開催日 平成21年11月29日 (日) 後 の予報が外れて終日 たり
会 場 千葉市京葉銀行文化プラザ 時 間 午前11時 ~ 2次会 ~ 3次会
高校時代の懐かしい 92 名の出席者の皆様
幹事長さんのご挨拶に感謝のを贈り、クラスごとの自己紹介お幸せにを贈りました。
10年前に還暦を祝う学年同窓会を開催以来、幹事の皆様のご尽力のおかげを持ちましてこの度、祝古稀学年同窓会が盛大に開催されました。
92名の大勢の皆様が一堂に会し、先ず最初に残念にもご逝去されました31名の同級生の皆様に心からのご冥福をお祈り申し上げまして黙祷を捧げました。合掌
半世紀ぶりに初めての再会の方、遠く新潟県から出席された方等々・・・クラス毎に壇上に上がって自己紹介に 「えっ!あのお方が○○さん」 「○○さんは昔の面影のままね」 等々会場は
最高潮に美味しいに舌鼓を打ちながら、お好みの を傾け、最後は coffee を頂き、旧交を温め合いました。
2次会では先ず 「校歌」 に美声を発揮し、幹事さんがご用意いただきました懐かしい 「学生時代」「思い出のアルバム」 「夜明けの歌」 「切手のない贈り物」 「忘れな草をあなたに」 等々は
各テーブル毎に歌い 会の最後は 「今日の日はさようなら」 で2次会を閉じました。
名残は尽きず3次会は場所を変えて仲良しグループ毎に心ゆくまで語り合い再会をお約束して散会と致しました。
幹事の皆様に心から感謝を申し上げました楽しい一日を過ごさせていただきました。
帰宅後は幸せに浸りながら 「創立百十周年記念 会員名簿」を繰りましたら満開の桜に彩られた「校門」「校歌」「校章」 の写真が掲載されておりましたので懐かしく眺める事に致しました。
校章の変遷
私達は右から2番目 ↑ の校章でした
満開の桜に彩られた校門 校 歌
高野辰之作詞 ・ 岡野貞一作曲
役員の皆様のお心遣いを頂き、懐かしい同窓会 「松籟会会報」 を拝見する機会に恵まれました。
会報はA4サイズですが一面の一部のみ
「学校の現在」・「素敵な仲間達(同期会の様子など)」・「同窓生の活躍」 等、盛りだくさんの記事の中に「本校の歴史シリーズ~制服の変遷(校章)」 の記事がありました。
明治38年6月に袴の裾近くに2本の白線をつける事となって以来、白線入りの袴 (後にはスカート)は本校のシンボルとして長く他校生徒の羨望、当時の小学生女子の憧れの的になっていたという。
昭和5年、胸につける徽章の制定が提案され、生徒からの図案募集を経て、昭和7年6月1日より校章バッチをつけることとなった。
と記載されておりますことに遠い昔に思いを馳せながら懐かしく読ませていただきました。
子安神社祭礼 (千葉市花見川区畑町) 11月24日 (火)10:00~20:00
2004年に千葉県無形民俗文化財の指定を受けてから初の開催となりました 「下総三山の七年祭」は11月22日、注目が集まる中、盛大に行われました。
又、23日未明にかけて、冷たい に見舞われながら、二宮(父) ・ 子安(母) ・ 子守(子守) ・ 三代王(お産婆)の4神社によって 「産屋の神事」の「磯出祭り」も無事に終了。
その後は「村廻り」と言う各町内のお祭りに賑わいをみせました。
母の里でもあります「子安神社」 (母宮) の祭礼を心ゆくまで楽しみました。
故郷の 「花見川」 子安神社
可愛い子ども金棒の皆さん 稚児 ・ 警児の付き添いに正装のお母様
式典を見守る町内の皆様 式 典
両男女(りょうとめ) 「産屋の神事」 の主役 「ワッショイ、ワッショイ」 サアッ!町内へ
みこし行列の発御お嬢様金棒 最初のお休み所のお宅の庭で昼食
文化財指定後、初の七年祭を祝って地元の千葉市立畑小学校 (わが母校です) を訪問。全校児童が整列して で迎えられる中、子安神社の御神輿を披露。
広い校庭を所狭しと 「ワッショイ、ワッショイ」 と威勢良く御神輿を担ぐお父様達の勇姿に児童の皆さんは に溢れておりました。
下 総 9 神 社 の 競 演
22日 午後0時50分ごろ 船橋市三山 千葉日報より
千葉県 船橋、千葉、八千代、習志野の4市9神社が、数えの7年ごとに集う 「下総三山の七年祭り」 が22日、船橋市三山の二宮神社を中心に行われた。 ↑
2004年に千葉県無形民俗文化財の指定を受けてから初の開催となり、観客でにぎわった。室町時代から続く安産祈願と御礼の祭事。
二宮神社のほか、千葉市の子安、子守(こまもり)、三代王、習志野市の菊田、大原大宮、八千代市の時平、高津比(たかつひめ)、船橋市の八王子の各神社が参加した。
午前から午後にかけ、それぞれの神社を出発した御輿が、二宮神社近くの 「神揃場」(かみそろいば) に続々と到着。
「オリャ、オリャ」 「ワッショイ、ワッショイ」 といった各神社特有の掛け声を出しながら、担ぎ手たちがみこしを高く持ち上げるたびに、桟敷席から盛んにおひねりが飛んでいた。
以上の文章は 「読売新聞」 より転載させていただきました。
心配された も日中はおかげさまで 空を保ってくれました。
深夜に行われた 「磯出式」 は冷たい雨に見舞われながら、日付が変わった 23日3時43分から厳かな 「産屋の神事」 が行われました。
「産屋の神事」について詠んでみました。
満潮時の産屋の神事両男女(りやうとめ)が盥に立ちてハマグリとりかふ
有明の月に見守られ産屋では安産祈願の神事のつづく
平成21年11月靖国神社社頭に掲示された遺書
新潟県出身 陸軍少佐 池亀 重作 (40歳)
昭和17年11月23日 九〇三高地附近にて戦死 合掌
靖国神社デ祈ッテヰマス とお嬢様に宛てられました遺書に涙が溢れます。
父ヨリ
恵子ヨ、可愛イ恵子ヨ。 (中 略)
「努力ハ天才ニ優ル」 ト言フ事ヲ念ニ収メ、偉イ人ニナッテ母ニ孝行ヲシナクテハナリマセン。
父ハ東京ノ靖国神社デソレバカリ祈ッテヰマス。
何故こんな惨い事に、戦後64年経た今も遺族の悲しみは失せることはありません。新しい政権は靖国神社に代わる 「国立追悼施設建設」 に意欲を示しているようですが、
鳩山首相を初め、議員の皆様はこのような多くの遺書に目を通しているのでしょうか。多くの英霊の皆様よ安らかに 願っております一人です。
私達遺族は散華された多くの英霊に追悼の誠を捧げ、後世に語り継ぐ使命が有ると存じます。
夫を、父を、親族を永久に偲び、悲しみを歌に詠んでおります。
今号にも全国から鎮魂の歌が寄せられましたのでご紹介させて頂きます。
ご一読頂けましたら有難く宜しくお願い申し上げます。
「里の秋」 共にうたひし母も逝き想いはめぐる父眠る島 奈良市 男性
盆花も元気よく咲きありがたく自分で歩き参る幸せ 米子市 女性
夫在すごとき顔して夫婦茶碗選りき宇品港もう一度訪ひたし 横手市 女性
戦ひに行かねば百二歳になる父の暮らしの事を今日は思ひぬ 大阪市 女性
映さるる靖国の妻百二才全国戦没者追悼式に 南相馬市 男性
バイカル湖を眼下に見下ろす丘の上に兵の墓標は傾きて並ぶ 出雲市 女性
ひたすらに武勇尚び戦死せり青春の夢かかはりもなく 篠山市 男性
七夕の願ひはひとつ再びの戦いのなき世を世界の平和を 名古屋市 女性
端整な戦死の父は小柄なりと吾は父に似ず想ひ出もなき うきは市 男性
中支にて兄は戦死と知らせあり吾は戦陣明日発つと言ふ 京都市 男性
神苑を隈なく照らす万燈は戦に果てし兵を慰さむ 常滑市 女性
正座して玉音放送聴きし日はわれ六歳のあの夏座敷 千葉市 私
この度も貴重な紙面を拝借できましたこと、心から感謝を申し上げて居ります。全国に広がる遺児の輪に励みを頂きながら、今後も父を偲んで参りたく思っております。
開催日 平成21年11月22日 (月) ~ 23日 (水) 午前4時半終了
[祭りの概要] (HPより)
千葉県船橋市・千葉市・八千代市・習志野市の 9神社の神輿 が二宮神社境内に参拝に訪れる。
尚、二宮神社の御輿は船橋市田喜野井地区と習志野市藤崎地区でかつぐことになっており、禊祭の時には習志野市鷺沼地区に置かれることになっている。
各神社の神輿は、二宮神社近くの神揃場 (かみそろいば) に集まり、献幣の儀を行い、二宮神社を参拝、その後、二宮、子守、子安、三代王の各神輿によって幕張海岸で 磯出式 が行われる。
その後6年おきになるが、7年目ごとに開催されるため「七年祭り」という名がつけられている。正式には 「二宮神社式年祭」 という。
550年以上の歴史があり、千葉県の 無形民俗文化財 にも指定されている。
船橋市二宮神社に集まる9神社の御神輿 (新聞より)
[祭りの由来] (HPより)
祭りの起源については諸説あるが、一般的には、室町時代の頃に馬加城主の千葉康胤が嫡子出産に際し、二宮神社、子安神社、子守神社、三代王神社の神主に馬加村の浜辺で安産祈願をさせた
ことに由来するといわれ、1445年 (文安2年) に現在の祭りにつながる 磯出祭り が行われるようになったといわれている。
平安時代の頃に菅原道真のたたりを恐れた藤原時平の子孫が久々田 (習志野市菊田神社付近) の入江に上陸、三山 (船橋市 三山) や高津 (八千代市) などに居住した際に、二宮神社の神主と
なり、地域を束ねた際に始められたのが起源を持つとする説もある。
[参加する神社と役割](4市9神社)
1.二宮神社(にのみやじんじゃ)船橋市三山 父(ちち)
2.子安神社(こやすじんじゃ)千葉市花見川区畑町 母(はは)
3.子守神社(こまもりじんじゃ)千葉市花見川区幕張町 子守(こもり)
4.三代王神社(さんだいおうじんじゃ)千葉市花見川区武石町 産婆(さんば)
5.菊田神社(きくたじんじゃ)習志野市津田沼 叔父(おじ)
6.大原大宮神社(おおはらおおみやじんじゃ)習志野市実籾 叔母(おば)
7.時平神社(ときひらじんじゃ)八千代市萱田町・大和田 長男(ちょうなん)
8.高津比神社(たかつひめじんじゃ)八千代市高津 娘(むすめ)
9.八王子神社(はちおうじじんじゃ)船橋市古和釜町 末息子(すえむすこ)
[磯出式のご案内]
式典は、旧幕張海岸で満潮の時刻にあわせながら、幼い男の子と女の子が神前に供えられた蛤を交換し合う「産屋の神事」が行われます。
夜祭りの雰囲気を味わいたいお方は是非お出掛け下さい。
平成21年11月23日 (火)
2 : 00 子守神社 式場に入場
2 : 20~3 : 00 二宮神社 ・ 子安神社 ・ 三代王神社 以上4神社の御神輿が式場に入場
3 : 43 式典執行
4 : 30 式典終了
国道14号線沿い幕張町1丁目先 (マクドナルド幕張店脇)
下記の は 磯出式 が行われる竹を注連縄で編んだ産屋 (うぶや) の作製現場
提灯に 磯出御旅所 とありました
御神輿が安置される 御塚(おつか) の作製
↑ は控え場所と伺いました 未歩ちゃん(2歳3ヶ月)も一緒に見学しました
11月3日 (火) 文化の日 秋
午前 白扇書道会研修会見学
白扇書道会研修会場 仮名専用の筆と用紙を購入
千葉市中央区に於いて所属しております白扇書道会の師範以上の会員が、日々ご指導を頂く先生の他に、多くの先生方にご指導を頂けます研修会の見学の機会に恵まれました。
会員の皆様は抱えきれないほどの沢山の作品を持参されて 一枚一枚丁寧にご指導を頂きながら添削を受けていらっしゃいました。
殆どが条幅作品ですので、とても見応えが有り流石先輩!の作品に会員の皆様は「古典を学び練習を重ねながら立派な作品を鑑賞すること」と益々の意欲に教えを頂きました。
又この研修会は 10:00 ~ 1800 まで (昼食1時間休憩) 行われますことを伺い、書道は体力も大いに必要 を実感させられました。
先輩と申し上げましても、殆どのお方が私よりもず~~とお若い皆様に多くを学ばせて頂き、日々のご努力に大きな を贈らせて頂きました。
この日は筆屋さん販売にも大いに興味がありました。
大好きな仮名文字上達のために高野切三種専用の筆を初め、かな条幅用の筆、半紙他を購入して、明日から 心うきうき ぞ~・・・ と励みを頂きました。
午後 千葉県展 後期の部 (洋画 ・ 彫刻 ・ 工芸) 鑑賞
彫刻作品会場 知事賞 県美術会長賞 会員推挙の各作品
美術鑑賞後は、近くの千葉港に歩を進め、千葉港と千葉市の観光スポットにもなっておりますポートタワーを久々に訪ねました。
時間的に上ることは叶いませんでしたが、千葉港の夕日の美しさと巨大なポートタワーに魅せられながら に収めて参りました。
千葉港の夕日 千葉市の観光スポット ポートタワー
「開催のご案内」
年に1回限りの一泊旅行ですが、今年のアンケートでも断然ご希望の多かった “会津” を目指すこととなりました。
松平23万石の城下町、藩祖は3代将軍家光の実弟 ・ 保科正之という名家です。
昨年、私たちは新潟県の長岡を訪ねましたが、いわゆる「長岡戦争」とは、実は「会津」こそがターゲットとされた「戊辰戦争」の、前哨戦の一つという位置づけになります。
ついては勿論、鶴ヶ城。そして白虎隊自刃の悲話で知られる飯盛山へ。
それと・・・もうひとつの会津、即ち “歴史の変革期に登場する会津” ばかりでなく、平安初期の名僧 ・ 徳一(とくいつ)大師によって仏教文化の華開いた「仏都会津」に、些かなりとも触れてみたいと思います。
上記のご案内に下記のように実施され、参加をさせていただきました。
1.開催日 平成21年10月27日 (火) ~ 28日 (水)
2.行 程
一日目 “会津ころり三観音”巡り (鳥追観音 ・ 立木観音 ・ 中田観音)
二日目 「会津藩主松平家墓所」→ 飯盛山 「白虎隊十九士の墓」・「さざえ堂」・「旧滝沢本陣」 → 鶴ヶ城 「本丸 ・ 天守閣」 → 猪苗代磐梯高原
3.参加者 46名 (男性 22名 ・ 女性24名)
4.宿泊先 東山温泉 「庄助の宿 瀧の湯」
5.昼食等 27日 郡山 「磐梯郡山店」
28日 猪苗代磐梯高原 「ドライブイン田村屋」
役員の皆様ありがとうございました 鶴ヶ城をバックに参加者46名の皆様
一日目 “会津ころり三観音”巡り
当地では三観音をお参りして一生を健康に過ごし、長わずらいをしないで、ころりと安楽往生が出来るとの願いを込めた信仰と言い伝えられています。
(1) 鳥追観音[金剛山如法寺(こんごうさんにょほうじ) : 西会津町]
「隠れ三猿」 の説明
会津西方浄土として徳一大師創立。本尊正観音は行基御作で 「ころり観音」 と称され、会津観音札所番外、二世安楽の結願所です。
また縁結びや子授け安産子育ての霊験あり若い男女の信仰を集める。
珍しい東西向拝口の御堂には左勘五郎作「隠れ三猿」の彫刻あり。探し得た者は「福まさる」 と。
(2)立木観音[金塔山恵隆寺(きんとうさんえりゅうじ):会津坂下町(あいずばんげまち)]
身丈二丈八尺(8.5メートル)の十一面千手観音像は立木に彫られたもので、我が国最大級の仏像です。
観音堂とともに国重文に指定されています。
千手観音像を中心に祀られている 二十八部衆 ・ 雷神 ・ 風神三十体 の脇侍がかもし出す宗教美の世界は私達の心を魅了して離しません。
お願い事は、お堂内の 「だきつき柱」 に抱きついて、なおかつ 観音様のお顔を見ながらお願いすれば、コロリと叶うそうです。
(3)中田観音[普門山弘安寺(こうあんじ) : 会津美里町]
祈願のわらじ
堂内には金剛造の十一面観音菩薩と脇侍として不動明王、地蔵菩薩立像(毘沙門天像ではない)の三体が納められています。
野口英世がアメリカ留学から帰ってきたとき、お母さんと一緒にお参りした写真が今も飾られているように野口英世の帰依観音として有名です。
また大正年間に東宮妃殿下の御安産を祈念して御嘉納になったことから、安産の守護観音としても有名になりました。
二日目 会津市内観光
(1) 会津藩主松平家墓所
墓所入口 二代藩主 保科正経の墓 ↑
院内御廟 奥から7代、6代、5代の碑石 会長さんに伴われて下山する会員
院内御廟 (いんないごびょう)
2代藩主以降の墓は、正之の死より前の1657年(明暦3年)に、正之の次男保科正頼が死去した際、正之が若松城下の院内山を墓所として定めたことからはじまる。
2代藩主保科正経は仏式により葬られ、3代藩主松平正容から9代藩主松平容保までが神式によって葬られた。
神式の墓は、亀形石を台座とした「碑石(ひせき)」が前面にあり、その奥の一段高い場所に灯篭が対に並びその奥に表石、さらに奥に小高い墳丘を造りその上に八角形石組
の「鎮石(ちんせき)」が置かれている。御廟には歴代藩主のほかに家族や子孫の墓、拝殿がある。
土津 (はにつ) 神社
初代正之の墓所は、遺言により自ら選定した猪苗代湖を望む磐梯山山麓の美祢山 (みねやま)に、死去の翌1673年(延宝元年)神式によって造られ、葬られた。
後に 土津神社 が建立された
(2) 飯盛山 「白虎隊十九士の墓」
白虎隊は戊辰戦争で戦った16~17歳の少年たいで、墓は鶴ヶ城の北東飯盛山の中腹にあります。火に包まれた城下を望みながら少年たちは若い命を散らしました。
本来は、藩主の警護にあたった予備兵力でしたが、全線から救援の要請があり、急遽、藩主の命令で滝沢本陣を出陣したものです。
エスカレーターで飯盛山へ 白虎隊十九士のお墓
鶴ヶ城を仰ぎ見る少年の像 飯盛山から城下を臨む
(3) 会津さざえ堂
飯盛山に建つ旧正宗寺の円通三匝 (えんつうさんそう) 堂
正宗寺の僧郁堂が1796 (嘉慶元) 年に建立した奇想天外の建物で 国の重要文化財。
高さ16.5mの円柱状のお堂ですが、よくみると六角形という不思議なもの。
内部には階段がなく、右回りの螺旋状のスロープを上ると頂上に太鼓橋があり、橋を渡ると今度は左回りの下り坂で背面の出口に出る。
つまり通路しかないというもので、昇降を通じて建物を3度回ることから三匝堂 [仏教の礼法である右繞三匝 (うにょうさんぞう) に基づいて、右回りに三回匝る (めぐる) ことで参拝できるようになっている] の名がある。
中心部には 「本朝二十四孝」 の額が取り付けられていますが、その昔は西国札所の三十三観音像が祀られ、一度入ると巡礼を終えたことになるわけで、江戸時代、会津から西国三十三観音参りに行くのは大変で、もっと廻りやすいお参りというわけで、町廻り三十三観音ができ、もっと簡単にというわけで 「さざえ堂」 ができたということです。
白虎隊が通り抜けたと言う説明(洞穴は看板の後方) 用水路の説明を聞く
(4) 旧滝沢本陣
参勤交代や領内巡視の際の殿様の休息所。戊辰戦争では新政府軍の急な進撃に対して、藩主松平容保が自ら本陣に出向き指揮をとりました。
本陣は戦場にもなったので、西軍が侵攻してきた際に残された弾や刀傷がいまも生々しくいたるところに残っていました。
(5) 鶴ヶ城 : 国指定史跡
天守閣から望む 干飯櫓・南走長屋 会津盆地
(6)猪苗代磐梯高原
素晴らしい紅葉に彩られた猪苗代磐梯高原に目を移しながら最後の昼食に舌鼓をうち、旅の終わりを惜しみなく語り合いました。
46名の参加者は、会長様を初め、多くの役員の皆様、そして安全ドライバーさんのおかげを持ちまして楽しい2日間の“会津の旅”を堪能する事が出来ました。
又、自己流の未熟なブログですが、会長様が作成いただきました貴重な資料のおかげで、私自身の思い出が綴れますことも大きな喜びでございます。
誠に有り難うございました。
朝夕は大分お寒くなりました。
会長様を初め、役員、会員の皆様、そして毎日お訪ね下さいます多くの皆様方のご健勝をお祈り申し上げております。