅、夕食は勿論精進料理、「五観の偈」 一 には功の多少を計り、彼の来所を量る。
・・・を唱え、食べ方、残った時は・・・等の教えをいただきながら雲水さんのご苦労に思い噛みしめながらいただきました。
お茶をいただく前には朝食に備え、お箸を洗ってからいただくなど合理的と申しますか生活の知恵なるものが伺えました。
    消灯 21時
      起床  3時
    法要  4時 ~
とても寒い朝でした。
まだ夜の明けない薄暗く長い廊下を渡り、170余段の階段を一歩一歩進み、立派な法堂にて80余名の僧侶の皆さんに先祖供養を行っていただきました事は心の安らぎをいただきました。
2日目(8日) 

永平寺門前 ~ 北陸道を  の旅を楽しみながら 良寛記念館 を見学。
良寛の遺墨を多く収蔵している記念館。
丘を上がると良寛を慕ってここを訪れた山頭火などの歌碑がある。
はるか向こうには良寛が母を偲んで眺めた佐渡島がよく見えました。

                      

                       良寛さんのお人柄が偲ばれる作品
                     
3日目(9日) 
弥彦神社参拝
 弥彦山の東麓、杉、ケヤキの森の中に社殿を構えた越後国一ノ宮。
 越の国に製塩・漁労・農耕の技術をもたらした天香山命を祭り、古くから信仰を集めている。
 現在の社殿は1916年(大正5)に再建され、弥彦山を背にした荘厳なたたずまい見せる。

 

境内には 菊花展  が盛大に開催されていました。

国上寺参拝 
当山は、元明天皇和銅2年(709)に越後一の宮弥彦大神の託宣により建立された越後最古の古刹です。
上杉謙信公、長岡市の牧野公の祈願寺として、往時の隆盛を極めました。
格式としては、孝謙天皇より御宇にて正一位を賜り、北海鎮護仏法最初の霊場として信心のより所とされてきました。とご案内をいただきました。
            
                                 

               
                        五 合 庵
国上山の中腹、国上寺境内の林の中にある間口2間の萱葺きの小さな草庵。
良寛が全国各地の寺で厳しい修行、研鑽を重ね、1793年(寛政5)頃から20年近く住みつき数々の詩歌や書などの作品を遺した場所。
現在の庵は1914年(大正3)の再建。

  
           五合庵 ~ 吊り橋を渡り ~ 紅葉には少し早い風景を眺めながら国上山公園を散策  

良寛の里美術館 見学。
良寛と愛弟子・貞心尼の書や詩歌を中心にゆかりの文人墨客の作品も含めて展示。
展示室の他「和島の良寛・良寛と貞心尼」など大型スクリーンに映像が映し出され、良寛の心が身近に感じられました。
又、書道等が無料で体験出来るコーナーがあり、恩師に良寛の歌を何点か書いていただき、とても良い記念になりました。

      
                              
高校時代の恩師高橋先生に書いていただいた良寛さんの歌


          帰路は 寺泊 魚のアメ横にて家族への  の等を  が重くなるほどに買い込み、思い出の旅を後にしました。
私はこの度の旅に「竹人形の里」で伝統工芸を継承している青年のお姿、永平寺の雲水さんが過酷な研修に耐え、努力されていらっしゃるお姿に感動いたしました。


           「竹人形の里」で求めた2007年度の干支                       永平寺でいただいたお箸                             

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