平成21年3月靖国神社社頭に掲示された遺書 (上)フィリピンから奉還された遺骨
滋賀県出身 陸軍大尉 寺村 義夫様 28歳 於千鳥ヶ淵戦没者墓苑
(下)硫黄島で塹壕を掘削する団員
遺書 「心身一片の雲なき気分です」 をご両親様に宛てて、昭和20年3月27日比島ルソン島クラーク山中にて戦死された寺村 義夫様のご冥福をお祈り申し上げます。
毎月、この悲しいと申しますか、無念の一言に尽きます遺書を拝読させていただきます度に思い出されます戦争の悲劇 を。
遺書に書かれた一部をご紹介
征きます。 攻めて 攻め抜きます。
(中 略)
本当に心身一片の雲なき青空の気分です。
征きし報、伝はらば大いに祝って下さい。
では 征きます 御達者で
義夫
御両親様
言葉がありません。
戦争を知らない皆さんはどのような感想を持たれるのでしょうか。
作文ではないのです。ご自身の本心を綴られたのです。
私はそのような気持ちにさせた戦争責任者を今も、これからも命ある限り許せないのです。残念です。
今号にも全国から鎮魂の歌が寄せられました。
お目を通して頂ければ幸いに存じます。
戦死せし父の遺骨が帰り来ぬ七才の吾に数多の思ひ出 滋賀県 女性
戦死せし二人の兄に父母の遺影並びて笑まへるごとし 高崎市 男性
軍服の遺影は若くみまかりて吾のみ米寿迎ふるは憂し 伊佐市 女性
闇の中か細く白く夜香樹の切なき香りヒルに届けと 福岡市 男性
ベリリュー島の石も磨いて仕舞ひおく仏壇掃除に思ひを込めて 青森県 女性
幸せな生活の今もシベリアでいまはの父の思ひ知りたし 大阪市 女性
「お父さん」追悼の辞を述ぶる娘はその名一度も呼ぶはかなはず 南相馬市 男性
遺骨なほ万余埋もれる硫黄島に月下美人の群生地のあり 富山県 男性
また一人古き兵逝く平成は昭和の戦史を紙魚喰ふごとし 篠山市 男性
秋空へ雅楽の調べ響きたり八千代の平和祈るみたま祭 名古屋市 女性
「またきます」散華の父に約束し社をあとに清掃終へて 尾道市 男性
父の名を書きたし古希を迎ふるに戦争遺児とふ呼び名は消えず 千葉市 私
「 椿の美しい季節です。
初冬の名花西王母から始まり、有楽 ・ 一休 ・ 宗旦 などに加え、数種の 侘助 ・ 藪 を前回まで掲載いたしました。
今回は 実生の椿 のご紹介です。
大阪箕面に在住の際、箕面国定公園で拾った藪椿の種から育てて樹齢34年になりました。毎年美しい花を咲かせます。」
と、コメントいただきました。又、千葉市民展の作品 洋画の部「静物」もあわせて御覧いただければ嬉しゅうございます。
私事ですが、この度の「実生の椿」には、特別の思いがございます。
義父は生前、庭の木々を大切に育てておりました。
街の活性化に伴い 「区画整理地域指定」 後は、移転後の家は 「椿の生け垣にしたい」と
椿の種を沢山育てておりました。
その義父も、半世紀に渡り大切に育てた木々がブルトーザーで次々に破壊される庭を見ることもなく昭和40年に他界しました。
今は害虫駆除が大変な椿に、あまり大切に思えなくなってしまいましたが「実生の椿」に義父との遠い日々が懐かしく蘇りました。
椿 (窓の雪) 椿 (実 生)
椿 (赤 藪) 椿 (加茂本阿弥)
椿 (高津百合咲) 椿 (対馬筒咲藪)
お彼岸参りに伺い、91歳のお婆ちゃまと遊んでいただいて
昔から 「遠くの親戚より近くの他人」 と言う言葉を耳にして参りましたが、夫が赤ちゃんの頃からお世話になり、私が嫁いでから今日まで半世紀もの長い間、姑の友人の家族の皆様に実家以上の
お世話になって参りました。
3人の子供を育てながら姑の看病に寝る間もなかった当時を振り返ります時、子供達を預かってくれた事、いつも美味しいお総菜を届けてくださった事等々に感謝は尽きません。
そして、姑亡き後も変わらないご厚意に甘え、未歩の誕生を我が事のように家族の皆様に喜んで頂きました。
昨年は1ヶ月一度の訪問に未歩の成長を楽しみに迎えていただきました。
夫が、子ども達がお世話になりました長女おばさんは91歳を迎えられ、髪こそ白くなりましたが、昔と少しも変わらないお元気で未歩を迎えてくださいます。
その折には、お婆ちゃまとのツーショットを大切な成長の記録にさせていただいております。
「朝一番に未歩ちゃんのアルバムに元気をもらっていますよ」と。
未歩の成長を見守ってくださるご家族の皆様に感謝の他言葉がございません。
この度の墓参の訪問にも美味しいご馳走を沢山頂き、夕食のお土産までお心遣いを頂きました幸せな感謝の訪問でした。
千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成21年 3月度定例会
3月定例会は、春爛漫の南房総を訪ねます!
青い海、潮の香り、波の音、ストック ・ キンセンカ ・ ポピー等が皆様をお待ちしています!
房総半島の南端、館山市及び南房総市で歴史に触れる旅です。
南房総は奈良時代から始まる歴史の地です。
「安房国札観音霊場」 では、12年に一度の 「丑年本開帳」 が3月10日から4月10日まで開催されます。
この度、訪ねます 崖の観音 (大福寺) ・ 那古観音 (那古寺) ・ 石堂寺の三つの寺院 で見ることが出来ます。
上記のご案内に、今年初めて参加を致しました。
お天気に恵まれました一日、大勢の皆様と 「南房総の旅」 を満喫致しました。
1.開催日 平成21年3月17日 (火) 久々の 日中の気温は20度にも
2.参加者 72名
3.集 合 千葉NTT前 7時30分
4.見学先
(1)崖の観音 (大福寺) 館山市指定有形文化財
館山市の北方、船形山の山腹の断崖絶壁に漁民の安全と大漁を祈願する為に養老元年に行基が開いたとされています。
丹朱に塗られ、遠くからも望見できます。
県内最古といわれる十一面観音の磨崖仏(岩肌を彫って作った仏像。高さ1.5m)が祀られています。
往復30分程を要して全員が崖観音に参拝、朝一番の元気な皆様
(2)那古観音 (那古寺)
717年(養老元)に僧行基が創建したと伝えられる坂東三十三霊場の結願寺[けちがんじ]。
源頼朝や里見氏など、武家の信仰を集めてきた。
平安時代後期の阿弥陀如来坐像 (県文) を祀る阿弥陀如堂。
宝暦11年(1761)建立の多宝塔、本堂などが並ぶ。
本堂外陣安置の銅造千手観音坐像は鎌倉時代の作で 国指定重要文化財。
ご開帳の那古観音 (那古寺) 御朱印 多宝塔
(3)館山城址 (八犬伝博物館)
戦国大名として安房国10代170年間を支配した 里見氏 の居城 「館山城址」
(城山公園) には博物館本館及び分館 (八犬伝博物館) があります。
入場券兼パンフレット 館山城址
(4)安房神社
安房神社の創始は、今から2660年以上も前に遡り、神武天皇が初代の天皇として御即位された紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられています。
平安時代の法典 『延喜式』 の 「神名帳」 に記載された式内社 (しきないしゃ) であると共に、特に霊験著しい名神大社 (みょうじんたいしゃ) でもあった
当社は国家から手厚い祭祀を受けておりましたが、同時に 『安房国一之宮』 として広く一般庶民から崇敬も集めておりました。
「一之宮」 とは、諸国の国内で第一位の地位を示した神社を指すものであると言う。
桜が美しく咲き始めた安房神社参拝
※ 白浜お花畑で小休止
年が明けた頃から、白浜のそこかしこを春の花々が彩っていきます。
あたたかな陽光と元気な大地が、きれいな花を育んでいます。
温暖な南房総。白浜もその天の恵みを生かした農業が元気です。
白浜の農地はおおよそ280ha。その7割が花の栽培です。
早春の露地にキンセンカ、ストック、キンギョソウなど色鮮やかな花が咲きみだれます。
(5)高家 (たかべ) 神社
『日本書紀』によると、第十二代景行天皇が皇子・日本武尊の平定した東国巡視のおり、安房の浮島の行宮を定め、覚賀鳥(カモメの事)の声を聞こうと、舟遊び。その時、侍臣の磐鹿六雁命が、
白蛤と鰹を膾にして献上。
天皇が感激して、磐鹿六雁命を膳大伴部として、子孫を高橋氏として大膳職に任じたという。
この功により若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は膳の職を継ぎ、もし世継ぎの無いときは、天皇の皇子を継がせ、他の氏を交えず、皇室の食事を司るよう賜った。
また、大いなる瓶(かめ=べ)に例え、高倍さまとして宮中醤院で醤油醸造・調味料の神として祀られています。
(6)石堂寺
726年、聖武天皇の勅願を受けた行基上人が開山、阿育王塔の縁由奏問により石堂寺と称す。
日本三石塔寺の一つに数えられるこの寺はその後、天台座主慈覚大師円仁が七釈迦藍を造営し天台宗となり、偉容を天下に誇ったといわれてい る。
近江(滋賀県)の阿育王山、上州(群馬県)の白雲山と併せ「日本三石塔寺」に数えられています。
ちなみに「石堂」とは、秘宝の小さな仏舎利宝塔のことを指します。
1486年火災によって焼失し、再建に努力すること50年、ほぼ現在の姿になった。
桜の季節はことに美しい。多宝塔は県指定有形文化財で銅版瓦棒葺きの屋根や精巧な彫刻など和様を主体に禅様をいれた折衷様式であり那古寺の多宝塔と共に関東地方では貴重な物とされている。
現存する大半の建築物は室町時代のものです。
室町時代末期、当寺で養育された 足利頼氏の幼名 石堂丸 に因み 「石塔寺」 を 「石堂寺」 に改めたと言われています。
会長様をはじめ役員の皆様のご尽力に御礼を申し上げます。
初めて見る、聞くの貴重な経験をさせて頂きました事にも心から感謝を申し上げます。
千葉実年大学校 歴史倶楽部便り
平成21年2月開催 「鎌倉の旅」
円 覚 寺
平成21年2月度定例会は "白梅 ・ 紅梅を愛でる旅” 古都鎌倉 を訪ねました。
2月24日 (火) ・ 3月1日 (日) の両日開催し、91名の皆様と共に鎌倉の旅を楽しむことが出来ました。
両日とも生憎の 模様でしたが、梅に誘われ、北鎌倉 ・ 円覚寺から二階堂 ・円覚寺まで歩きました。
円覚寺では、満開の 白梅 ・ 紅梅 に春の気配を感じました。
建長寺 「法堂」 では特別拝観があり、2005年愛知万博で陳列され、パキスタン国より寄贈された "釈迦苦行像” が安置されていました。
また、境内奥の参道を進むこと15分程で "半僧坊” に着き、烏天狗像を見ることが出来ました。
健脚の方々約50名が参加され参道を登りました。
予想では10名程度の人が登れればと思っていましたが、大勢の皆様に参加頂き、中高年の元気印に圧倒されました。
以上はご紹介の一部です。
この度も、体調管理が不行き届きのため、参加することが出来ませんでしたが、当日訪ねられた日程に写真を添えて詳しく説明頂きましたので、楽しく拝見させていただきました。
歴史倶楽部の楽しさをご覧頂きたくご案内させていただきます。
日 時 2009年(平成21年) 3 月 8 日 (日)
会 場 京王プラザホテル
出演された友人坂部様 出演された24組の皆様の晴れ姿
当日は 17時開場に出演者を初め、各ダンススクールの先生方、応援の大勢の友人 の皆様方が一同に集いました。
生バンドによる素敵な演奏が流れる中、広いフロアで タイムを楽しみ、美味しい も頂き、優雅なひとときを過ごしました。
生バンドによるタイムを楽しむ皆様と先生と踊る私 ↑
【アマ ・ デモンストレーション】 18:00 開始
友人は アメイジング ・ グレイス の曲にあわせて、澤田先生のリードを頂き、素敵に優雅にワルツを踊られました。
素敵なポーズをご紹介することは素人の では無理 ですが、晴れの舞台ですので記念に収めさせていただきました。
【プロ ・ デモンストレーション】 21:00 開始
先生方のご紹介 ラテン全日本チャンピオン大村 ・ 和田組
占領下の日本で 「マッカーサーをしかりつけた男」 「従順ならざる唯一の日本人」 と言われた白洲次郎氏の生涯をドラマ化しました。と
(以上読売新聞試写室談より)
武相荘で求めた本
本の帯より
遺言は、「葬式無用 戒名不用」 ー
“昭和史の隠された巨人”の人物像を、夫人である白洲正子ら多数の知人の証言でたどる。
帯のあとがきより
ー正直とか正義とかいう言葉は、一直線に自分の生涯を歩んで来た人間の放つ美しい光を表す。
二本の直線が共に光彩を放ちながら交叉している様子が、まさに白洲さんご夫妻の 「これぞ夫婦」 と私が言いたいところのイメージであった。
白洲氏に関する著書は多くありますが、ここにご紹介の一冊は、2007年憧れの武相荘を訪ねたおりに求めたものです。
この度の放映を知り、改めて久し振りに一気に読み通しました。
白洲ご夫妻をより一層理解を深めながら楽しむことが出来ました。
ドラマに見る白洲次郎役の伊勢谷友介さんが信念を持つ次郎氏の硬骨ぶりが伝わって参りますような格好良さに大きな を贈らせていただきました。
第2話は7日 (土) に放映ですが、第3話は、出演者の病気により、8月放映にとても残念ですが、待つ楽しみもある事と思っております。
憧れの武相荘訪問の記事は 2007年10月2日 伊勢原・大山阿夫利神社、町田・武相荘の旅 に綴りました。その折の事を少しご紹介したいと思います。
入場券 素敵な の灯りの見える園内 武相荘の母屋
「武相荘」 (ぶあいそう) (旧白州邸 昭和18年から以来60年住む)
武蔵と相模の堺にあるこの地に因み、次郎氏独特の一捻りしたい気持ちから 無愛想 をかけて名付けましたこと伺って参りました。
武相荘は娘さんの牧山桂子様が管理。
正子様の書斎にはご主人様から された素敵な 膝掛け がそのまま保存され、皆様から素敵 の声があがりました。
又、茅葺き屋根は葺き替えた直後、昔懐かしい風情に心和む旅でした。