平成30年11月 靖国神社社頭に掲示されました遺書 合掌
今号もご家族に寄せる最後のお別れの遺書を拝読いたし涙があふれました。
遺書の1文より「御身、今日の事あるは結婚当日より十分に覚悟に候へばさして驚かる事もこれ無かるべしと存じ候。」と。
お手元に届きましたお手紙をご覧になりました奥様の心中はいかばかりでございましたでしょうか。何回残念!を申し上げても言い尽くせません。
激戦地のレイテ島にて散華されました松本清司様に哀悼の誠を捧げます。合掌
遺されましたご家族の皆様のご平安をお祈り申し上げております。
戦争の悲劇は永遠です。世界の恒久平和を祈って止みません。
コメントに頂きましたお言葉よりご紹介させて頂きます。
幼い男の子を残して戦地に行かれ、どんなに心残りであったことでしょう。
32歳でこんなに格調高い遺書を書かれるとは、どのようなお方だったのでしょう。
日本の損失です。
いつ見てもこのような遺書を読むと胸が詰まります。
それにしてもこの時代の若者は格調高い文を書けますね。
それだけに余計悲しくなります。
お二方様いつもご丁寧にありがとうございます。御礼を申し上げます。
九段短歌の選者 安元 百合子先生のお言葉より
1首めの「特攻兵の声哀し」特別攻撃隊の発案者と言われる大西滝次郎中将は「特攻などという作戦は外道である」と喝破。戦後、割腹自殺されました。
2首めはハバロフスク地方二次遺骨収集派遣団による遺骨引渡式が9月12日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑であり参列されての詠。
酷寒のシベリアと百日紅の対象が印象的。
ソビエト連邦は大戦終結後、約60万の日本人をシベリアに抑留、酷寒の地で重労働を強制しました。
現在、厚労省が抑留死の方の名簿整理を続け、10月にも新たに22人が特定されました。
以上、私自身も学びたくご紹介させて頂きました。
先生がお書きくださった「大西滝次郎中将は「特攻などという作戦は外道である」と喝破」に、私もいろいろと疑問がありますことにHPで調べております。
11月の九段短歌のご紹介をさせて頂きます。お目を通していただけましたら幸いに存じます。
散り逝きし特攻兵の声哀し録画の像にしばし声出づ 富士吉田市 遺児男性
極寒の旧ソ連より今還る千鳥ヶ淵に熱き百日紅 東京都 遺児女性
菩提寺の戦争記録読み返し孫らと語らふ命の重さ 南相馬市 遺児女性
曾祖母がいるのに曾祖父なぜいない問いし孫たち曾祖父を超ゆ 南相馬市 遺児男性
(ひいばあ) (ひいじい)
夏椿終戦の日の庭に咲く戦死せし父と語りたき朝 甲州市 遺児女性
輝ける満天の星応へなき父のみ霊と洋上に見上ぐ 千葉市 遺児私
お守りとなほ持ちてをり父の文軍事便の朱印うするる 鳥栖市 遺児女性
おぼろなる憶ひ出ひとつ自転車の父のそびらに三歳のわれ 一宮市 遺児女性
国破れ終戦直後の芋ごはんひと粒たりとて残すものかは 佐世保市 遺児男性(鳥海艦長子息)
栗ご飯炊くたび思ういくさ場の父への陰膳祖母の香 青森県 田中恭子様(友人)