6月26日(月)は年1回になりました千葉大学病院の定期検診日でしたが、当時の残念!(恨み!)の日々を思い出してしまいました。
息子に出勤時間を早めてもらって千葉大学病院、朝8時開始に7時半到着に送ってもらいました。
しかし、血液検査の順番はなんと139番目、既に病院内は満員状態でした。
血液・CT検査~担当医の診察に終了は12時過ぎ、千葉大学病院から千葉駅まではバスで20分、千葉駅ビルにて買い物をして帰宅は2時過ぎに、遅い昼食を済ませてちょっと休息のつもりが
夕方まで寝込んでしまいました程に疲労困憊の日になりました。
病院内も血液検査~CT検査室までもよく歩き、最後の診察室までも迷いましたり、買い物もあちらこちらへと26日の歩数は6038歩を示しました。
事の発端は11年前、千葉市立青葉病院にて大腸のポリープを腹腔鏡手術で無事終了の言葉を信じ退院の日を心待ちにしておりました。
2012年8月25日に無事手術終了を信じて詠んだ歌でした
七時間の手術に耐へしと安堵する子らのあふるる会話に目覚む
しかし、手術から9日め、退院予定の前日、突然高熱発症、検査の結果、胆管に傷をつけられていたことが判明「医療ミス」(病院側は言わず)でした。
今から考えれば難しいといわれておりました腹腔鏡手術に30代の若い女性医師に不安がありました。
そしてポリープ手術にしては7時間を要したことに時間が長すぎましたことにも?でした。
しかし、女性医師は「医療ミス」とは言わず、千葉大学病院の恩師の教授に治療を依頼したので転院して欲しい!と。
当然、病院の車で転院と思っておりましたら「お子様に車の準備をお願いしてください」に唖然としました。
2012年9月5日千葉大学病院へ転院に詠む
青葉の中なる院より転院す千葉大西棟七一三号
この日から地獄の2ヶ月間の入院生活に耐えがたき治療が続きました。
耐へ難き痛みに耐へて治療受く魔のレントゲン六号室に
胆管へ20cm程の管を入れるための治療の痛さは言葉にならず「あの世に送ってください!」の発狂の2週間でした。
治らざる夢に襲はれし夜の闇に狂気のごとくナースコール押す
カーテンに閉ざされ眠る重病の姿に明日はわが身かと思ふ
入院した病棟は「胆肝膵外科」と言う、重病がん患者の病棟でしたので、4人部屋でしたがカーテンを閉じたまま会話は一切できませんでした。
そして2週間の治療が終了したある日の担当医の言葉に「ひとすぢの光」
胆管に仮管が通ったとふドクターの明るき面にひとすぢの光
明日には必ず夜の明くるごと病み居るわれも曙光を見たし
父の幻に祈る
七階の病窓よりみる日の丸に戦死の父の幻の顕つ
退院の日に
退院日大地に降り立つ我が総身赤子が一歩踏み出す如し
家族に支えられ我が家へ
退院の祝膳の席「乾杯」の女孫の声に噎せて手あがらず
そして2012年(平成24年)11月6日(日) 退院から2日後ブログへご挨拶を綴ることができました。
「お訪ね頂いております皆様へ」
大変ご無沙汰申し上げました。
残暑の厳しさも爽やかな秋の風情を感ずることもなく、早くも霜月を迎えております。
11月4日(日) 2ヶ月と10日振りに我が家に帰って参りました。
この間、多くの皆様にご心配を頂き、お訪ね頂いておりましたことに心から御礼を申し上げます。
詳しい事情は記せませんが、今はパソコンの前に座る気力も失われ、今後まだ1年ほどは無理が出来ません事にブログをしばらくお休みをさせて頂きたく存じます。
長い間のご厚情に感謝と御礼を申し上げまして一日も早く皆様と交流ができますように治療に専念してまいりたく思っております。
皆様、どうぞ佳きお年をお迎えくださいませ。
この後、ブログは少しお休み致しましたが、短歌の先生の励ましを頂き、闘病中にも同好会誌・日本遺族通信の九段短歌へも休まず出詠することができました。
出詠には子ども達のPC入力にお世話になりましたことも感謝でした。
おかげさまで翌2013年3月末提出〆切の短歌大会にも投稿して2013年(平成25年)5月30日の短歌大会は管が抜けた後でしたので出席できました。
軽雪55周年及び土屋正夫先生7回忌の集い 平成25年5月30日 於 東京三笠会館
おかげさまで短歌大会に於いて天賞(第一席)受賞することができました事は快復に大きな励みを頂きました。
受賞歌 身の深くに撃たれしごとき医療過誤胆管損傷わが胸も刺す
(講評)漢字が八文字も続くと声調も悪く歌が重くなるが、この歌は違和感なく読むことが出来る。
「わが胸も刺す」の結句に努力の跡が見られる。
以上のようにお言葉を頂き、思わぬ賞を頂くことができました。
一時は命を諦めたこともありました程に深い悲しみに遭遇しましたが、歌を詠むことに救われました。
心のうち訴ふるすべに歌ありて詠めば心の軽む思ひす
本日の千葉大学病院の予約外来者数は2900人余名でした。
1年ぶりに入院中担当医としてお世話になりました先生にお会いして、CT検査、血液検査の結果は異常なしとお伺いいたし「来年も元気でお会いしましょう」のお言葉に、ホットした嬉しい一日
となりましたが、12年目も検診に?に複雑な思いです。
闘病中は「医療過誤」に辛い治療に我慢の限界を超えたばかりでなく、医療費の負担も課せられましたことに退院後は千葉市長を相手に訴えたい!(千葉市立青葉病院ですので)と思っておりました
が、長い入院生活に体力の消耗に疲れ果て、ただただ快復したい!と願う気持ちになりました。
しかし、千葉市立青葉病院の「医療過誤の手術代他の支払い」は今もっても納得できませんが、医師と戦うことは無理です。
あの日から11年になります今日、親孝行の子ども達に囲まれ、健康に恵まれ、遺族会などのお手伝いができ、家庭菜園などを楽しみ、短歌、書道を学ぶ事ができます幸せに感謝をしております。
短歌の先生からは「あなたは生き返った方なので今後、良い歌をたくさん詠みましょう」と。書道の先生からは「お稽古によく復帰してくださいました」と喜んで頂きました。
胆管に入れられました管は、退院から6ヶ月後に取り除きましたのでその間の散歩時はどうしても身体をまげて歩きましたので「かわいそうで挨拶の言葉がなかった」と今も時々お話下さいます。
このように町内会の多くの皆様にもご心配をおかけしましたが、「遠くの親戚より近くの他人」のお言葉に温かく見守っていただきましたことにも感謝が絶えません。
私ごとに最後までお付き合いを頂きましてありがとうございました。