我が家前の公園の完成間近のスベリ台
千葉市は暖かな に恵まれました。
毎日、3時過ぎころから子どもたちの大きな声が響きわたる我が家前の公園ですが に恵まれた本日は、大勢の子どもたちが集まりスベリ台を眺めては「早く滑りたい!」
の声も響いておりました。
気が重かった短歌15首提出完了にホットして、昨年末に開始された新しいスベリ台設置工事の完成間近の様子を記念に収めました。
昭和23年 歌集『輕雪』を上梓されてから結社の名を『輕雪』として創刊されました土屋先生生誕100年の墓参と吟行会の様子をご紹介させて
頂きました。
昭和61年1月25日発行 昭和60年11月 土屋正夫先生のお言葉 昭和60年までの土屋正夫先生の著作一覧
昨日25日(第4水)は短歌教室でした。
その折に現在『輕雪』を主宰され、ご指導を頂いております鶴岡先生が土屋正夫先生の著書を沢山ご持参くださいまして参加者全員がそれぞれ
頂きました。
私は、土屋先生が師事されました松村英一先生について学びたくご紹介の著書を選ばせて頂きました。
平成29年1月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌
九段短歌 は休載から4ヶ月目を迎えました。
選者の三井先生のお身体をご案じ申し上げております。
遺 書 日本遺族通信の毎月の「愛しきものへ」の遺書を拝読させて頂きますたびに大きな悲しみに涙が溢れ、戦争を憎みます。
父が遺した軍事郵便 には「遺書」らしい文面の軍事郵便が無いことに改めて気づきました。
もしかして母が・・・
本日、久々に父の関係書類から何十通もの父の手紙を手に致しました。
幼い時から父の文字に憧れ真似ては練習しておりましたこと、父からの手紙には必ず私の名前が登場しておりましたこと、母が送った
写真で私の成長を見守っていてくれこと等にふれながらも年月日の無い手紙に最後の手紙は?に父を偲びました。
お手本でした父の文字
(ある時の軍事郵便より)
内地は大変涼しくなったらうね。
此の手紙の届く頃には寒くなるだらう。
當方は相変らずの暑さだ、愈、内地へ歸還出来ないと決まったので落ち着いてゆっくりやって歸へるよ。
最近手紙が少なくなった様だが別に変った事は無いね。
僕の方からも近頃は来た頃に比較して少なくなった様な気がする。
嘉子の寫眞を送ると前に言って来たが、仲々届かないね。嘉子はお父さんを覺えて居る様子が見へるか。
嘉子の寫眞を見る度に早く歸へって抱いてやりたい気がするが、今はそうした平和な時ではないしお互いに一身上の事は後回しだ。
兎に角、僕は毎日愉快に元気にやってゐる。こちらは全く心配ないから嘉子を明るい人に育てなくてはいけないよ。
國を擧げての非常時にお互いが離れて生活する位なんでもない。
元気でやりなさい。 三 郎
軍事郵便の一部ですが、父母は8歳の差がありますのでお兄さんのような文面に思います。
私が昭和14年6月呉海軍病院に出生時は父は兵学校の通信の教官として勤務中にそばに居てくれましたことに、「一番幸せな時に生まれたのよ。」と、親戚縁者から聞かされておりましたが残念!私は記憶にありません。
今となっては沢山の軍事郵便に励まされ、父の願った「明るい人」になれました?と父に伝えたく思います。
短歌を始めた頃、九段短歌に掲載頂きました軍事郵便を詠んだ歌
平成16年11月15日号 検閲の軍事郵便に父の名のありし手紙保(ふみも)ち六十路過ぎたり
平成17年 6月15日号 散華せし父の手紙の文字なぞり生きる糧とし導かれ来る
平成18年 2月15日号 春も過ぎ夏秋も過ぎと父の書く軍事郵便何語りたかりし
平成18年11月15日号 変色の軍事郵便読みをれば非常時國防銃後と続く
平成19年 9月15日号 検閲に本意書けざる文のなか吾の成長ひたすら祈れり
私事に多くの皆様にお訪ね頂きまして有り難うございます。
心から御礼申し上げます。
寒中お見舞い申し上げます
雪に見舞われていらっしゃいます御地の皆様どうぞお気を付けてお過ごしくださいませ。
お訪ね頂いております皆様に感謝を申し上げますと共にご健勝をお祈り申し上げます。
趣味の講座でお世話になっております先輩ご夫妻様から素敵な絵手紙の を頂きましたのでご紹介させて頂きます。
、
奥様が描き、ご主人様の筆によります作品です
先輩ご夫妻様のお言葉より
年賀状有り難うございました。
昨年ご挨拶申し上げましたように、今年度よりお年賀を失礼致しております。
絵手紙だけはボケ防止のために続けたく思います。
それでは又。
上記の作品をご紹介申し上げまして寒中お見舞いとさせて頂きました。
絵手紙の中の文字「霰」(あられ)は文章から読めますが、改めて調べました。
関係する漢字「霙」(みぞれ)、「雹」(ひょう)も確認して学びました。
平成29年度の市民展出品作品は 「早発白帝城 李白」 の詩を下記のように3行書に決めました。
「早発白帝城 李白」についてHPより転載して学びたく思います。
朝辞白帝彩雲間千里江陵
一日還両岸猿声啼不住
軽舟已過万重山 李白詩 ○○書
「読み方」 早に白帝城を発す 李白
朝(あした)に辞(じ)す白帝(はくてい)彩雲(さいうん)の間(かん)千里(せんり)の江陵(こうりょう)一日(いちじつ)にして還(かえ)る両岸(りょうがん)の
猿声(えんせい)啼(な)いて住(や)まざるに軽舟(けいしゅう)已(すで)に過(す)ぐ 万重(ばんちょう)の山
現代語訳
朝焼けの空に五色の雲が美しくたなびく中、白帝城を出発し、千里先の江陵まで一日がかりで戻ってきた。両岸から聞こえる寂しげな猿の声がなりやまぬうちに、
私の小さな舟はもう幾万にも重なった山々を通り過ぎてしまう。
【白帝城】について
後漢の頃、公孫述が白帝と称して築いた城。現重慶市奉節県。
その後、三国志の劉備元徳が亡くなったことで有名になりました。
呉の陸遜に追い詰められた劉備軍はこの白帝城にこもり、劉備はそのまま病没します。
現在はダムができたため、浮島になってしまいました。
山頂には劉備を記念する白帝廟があります(「山頂」ていっても船着場から15分くらいで上れますが)。
白帝城は三峡下りの起点であり、三峡は険しい渓谷がつらなり猿が多いことで有名です。
「峨眉山月の歌」と並び、李白が三峡下りを歌った詩の双璧ともいえると思います。
白帝城から江陵までは実際には千里どころか千二百里(600キロ)あり、しかも直線ではなくヘアピン状に蛇行しています。
とても一日では行き着けないのですが、そこを「一日で行った」と言い切るところにスピード感があります。
作詩時期については諸説あり、結論が出ていません。
1.李白が故郷を出る25歳の頃
2.永王李リンの乱に荷担した罪で夜郎に流されかけるが恩赦で許された59歳の頃
3.三峡下流の湖北省安陸に安住していた27-37歳の頃
提出まで僅かに迫りましたが、体調管理に努め、納得できる作品を提出できますように頑張ります。
1月12日(木)作品提出に更新も出来ませんでしたが、提出後の残部作品から今年最初の一部を記念に収めました。
残念!条幅の「漢字」「かな」は練習不足のために提出できませんでした。
「萬里(ばんり)の寒光」冬の風情を詠じた句で見渡す限りの寒々とした光景の意味と説明あり。
「かなの読み方」冬空は澄みて大地は潤へり 中村草田男の句
「古筆学習 高野切第三種」ありはてぬいの(能)ちまつ(徒)まのほどだ(多)に
(よみ方) もうきことしげく(久)おもはず(春)も(毛)が(可)な(那)
「ペン字」=郷愁を憶え、感動がよみがえる小学唱歌です。水辺の朝の様子です。
ひらがなは漢字より小さめにして、調和させましょう。と説明あり。
平成15年1月から市川 蘭華先生にご指導を頂きましてから、平成29年1月は14年目を迎える事が出来ました。
継続は力なりと申しますが上達は望めません。
少しでも老後の励み、喜びと、今後も毎月の作品提出に頑張りたく思っております。
佳き先生、佳きお仲間に恵まれ、墨の香漂うお部屋で筆を持てます幸せに感謝の日々です。
1月19日(木)千葉市民展作品提出に「朝辞白亭彩雲間・・・」 (李白詩) の練習に取り組んでおります。
提出日まで後1週間頑張ります。
参考までに提出出来なかった条幅のお手本です。
↑ 孫の名前 ○ ○○よりと有り 「あやめちゃんと未歩の夢の国」と書いてありました
孫に大学生と中学生の従姉が仲良くして下さいますことにとても有り難く思っております。
この度、中学生のあやめちゃんに書いたお手紙を娘がメールに送ってくれましたので記念に保存したく思います。
あやめちゃんは、お祖父ちゃまに将棋をならい、お茶もお稽古しておりますことに教えて頂きたいと関心があり、お会いできる日をとても楽しみ
にして心を込めて書きましたようです。
「上手に書けましたね。」と申しましたら「絵は上手ではないけれどあやめちゃんに会えることが嬉しくて一生懸命書きました。」と。
「構図がステキ!よ。」と伝えました。
上手下手は別として、何かを表現する・出来ることを大切に思っております。
冬休みは
「漢字」の練習、特に「乗る」「寒い」「病」「港」(己・巳の違い)「映画館」、筆順は、「祭」「集」「寒」「画」「区」「門」の確認、「育む」「育つ」「委ねる」
「仕える」「整える」などの読み方の確認。
3学期の始めにテストがあるからと頑張っておりましたので良い結果を願っております。
書き初め「友だち」も結果はともかく一生懸命お稽古しました。
讀 賣 新 聞 2017年(平成29年)1月4日(水曜日) 2017年(平成29年)1月3日(火曜日)より
映画監督篠田正浩氏が箱根駅伝「花の2区」を走った話
1月2日(月) 青山学院大学 3年連続 往路優勝 おめでとうございます
東京・読売新聞社前から箱根・芦ノ湖までの往路5区間107.5キロのコースで行われました。
青山学院大学が5時間33分45秒で3年連続となる往路優勝を果たしました。
2位は早稲田大学で5時間34分18秒。
3位は順天堂大学で5時間36分9秒。
ご紹介の はTV放映によります。
東京・大手町の読売新聞社前スタートの21名の選手 往路3連覇に向かって力走の貞永隆佑選手
往路アンカー選手を迎える神奈川県箱根町の会場 往路3連覇を果たした青山学院大学の貞永隆佑選手
青山学院大学、箱根3連覇…「大学駅伝3冠」も達成 おめでとうございます
1月3日(火) 神奈川県箱根町の芦ノ湖駐車場入り口から東京・大手町の読売新聞社前までの5区間、109・6キロで復路が行われ、往路を制した青山学院大学が
11時間4分10秒で、3年連続3度目の総合優勝。
3連覇を確信してアンカーを迎える原監督と選手の皆様 3連覇のゴールを切ったアンカー安藤悠哉主将
原監督と仲間の皆様に胴上げされるアンカー安藤悠哉主将 第93回東京箱根駅伝結果一覧
千葉神社の御由緒
この千葉の地を治めた千葉氏の祖・平良文は、戦のたびごとに妙見尊に祈願して御加護をいただき、 常に大勝利を収めておりましたので、以後、千葉家では代々一門の守護神として熱烈な信仰を捧げてまいりました。
このような関係から、現在地には千葉家三代忠常により先に御分霊が祀られ(年代不詳)、 その後、忠常の次男、覚算大僧正により立派に伽藍整備がなされ、第66代・一条天皇の眼病平癒の勅願所としての功ともあいまって、 長保2年(西暦1000年)旧暦9月13日、「北斗山金剛授寺」
なる寺号を賜り中興開山されました。
千葉神社「はしご乗り」のご紹介(HPより)
例年1月3日の朝8時半~9時ごろには、御社頭にて千葉市鳶伝統文化保存会による梯子乗り(出初式)の奉納が執り行われます。
木遣り唄の響きに参拝者の衆目が集まる中、澄んだ青空の中に身体を浮かべるような技が決まる度に多くの拍手が沸き起こります。
また同日1月3日の9時~10時ごろ、有志による獅子舞の奉納が予定されています。
【H28.12.19 追記】
平成29年の「はしご乗り」は、1月3日朝 9:00よりと決定致しました。(HPより)
2017年(平成29年)1月2日(月)家族揃って千葉神社へ初詣に参りました
初詣の参拝客で賑わう千葉神社境内にて
家内安全のお札と御朱印を求めました 1月2日17時15分月と金星が大接近の美しい夜空↑でした
あまりにも美しい夜空でしたのでHPで学ばせて頂きましたので転載させて頂きました。
日没後は、金星と月と富士山の共演!!
本当は火星も写ってるはず!
贅沢な新年です。 pic.twitter.com/5r4ueUl1e8
2017年1月2日 17:56:21 撮影とありました
260枚のお年賀状に感謝 2016年8月8日に卒寿を迎えたお方のお年賀状です
ご紹介のお年賀状は100枚程を2ヶ月かけて1枚1枚お書き下さったことを伺い、大切に拝見させて頂いております。
20年程前までは洋裁教室を経営されながら、油絵、書道、社交ダンス、短歌と多趣味にご活躍でしたが現在は、お花を育てながら、絵手紙を描き、素敵な短歌を
沢山発表されていらっしゃいます素敵な先輩です。
健康管理も行き届き、乾布摩擦、30分の散歩は日課に、お食事も丁寧になさり、日曜日は教会へ礼拝にお出かけになられ、まだまだ優雅にダンスが踊れます程に
背筋ものびて生き方の模範とさせて頂いておりますお姉様です。
平成28年度NHK短歌大会に題詠、自由詠共に入選をされましたことに清書のお手伝いを喜んで頂きました。
今年もご厚誼の程よろしくお願い申し上げます。
平成29年 元旦
平成29年の新年のご挨拶は奈良の前田様より初詣のお便りを次のように頂きましたのでご紹介させて頂きます。
「除夜の鐘を撞きに飛鳥寺へ初詣してきました。
飛鳥大仏は国の重要文化財に指定されています。
元興寺縁起によれば、609年に鞍作鳥(止利仏師)によって作られたとされており、我が国で最初に造られた仏像です。
除夜の鐘を撞きに訪れる初詣客先着300名には飛鳥寺の絵馬が授与されます。」
飛鳥大仏様 飛鳥寺絵馬
TVよりの初日の出のご紹介
2016年12月最後の公園清掃を行って頂きました
2017年元旦我が家の記録
業者の方の機械除草が気になり(失礼)公園の入り口だけですが私の自己満足の除草後に元旦の朝6時過ぎに佇む
元旦に届いたどっしりと重かった新聞 毎月1日・15日の2回発行されます市政だより