平成19年5月靖国神社社頭に掲示された遺書
戦後60年が過ぎて尚、戦争の傷跡深く、靖国の妻は今年は平均年齢89歳を重ね、戦死した夫、父、兄弟を偲び心から恒久平和を願う遺族の一人です。
首相の靖国神社参拝などについて論議が交わされておりますが、私的なコメントは控えさせて頂きますが御霊の安らかなることを祈る気持ちです。
又、悲惨な報道がされるたびに命の大切さ「生きる」事への努力を惜しまないで欲しい!と強く願っております者です。
今号も29歳のお方の遺書と13名の方の歌をご紹介させていただきます。
還るなき面影偲び歳月を心に刻み墓碑を仰ぎぬ 角田市 女性
大君のみ旗のもとに雄々しくも召されし友の遺影なつかし 島田市 男性
悲しみは時が癒すと諭しくれし亡母をうべなひ齢重ね来 横手市 女性
ふる里の父の遺影の掛かる部屋一夜惜しみて母と語らふ 大阪市 女性
激戦地の映像切なしペリリュウ島もかくのごときか父眠る島 青森県 女性
硫黄島の映画を見れば戦争のその凄さをば身は震へたり 長野県 男性
山の端に羊の如き雲一つ収骨作業を終日見てゐる 出雲市 女性
永久に慰霊鎮魂の社としいくさなき世を願ひてやまぬ 江南市 女性
夢にみた父の優しさたくましさ本当の姿ながめてみたい 静岡市 男性
芋南瓜の主食に育ちし姉妹のつつがなく老ゆ平成の世を 名古屋市 女性
戦死せし兄にひとめ会ひたしと在し父母偲び墓の雪払ふ 京都市 男性
喜屋武岬より持ち帰りたる岩石より涙の如く砂のこぼるる 常滑市 女性
墓石に海軍中尉の彫り深しレイテに果てし父偲ぶ文字 千葉市 私
開催日 平成19年5月20日(日)
参加者 11名
町内会主催の行事に久々に参加の機会に恵まれ、森林浴を楽しみながら18,679歩の健康的な一日を過ごすことが出来ました。
緑化植物園バラ園にて
先ず、千葉市中央区青葉町にあります「青葉の森公園」まで約40分。
千葉市街地(畜産試験場跡地)に残った自然や地形をそのまま生かし、自然観察鑑賞やレクリエーションだけでなく「ネイチャー・カルチャー・レジャー三位一体の新しい
タイプのハイパー・パーク」 それが青葉の森公園です。
園内には、千葉県の自然や歴史と親しめる「県立中央博物館」
能やコンサートなどが開かれる 「芸術文化ホール」
彫刻の作品を展示している彫刻の広場などがあり、散策をしながら芸術や文化とふれあうことが出来る 「カルチャーゾーン」、身体を鍛えながらスポーツが楽しめる
「スポーツゾーン」が有ります。
当日は「陸上競技場」 で高校生の大会 が行われておりました。
広い芝生の上でお弁当を食べたり、遊んだり 春にはお花見も堪能できる 「レクリエーションゾーン」。
自然とのふれあいが楽しめる 「ネイチャーゾーン」 の4つのゾーンに分かれ、だれでも一日ゆっくり楽しめるアミューズメントパークです。
又、当日は「千葉・青葉の森リレーマラソン」 が行われており、
小学生から高齢者まで懸命に襷をつないでいる選手の皆さんに 大きな を贈りました。
午後は次の目的地、千葉市中央区星久喜町にあります「千葉市都市緑化植物園」 へ
四季折々に美しく咲き乱れる沢山のお花にカメラ愛好家の皆さんは勿論、市民の皆さんの憩いの場所でもあります。
市民団体主催の「春のバラ展」会員25人が育てた約200種200点。
英国のダイアナ元妃にささげられたことで知られる白色の
プリンセス・オブ・ウェールズ
などが並ぶ会場には最終日とあって大勢の市民の皆さんが足を運んでおりました。
庭園のバラは見頃を少し過ぎているようにも見えましたが記念に収めて見ました。
帰途、くわの実 に出会い、ひととき歩を止め、幼かった頃の懐かしい味を楽しみました。
最後に訪れた
説明の一言一句になるほどと頷きながら近くにも楽しいウォーキングの場所のありますことを再発見しながら隣人との絆を深め、有意義な一日を楽しみました。
ただ残念!こんなに素晴らしい行事に参加者が少ないのが惜しまれました。
[一日目]
先ず京都博物館へ 平安神宮参拝
平安神宮の美しい庭園
南禅寺参拝 京都市指定史跡。南禅寺の境内にあるレンガ造りのモダンな水路閣と水路閣を流れる疎水
TVのサスペンスドラマで見たことはありましたが初めて尋ねることが出来ました
。
哲学の道は美しい桜並木が続くそうですが、この度は森林浴となりました
永観堂 紅葉の名勝 → 知恩院 浄土宗の総本山。山門が日本一
八坂神社は祇園祭の祭神でもあり、八坂さんで親しまれる花街の守り神
ねねの道 一力茶屋
桜の名勝の白川通りを走って辰巳大明神舞妓さん達がお参りする芸達者の神様から一日めの最後の見学
花見小路通り 夕食会場 き乃ゑ
[二日目]
午後2時からの「都をどり」迄の約5時間、二条城 を車の中から見学、郊外へ車を走らせ楽しい説明に耳を傾け、観光ハイヤーならではの素晴らしいご案内を頂きながら先ず
詩仙堂 座してみる庭園はまさに額縁に収めた名画
美しい白藤の花のつもりです 僧都(そうず・ししおどし)の音が新緑に木霊して
(絵はがきの文面より転載)
詩仙堂は、江戸時代に石川丈山によって建てられた草庵。
丈山は徳川家康に仕え、武勇にすぐれた三河武士として知られていたが、また詩文を好んだ文人でもあった。
大阪夏の陣の後には隠退を決意し、儒学詩文に専念し藤原惺窩に学んだ。
やがて東山一乗寺に隠棲の地を求め、詩仙堂を造営し、林羅山等との交遊のうちに晩年を送った。
詩仙堂の名は「詩仙の間」に由来しており、部屋には丈山がわが国の三十六歌仙に因んで選んだ、中国の三十六詩仙の額絵が掲げられています。
現在は、曹洞宗大本山永平寺の直末寺、詩仙堂丈山寺として知られています。
(絵はがきより2点ご紹介)
詩仙の間より前庭 嘯月楼
次は新緑のもみじのトンネルをくぐって曼殊院へ
(曼殊院門跡の沿革より一部転載)
曼殊院門跡は洛北屈指の名刹である。
門跡というのは、皇室一門の方々が住職であった事を意味し、勅使門の両側の塀に残る五本の白い筋はその格式を今に伝えるものである。
当門跡は、妙法院・三千院・青蓮院・毘沙門堂とともに京都の天台五ヵ室門跡と称されている。・・・
拝観料 500円 梟の手水鉢
ドライバーさんの説明から
梟の手水鉢は丸型をして、蹲踞(つくばい)のように石が組まれ、四方に梟に似た鳥の彫刻があることで有名です。
又、斜めになっていることから中秋の名月頃、月の光をここに反映させて、部屋の天井に反映したもう一つの美しい月を見るという趣向もあったそうです。
又、書院の欄間と廊下の杉戸の引手、欄間は月の字くずし・卍くずし・菊花紋、引手は扇手・瓢箪・などさまざまな意匠が懲らされています事。
四季を通して美しい庭園が演出されますが、特に紅葉の名勝としても知られ、紅葉シーズンには多くの観光客で賑わい、この曼殊院から東山36方を望むことが
出来るとも伺いました。
曼殊院を後にしばらく山を登り到着したところは青蓮院門跡 別院 大日堂
大日堂(パンフレットより転載)
将軍塚一帯にあり、現在の堂宇は明治に篤志家の寄進したものであり、本尊は平安時代に作られた石造りの胎臓界大日如来像で、石上に安んぜられ、雨露にさらされていた
時代が長かったと見えて、全身相当磨滅している。
古来将軍塚の」「大日さん」として信仰されており、幕末勤王の志士は、その身の安全をこの像に謝することが多かった。
大日如来の前の小さな石仏は阿弥陀如来である。
30年前に植えた一枝が立派に育ったことから 一念松 と名付け、「人の一念岩をも通す」と訪れる人を元気づけているそうです。
一念松 一念松の説明板
大王松で作った「三つの願いが叶うお守り」
住職さんがを込めて作られた「三つの願いが叶うお守り」に心が動き子供達や親しい友人のお土産に求めて思い出に残る大日堂を後にしました。
「都をどり」の時間も近づき、昼食後は歌舞練場のお隣の建仁寺へ。
祇園の真ん中なのに不思議な静寂に包まれているのは禅寺だからでしょうか
建仁寺
寺院巡りの観光も名残惜しく「都をどり」の会場へ を進めました。
会場入り口 舞妓さんからお薄をいただきました
(パンフレットより転載)
「都をどり」の始まりは明治5年、東京遷都に伴う京都の再生と活性を目的に開かれた
「京都博覧会」の演目の一つとして行われたもので、それが今も脈々と受け継がれているのです。
「再び華やかな花の都へと隆盛させたい」そんな願いがこめられているとあって舞妓さん芸妓さんのきれいな舞い姿にもどこかしらキリッとした
心意気が伺えるようです。
桜の花びらがちらほら舞い始めると、京の花街に艶やかな季節が訪れます。
舞妓さんの甲高いかけ声で幕が開く、美しい絵巻物語 「都をどり」 の始まりです。
華麗な衣装に小粋で美しい舞い姿・・・、華やかな群舞に酔いしれていると、笛、三味線など粋で陽気な鳴り物のリズムがさらに夢心地へといざなってくれます
美しい都をどり
この度は久々の京都の旅でしたが の佳き機会に恵まれにも恵まれ、観光ハイヤーのドライバーさんの行き届いたお心遣いに楽しく、
優雅な観光の旅が出来ましたことに心から御礼を申し上げております。
有り難うございました
4月8日(日)開催の若柳流汎栄会舞踊会の折に私たちの の先生でもあります若柳汎之真先生は忠信役を若柳汎哉先生は静御前役を演じられました。
先生の素晴らしいお姿を写真に収める事が許されずに残念に思っておりましたところ、先生から写真を頂きましたので御覧いただければ幸いに存じます。
(プログラムより一部転載)
当曲は、義経から形見として与えられた「初音の鼓」を持つ静御前と家臣の佐藤忠信とが吉野山まで義経を訪ねる道行を描いた作品ですが、実はこの話には伏線があります。
「初音の鼓」は桓武天皇の時代、雨乞いの際に千年の劫を経た夫婦狐を捕まえ、その皮で作った鼓であり、家臣の佐藤忠信は、その「鼓」の皮となった夫婦狐を慕う子狐が、
帰郷して不在の佐藤忠信に化けた「狐の忠信」だったのです。・・・
写真の2枚目は の時間に台詞を練習しましたので書き添えました。
先生の台詞は会場内に響き渡り、迫力ある素晴らしい舞台でした。
汎之真先生登場 「これはこれは静様、女中の足とあなどって思わぬ遅参、まっぴらごめんくだされ」
「おお忠信殿、待ちかねましたわいな~」