「源頼朝再起の地・千葉県鋸南町竜島」 (千葉県のHPより)
源頼朝は、治承4年(1180年)8月に伊豆で平家打倒の兵を挙げましたが、相州石橋山の合戦で敗れ、8月28日に同国土肥郷の真鶴岬から小船で脱出し房総へと逃れます。
翌8月29日、わずかな供を連れて、安房国猟島(現在の鋸南町竜島)に上陸しました。
安房国に着いた頼朝は、上総介広常(かずさのすけひろつね)など房総の武将の加勢を得て、安房・上総・下総と順次支配下にした。
房総で勢力を蓄え態勢を整えた頼朝は、源氏再興を目指し再び平氏討伐にのりだす。
そして頼朝は、やがて平氏を倒し鎌倉に幕府を開設して征夷大将軍となった。
日本史上大きな変わり目となる鎌倉時代が誕生するなかで、「房総の果たした役割は非常に大きなものがあった」のである。
海岸には、源頼朝上陸の碑と説明板が建てられており、この場所から眺める夕日は圧巻である。
昭和10年3月26日千葉県指定史跡「源頼朝上陸地」 鋸南町竜島の様子 ↑ 千葉県鋸南町の位置
NHK「日本人のおなまえ」より「千葉県鋸南町」の紹介に千葉県と源頼朝の関係を改めて学ぶために保存いたしました。
千葉県指定史跡「源頼朝上陸地」 ↑ 千葉県鋸南町役場 「頼朝に名字を貰った方は?」に
頼朝に名字を貰った人は何と20人以上!が手をあげました 名字の一部 生貝・龍崎・菊間・松山・・・様を紹介されました
海辺に芝があったらしいんですよ その芝をむしって頼朝にお茶代わりに飲ませたと
そのおかげで柴本と言う名字を頂いたと 頼朝を船で渡した渡さま
左右加の読み方は?「そうか」と読むそうです 左右から軍勢が加わりますよう頼朝が祈願した
祈願した神明神社の宮司に左右加(そうか)と名字を与えました 石橋山で戦いに敗れた頼朝が千葉へ逃げてきました
もし地元の住民が頼朝を捕まえて平氏に差し出していれば そのあとの鎌倉時代がなかったと
「源氏の嫡流がきた!」と地元民が助けたので歴史が動いた 頼朝の千葉の伝説っていうのは「貴重なおもしろい伝説です」