2021年12月26日放映の「青天を衝け」最終回のあらすじ「東京都台東区」(NHKの紹介より)
最終回では、老年になっても走り続ける渋沢 栄一氏(吉沢 亮さん)は、ワシントンの軍縮会議に合わせて再び渡米し、移民問題など悪化した日米関係の改善に尽力する。
一方、渋沢 栄一氏の後を継ぐ決心をした孫の渋沢 敬三氏(笠松将さん)は、銀行員となり、経験を積むため渡英する。
そんな折、関東大震災が発生する。周囲の心配をはねのけ救援の最前線に立った渋沢 栄一氏は、内外の実業家に寄付を呼びかけ資金を集める。
また中国の水害に対しても、自宅からラジオを通じて募金への協力を呼びかけるが、満州事変が勃発。
救援物資は受け取りを拒否されてしまう。それでも渋沢 栄一氏はあきらめず、病床から自らの思いを伝え続ける。
そして渋沢 栄一氏は、昭和6(1931)年11月11日、永遠の眠りにつく。91歳の大往生だった。
2021年12月26日放映の「青天を衝け」最終回 紀行 「東京都台東区」 の紹介をさせて頂きます。
「青天を衝け」最終回 紀行 渋沢 栄一氏 昭和6(1931)年11月11日永遠(91歳)
91年の激動の生涯に幕を下ろした渋沢栄一氏の葬儀に斎場から墓地までの沿道は渋沢栄一氏を慕う4万もの人々で埋め尽くされました。
孫が「スケールの大きな守備範囲の広い活動家だった」と 東京都台東区谷中霊園にある 渋沢 栄一氏のお墓
渋沢 栄一氏 昭和6(1931)年11月11日永遠(91歳) 東京都台東区の谷中霊園で愛する家族と共に静かに眠っています
栄一氏・篤二氏(栄一の息子)・敬三氏(栄一の孫)・雅英さん(栄一のひ孫) 栄一氏が後継者に選んだ敬三氏(長男の息子)と
すべての仕事を命懸けでやっていたという意味なんだと思うんですよね。逆境に対しては歯牙にもかけないという感じでね。どんどん前進する人と、渋沢 栄一氏について、
敬三氏(長男の息子)は息子の雅英(まさひで)さんにいつもこのように語っておりましたと。
祖父は真剣勝負をした人だともよく言っていました。すべての仕事を命懸けでやっていたという意味なんだと思うんですよね。
「とても俺はかなわない」というふうな意識を。祖父に対しては、父はものすごく尊敬と愛情を持っていたんでしょうね。
渋沢 栄一氏を語る 渋沢 雅英氏(栄一氏のひ孫) 語り 林田 理紗アナウンサーの紹介文字 ↑
スケールの大きな守備範囲の広い、信じられないような活動家でしたと。渋沢雅英氏(栄一氏のひ孫)が語っておりますように渋沢 栄一氏が夢見た日本の未来は、今を生きる
私たちに託されたのです。と、語りは林田 理紗アナウンサーでした。
最後の内容は栄一氏の追悼式でした。
敬三氏(長男の孫)は近くで見てきた祖父「渋沢栄一」とはどんな人物だったのかを話す。
敬三氏のスピーチを聞いて、脚本の大森美香が取材の中で話していた「見て頂きたいのはただの“偉人伝”ではなく“人間ドラマ”」「栄一さん自身、ただ偉人なだけではなく、
とても人間らしい魅力にあふれたパワフルな方」という言葉を思い出した。
偉人と呼ばれる成功の裏で、実の結ばない失敗も間違えも多くあった。それでも栄一氏を突き動かしていたのは「この世を変えたい」という決して消えることのない情熱。
家族や恩師、友の支えもあった。
天寿を全うした栄一に、敬三氏は「お疲れさん、よく励んだ」とそんなふうに渋沢栄一を思い出していただきたい」と語る。(ネットより転載)
この度の放送が最終回になってしまいましたが、渋沢 栄一氏個人のストーリーではなく歴史上の人物とのかかわりなども次から次へと登場させての物語と言いますか、内容に
興味深く見ることができました。
本篇終了後の「紀行」の編集に歴史的背景を新たに学ぶことができ、その上「紀行」の音楽に姪の子の大矢素子がオンド・マルトノ演奏の機会を頂きました事なども思い出に
残ります渋沢 栄一氏の生涯「青天を衝け」のドラマを楽しませて頂きました。